七福 7月1日 18時

妻のお客さんが来るので、土曜の夕方は2時間ばかり家の居間を開けなければいけない。寝室でじっとしてしていてもいいのだが辛気臭いので街に出かけた。武蔵ヶ辻のドトールで本を読もうかとも思ったが、七福で刺身をつまみに燗酒を呑むことにした。

 

開店時刻の18時ちょうどに店に入る。今日は朝から激しい雨が続いていたからなのか他のお客さんは誰もいない。カウンターの一番奥、テレビの前に座る。ガンドの刺身にしようか、生鯖のたたきにしようか、赤いかもいいなと思ったが、岩牡蠣にした。今日は能登産が入っているとのこと。燗酒2合もお願いする。

 

つき出しは太きゅうりのあんかけ。あんが薄めであっさりして私の好み。お父さんによると、牡蠣は難しいらしい。見た目は殻が大きくても、開けて見たら身が小さいことも結構あるらしい。あまりに小さいとお客さんに出せないので家で食べるそうだ。お母さんは、岩牡蠣の小さいのはオリーブオイルで炒めて食べると贅沢なことを言っていた。

 

今日の岩牡蠣は殻の見た目通りの身の大きさ。包丁で二つに切り分けてくれたけれど、それでも大きくと一口では食べきれない。レモンだけで食べる。

 

他にお客さんもいないので、久しぶりにじっくりお話ができた。内容はたわいもない猫自慢。お二人は拾ってきた茶トラを2匹買っているそうだ。ずっと犬を飼っていたけれど猫は初めて。猫も可愛いねとお互いの猫の写真を見せ合って自慢する。

 

燗酒を1合と鯵の南蛮漬けを追加で注文。小鯵の南蛮漬けかと思いきや焼き魚にするような立派な鯵が2尾も出てきて驚いた。しっかり揚げてあるのでよく噛めば骨まで食べられた。

 

最近はいつ来てもお客さんがいっぱいだったので、足が遠のいていたのだが、今回はじっくり飲めていい気分だった。

父 吉田健一

吉田暁子さんが、父である吉田健一との思い出を綴った本。

 

吉田健一の旅の随筆を読むと、汽車の乗る前から銀座の小川軒で酒を飲み始めて汽車の中でもずっと飲み続けて、目的地の宿に入ってからも飲んで、次の日も飲んで、帰りの汽車の中でも飲む。とにかく呑んだくれてばかり。普段の生活でも毎日相当な量を飲んでいるイメージがあったが、この本によれば、普段の日は家では酒を飲まなかったようだ。

 

ただし、健一は週に一度外に出かけて飲む日があって、その日は家に帰って奥さんや暁子さんを相手に静かに飲み直していたことが書かれている。また、暁子さんが20代の頃、雪の降る日に何かの用事でふたり出かけて、帰りに銀座の辻留に立ち寄りサシで飲んだことも大切な思い出として「早過ぎた雪見酒」に書かれている。

 

父親とサシで飲んだことあったかなと、自分のことを振り返ってみる。高校から家を出ていたので、たまに帰省した時に母や弟夫婦、私の家族とご飯を食べて酒を飲む機会はたくさんあったが、父と2人っきりでじっくり話しながら酒を飲んだことは一度もなかったように思う。仕事がら若い時から外で飲むことが多かったからなのか、私が酒を飲むようになった頃には、家で飲むほうがいいと言って、2人で居酒屋に行ったこともない。ふたりで飲んだのは、母が出かけた休日に父が冷蔵庫からビールと竹輪、押入れから焼酎の一升瓶を引っ張り出してきて、竹輪をかじりながら、焼酎をビールで割って飲んでいる時に、ご相伴に預かったくらいだ。テレビを見ながらだったので大した会話もなかった。今更言ってもどうにもならないのだが、無理矢理機会を作ってでも2人で飲みに行けばよかっと思う。

 

父・吉田健一

岩波講座 日本歴史 第5巻 古代5

ようやく平安時代院政期まで読了。今から約1000年前だ。縄文時代の前から歴史を通読してくると、1000年前が身近に感じる。たった30世代前のことじゃないか。

 

律令制度によって確立した天皇を中心とする公的な政治の仕組みが、有力寺社や摂関家などとの私的な関係による支配に蚕食され、租税徴収などの実際の支配が受領にアウトソースされて行く。

 

興味を持って読んだのは仏教の動き。宋から密教浄土教を取り入れて、独自に発展させていき、宋で仏教が迫害されて衰えた時に逆に仏典などを送っている。例えば源信の往生要集。これは、極楽往生するためのマニュアル本で、様々な仏典を引用して地獄の様子を事細かに描写してあるという。我々が「地獄」と聞いた時にイメージする映像、血の池獄や針地獄などの元となっている本だ。

 

洞窟の中に地獄絵図を再現したハニべ岩窟院は小学校の時のおきまりの遠足コースだったけれど今もやっているのだろうか。

 

古代5 (岩波講座 日本歴史 第5巻)

 

大甚 16時30分

久しぶりの名古屋出張。早めに仕事が終わったので、迷うことなく伏見の大甚へ直行。16時過ぎに着いた時には既に店内は大賑わい。暑い中、名古屋の街を一日歩いて喉が渇いたので先ずは生中。つまみは、マカロニサラダと茄子の揚げ浸し。一息ついて周りを見回すと、前方には70過ぎのおじさん6人組が宴会。後方には、クソ暑いのに毛糸の帽子やらベレー帽被ってヒゲ生やした若者たち8人組の飲み会。私が座ったテーブルは、お一人様のおじさんが私も入れて3人と、男女二人連れ。まだ5時前だというのに沸いた沸いたの大騒ぎ。

 

サクッとビールを空けて、賀茂鶴の大徳利を燗でお願いする。つまみはマグロ刺身。ここの燗酒は樽の香りがして何度飲んでもうまい。最初からこれにしとけば良かった、と思うくらいうまい。

 

お勘定はいつものシャネルのメガネのお父さんでなくて女性の方がでっかいそろばんで計算してくれた。シャネルのお父さんは入口で声かけ役になった模様。

 

何度来てもここは居心地いい。

キャッチボール

浪人中の息子が、藪から棒にキャッチボールがしたいと言い出した。

 

「いいね。やろう、やろう。」と答えたものの、よく考えたらうちにはグローブもボールもない。私自身は、小学生の頃は学校が終わると友達と野球ばかりしたいたし、その頃はプロ野球も好きで見ていたが、中学生になってからは、野球をすることが全くなくなったし、テレビでナイターなんかを見ることもなくなった。息子が小学生の頃には、こちらから野球を教えるとかキャッチボールをやらせたことも一度もない。だから、息子は高校までは野球を全然知らなかったようで、バッターが打った後は、右側に走るのか、左側に走るのか私に聞いてきたことがあった。

 

そんな息子が、最近BS放送の野球中継をよく見ていると思ったら、少しルールがわかるようになって、野球に興味が出てきたのだそうだ。それで自分でもやりたくなったとのこと。

 

とりあえず、グローブと軟式ボールを買いにスポーツデポに行った。本格的なグローブは安くても1万円くらいからで、高いのは5万円くらいのもある。50過ぎのおじさんと、自宅でゴロゴロしている浪人生が暇つぶしにキャッチボールをするだけなので、そんな本格的なのはいらない。売り場をウロウロしていたら、3千円のお遊び用のグローブがあったのでそれを二つと、2個で699円の練習用軟式ボールを買った。

 

次の問題は家の近所に大人がキャッチボールできるような場所がないことだ。近所の公園では、子供ならまだしも大人が一生懸命キャッチボールを始めれば近隣の人に怒られそうだ。ご近所の手前、家の前の路上というわけにもいくまい。小学校のグランドも開いていないだろうし、浅野川の河川敷も狭い。

 

仕方がないので、車に乗って卯辰山のてっぺんにある運動場に行くことにした。あそこなら周りに民家はないし、夕方なら他の人もいないだろう。2人で準備をしていると、娘も学校でソフトボールをやっているところなので私も行きたいという。娘も連れて行くことにした。

 

娘が幼稚園の時に買った子供用のグローブをどこからか引っ張り出してきていた。運動場で3人で三角になってキャッチボールを始める。息子はぎこちないところもあるが、普通にボールを受けて投げることができる。娘はボールを投げるのは上手だが、ボールが怖いのか受け取る時に腰が引けている。ボールを受けるときは体の正面で両手で受け取るように、とか、ゴロは腰をしっかり落として受けるようにとか教えながら3人でボールを回す。娘はグローブだけひょいと差し出してボールを取ろうとするので、グローブを外して素手でボールを受け取る練習もやらしてみた。

 

すぐに飽きるかと思っていたが、やり始めると楽しい。1時間があっというまに過ぎて汗だくになった。私は木陰で休憩して、2人でキャッチボールをやっている姿を側で眺めていた。この歳になって息子と娘がキャッチボールする姿を見ることになるとは思わなかった。

 

これからも時々キャッチボールをやろう。次はバッティングセンターへ行くのもいいかもしれない。 

Curio

横安江町商店街にあるCurioは経営者が海外の方だからなのか、欧米からの旅行者が多い。一方では商店街のおじさん、おばさんもふらりと立ち寄ってコーヒーを飲んで行くので、店内は英語の会話と日本語の会話が飛び交う独特の雰囲気。カフェラテも美味しいけれど私はアメリカーノにすることが多い。アメリカーノを頼むと濃いのと薄いのどちらにしますかと聞かれる。いつも濃いのでと答える。そんなに苦くなくスッキリして飲みやすいコーヒーだ。アメリカ風の大きなカップで量もたっぷり出してくれる。カウンターのガラスケースには、クッキーやビスコッティー、パウンドケーキなどがある。ここのチョコチップクッキーは大きくて食べ応えがある。

 

コーヒーとクッキーを注文して、商店街に面した席に座る。通りを歩く人をぼんやりと眺めながらコーヒーを飲んだり、店内の賑やかな会話を感じながら書き物をするのが心地よい席だ。

 

休日は次々にお客さんが入ってきれ賑わっているので、長居は迷惑かと思い30分くらいで切り上げる。

ドトールコーヒー 19時30分

仕事帰りにドトールコーヒーに立ち寄る。ジャーマンドックとブレンドコーヒーのMサイズを頼む。奥にある丸くて大きなテーブルの左端に座る。このテーブルは大きくてしっかりしているのでノートや本を広げられるのが気に入っている。書き物をしたり、じっくり本を読みたい時にはありがたい。店内には、仕事帰りのサラリーマンと思しき男性が3人と女性2人。本を読んだり、教科書とノートを広げて何かの勉強をしたり、スマホをいじったり、それぞれが、それぞれのやり方で過ごしている。居酒屋のこれから飲むぞっというような解放感に溢れた感じではないが、仕事が終わってホッとして、落ち着いた時間が流れている。

 

ここのジャーマンドッグは210円。外側がパリッとしたパンにソーセージを挟んでからしを添えただけのシンプルなもの。シンプルだけどうまい。クッキーやらケーキは食べたくないけれど何かお腹にいいれたい時に食べる。

 

40分ほど書き物をして店を出た。  

 

 

仏教思想のゼロポイント(再読)

 目で見る、耳で聞く、鼻で匂う、舌で味わう、肌で感じる、頭で意識する。感覚器官から入ってくる刺激に対して、人は常に、快く感じる、不快に感じる。好きだと思う、嫌いだと思う。自分にとっていいことか悪いことなのか判断している。その判断をもとに、それぞれの物語を紡ぎ出す。そして、その物語を実体化して、思い通りになれば有頂天となり、思うようにならないと満足できずに苦しむ。一切皆苦の「苦」は肉体や精神の直接の苦しみというよりは、満足できずにもっともっとと求めてイライラすること=不満足だと著者は言う。

 

ブッダは感覚器官からの刺激や意識に浮かぶことに対して、いちいち良い悪いを判断するな、イメージを作るな、物語を作るな。と言う。そんな妄想が集まった束が自我だと言う。

 

悟りとは、常に意識することで妄想のクセを抜け出して、自我を脱却すること。ブッダが言ったことは大変シンプルだ。

 

仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か

 

イワン・イリッチの死

イワン・イリッチ はロシアの官吏として、そこそこの地位と収入を得て、そこそこ綺麗でそこそこの家柄の女性と結婚する。関心事は仕事での出世と快適な私生活。子供ができて家庭生活の面で奥さんとのゴタゴタが絶えなくなると、世間体を保つ上で最低限の役割を果たすだけだと割り切って奥さんや子供たちと付き合う。面倒なことが起こると仕事があるからと家から逃げ出す。そのくせ、地位が上がって収入が増えると新しい家を買い、自分好みの家に改装して舞踏会を開き、良き家庭であることを世間に自慢したりもする。

 

仕事でも、人間関係は職務上必要最小限な付き合いしかしない。そして、ドライに割り切った人間関係をうまくこなせることが、ひとつの能力であるとさえ思う。組織内での出世を第一として、上司の意向に沿うように行動する。

 

そんなイワン・イリッチが自宅の居間を自分で改装している時に梯子から落ちる。そして、その時の傷が元で不治の病に侵される。職場の同僚は一応心配してくれてお見舞いに来てくれるが、職場の同僚としての立場上、必要最小限の役割を果たしているに過ぎないし、あわよくばイワンのポストを我が物にしようという下心が見え隠れする。妻が具合はどうかと聞いてくる言葉も、妻という役割をこなしていく上でのセリフにしか聞こえない。診察する医者も病名などの専門用語をこねくり回すばかりで、病気が命に関わる重大なものなのか、快方に向かっているのかというイワンにとって一番大事な質問には言葉をはぐらかす。

 

死に向かっているという不安に苛まれながら、誰もこの不安を正面から受け止めてくれない、これまでの生き方が全て間違っていたのではという疑いに苦しめられながら衰弱していく。

 

イワン・イリッチは私だ。50歳を過ぎて死を意識するようになった人に。

 

イワン・イリッチの死 (岩波文庫)

目玉焼き

休日の朝、私はいつも通り5時くらいには起きるのだが、他の家族は7時になっても起きてこない。これまでは先に起きる私が朝ごはんの準備をしてみんなが起きるのを待って全員揃って食べていたけれども、今朝はお腹が空いて待ちきれず、一人で先に食べることにした。

 

冷蔵庫の中身を確認すると卵がひとパックとベーコンがあったので目玉焼きを作ることにした。小さい方のフライパンを火にかけ、温まったところにオリーブオイルを垂らして卵を入れる。子供が生まれて以来、我が家では目玉焼きは一つ目玉と決まっていたが、休日のちょっとした贅沢ということで、本当に久しぶりに15年ぶりくらいに二つ目玉にしてみた。少々の後ろめたさを感じながらフライパンに卵を二つ落として白身の上にベーコンを2枚載せる。すぐに火を最小にして蓋をする。あとはしばらく待つだけ。その間にトーストを焼いて、目玉焼きの付け合わせにトマトとキャベツを切って皿に盛る。

 

3分ほどしてフライパンの蓋を開けると、黄身の上にうっすらと白い幕が張っている。指で押すとぷるっとする。いい具合に半熟になっているようだ。黄身を潰さないようにフライ返しを2本使って、慎重に、慎重に目玉焼きを皿に写す。塩胡椒をして完成。

 

トーストもちょうどいい塩梅に少し濃いきつね色に焼きあがる。すぐに食卓に運んで熱々の目玉焼きを焼きたてのトーストにのせて食べる。トロッと流れ出した黄身がパンに染み込んでうまい。もう一つの目玉はフォークですくってベーコンと一緒に食べた。

 

できたての二つ目玉の目玉焼きは思いがけないくらいおいしくて、妻には内緒の休日の楽しみになりそうだ。

 

 

 

いなばや 

妻と娘が出かけた土曜の夜、息子と二人で「いなばや」で晩御飯を食べてきた。

 

6時過ぎにお店に入ると、女性と男性のそれぞれお一人様がいた。我々の後にも、家族4人連れ、小学校低学年の男の子とお父さん。妙齢のご夫婦、など続々とお客さんが入ってきてほぼ満席に。立地条件が良い訳でもなく、特別なメニューがある訳でもない、多分ご近所さんしか来ない普通の街場のうどん屋さんがこれだけ賑わうというのは、何だか嬉しい。

 

ここは何を食べてに美味しいので、今日は何にしようかと真剣に悩む。ラーメンも良いし、いなりうどんもいい。天むすもエビ天が揚げたてでうまい。散々迷った挙句に、私は野菜炒め定食。息子はハントンライスを注文した。

 

もやしとキャベツが山盛りで豚肉が少し入った野菜炒めはウスターソースが味付けのベースになっている。ご飯が炊きたてでおいしい。ハントンライスに息子も満足していた。

 

歩いて行ける距離に、普通のご飯をおいしく食べられるお店があって何よりだ。

 

 

 

 

土井善晴の定番料理はこの1冊

片岡義男の「洋食屋から歩いて5分」の中に料理本を紹介する文章があって、その中でこの本を紹介していた。片岡によれば、この本のレシピの通りに作ると普通の家庭料理が驚くほど美味しくなる、というのだ。

 

本の最初に登場するポテトサラダを作ってみた。材料の重さをもきちんと計り、ジャガイモや卵の茹で時間レシピと寸分たがわずに作った。

 

ジャガイモ400グラムに対して、一本分のきゅうりもみや人参、玉ね技、ハム、ゆで卵2個が入るので、具沢山のポテトサラダだ。にんにくを入れる訳でもなし、コショウを大げさに効かせる訳でもない。普通だけどうまい。ご飯のおかずでも、パンと一緒でも合う。人参のしっかりした歯ごたえと、さらし玉ねぎのうまみ、ゆで卵のコクが効いている。

 

次は餃子を試したい。

 

土井善晴の定番料理はこの1冊

中動態の世界 意志と責任の考古学

現在の英語であれ日本語であれ、文法上は「私は〜する。」の能動態と「私は〜される。」の受動態の2つに分けて考える。しかし、はるか昔には、の能動態に対応するものとして中動態という形式があったそうだ。

 

能動態と受動態というのは、「私は意志を持って何かをなす。」のか。、「何者かによって私は何かをされるのか。」に分けて考える。それに対して、能動態と中動態の世界では、能動態は、私は何者がに対して何事かをなす。中動態は、「私はこういう姿勢・状態である」ことを示す。私は正気を失っている。驚いている。どうにかしている。歩いている。自然に、自発的に〜している。など自分の意志からの行動かどうかは横に置いといて、こういう状態だということを示すのだ。

 

著者はこの失われた中動態という枠組みをもとに、行動に先立つ意志って何なのかを考える。今の世の中、行動主体の意志とか責任を確定したがるけれど、意志ってそんなに意味があるの? 自分がやろうと思った訳でもないし、他人に強制された訳でもないけれど、行きがかり上そうなった、自然とそうなっちゃった、という状態もあるんじゃないかと考える。

 

人が何事かをなすにあたっては、過去の経緯やら他人の影響も大きいはず。能動と受動に分けてしまうと100%自分の意志か他人からの強制かの枠組みでしか考えられなくなってしまう。行動の原因となるのは、意志だけでなく、過去からの因果、他からの影響もあるでしょと著者は言います。

 

中動態の世界 意志と責任の考古学 (シリーズ ケアをひらく)

 

死すべき定め 死にゆく人に何ができるか

父は8年前に肺癌で亡くなった。6月の終わり頃に腰の骨を骨折して入院している時に首回りのリンパ節の腫れに気がついて念のためということで検査したら、末期の肺がんであることがわかった。先生にはもっても3ヶ月から6ヶ月でしょうと言われた。8月くらいまでは本当に癌なのかと思うくらい普通に暮らしていたけれど、病気が進んだためなのか、抗がん剤放射線治療の副作用なのか9月以降はどんどん弱っていった。10月に一度家に帰ったけれど、2週間後に辛くて耐えられないということで再入院。12月4日に亡くなった。

 

今でも後悔していることが2つある。一つは、父もまだ元気で自分で病気についてネットでいろいろ調べていた時に、代替医療を試してみようかなと言ったことがあった。私は代替医療はお金ばかりかかってあまり効果がなさそうと思っていたので、曖昧な返事をしてやり過ごしてしまった。賢い人だから自分に望みがないことはわかっていて、それでも藁にもすがる思いで言ってたのだろうに素っ気なく受け流してしたのだ。二つ目は、癌なのだからそういう治療するのが当たり前だろうと2回目の抗がん剤治療を受けたこと。1回目で全く効果がなく、しかも体にダメージを受けて衰えたのを見ていながら2回目に進んだ。受けなければもう少し元気なまま過ごせた時間が長かったのではと今でも時々思い出しては悔やんでいる。

 

この本は、医師である著者が自分の義理の母や父親の死に向き合いながら、幸せに死を迎えるかにはどうすればいいのか考えていく本です。人はいつか必ず死ぬ、死すべき定めであるにも関わらず、死んでいく人に何ができるかについては、そんな状況になって初めて考えることになる。お医者さんも病気を治療することを考えるが、死んでいく人が安らかに暮らすためにすべきことについてはあまり詳しくない。

 

老いて一人暮らしができなくなった母親を施設に入れたこと、癌で死にゆく父親を本人の希望を受け入れてギリギリまで自宅で過ごさせたこと。著者の体験も織り交ぜながら、死に行く人に何ができるかを考えていく。

死すべき定め――死にゆく人に何ができるか