ライト兄弟

今さらライト兄弟の伝記なんて、と思ったがアメリカでベストセラーになったというので読んでみた。今まで知らなかったことや意外なことがたくさんあって面白かった。

 

  • ライト兄弟は、1899年から飛行機の研究を始め、1900年から1902年にかけての3年間は飛行機を操作する仕組みを作り出し、動力が付いていないグライダーで実際に滑空テストを入念に行い、操作方法を身につけている。
  • 飛行機の翼の上面のカーブやプロペラの形は、自宅の工房に風洞を作り模型を使ってテストしている。
  • 当時、飛行機についての知見が集まっていたスミソニアン協会から文献を取り寄せて最新の情報に基づいて飛行機を設計している。
  • 動力飛行に初めて成功したのは1903年12月17日。ほんの40メートル足らずの距離しか飛んでいない。その日の最長飛行でも260メートル程度。私が知っているのはここまで。その後もライト兄弟はアメリカやヨーロッパで何度もデモ飛行を行い、最終的にはフライヤーⅢ号で1時間半を超える時間、高度800メートルで飛んでいる。兄のウイルバーは、ニューヨークでハドソン川沿いに飛んで自由の女神の周りを旋回している。

 

小さな街の自転車屋さんが、思いつきで飛行機に取り組んでたまたま成功したくらいに思っていたけれど、よく考えてみれば当時の自転車は最先端の工業製品。最新の情報もちゃんと取り寄せて、模型を使って実験もやって、グライダーで何度も滑空練習して空中での飛行機の操作方法も身につけてから動力飛行に挑戦している。

 

やるべきことをきちんとやって、成功すべくして成功したのだ。

ライト兄弟: イノベーション・マインドの力

マンチェスター・バイ・ザ・シー

この映画には悪人も登場しないし、ヒーローもいない。そこいらにいる普通の人たちが、巡り合わせでしくじってしまったり、神経質だったり、お酒を飲みすぎたりとそれぞれが何かしらの困難を抱えている。

 

そんな困難は一気に解決することもなく、心の奥底に押し込んだり、ぶちまけたりしながら、なんとか折り合いをつけて1日1日を暮らしていく。つらいことを抱えてぱっとしない毎日が続く。でも、時々はちょっといいことがあったり、クスッと笑える出来事もあることもちゃんと描かれる。

 

舞台となった、マサチューセッツ州マンチェスター・バイ・ザ・シーは海辺の小さな町。冬は灰色の雲に覆われて重苦しい天気が続く。でも、時々は息を飲むような美しい景色を見せてくれる。そんな映画、おすすめです。

 

www.manchesterbythesea.jp

 

 

薔薇の名前

舞台は1300年頃のイタリアのとある修道院。そこで修道士が殺される。院長はフランチェスコ会の修道士ウィリアムを招き事件の調査を依頼する。ウイリアムと彼の弟子アドソは修道院内で調査を始めるが、その中でも次々と修道士が殺されていく。事件の鍵は古今東西の本を収蔵する文書館。

 

 馴染みが薄い中世のキリスト教修道院の話で、400ページの大部が上下2巻と読むのに苦労するかと思いきや、小説の世界にグイグイ引き込まれる。

 

中世への興味を掻き立てられる本です。 

薔薇の名前〈上〉

薔薇の名前〈下〉

私の実家は海のすぐ近くにある。

 

歩いて3分で海岸に着く。夏になると、家で水着に着替えて浮き輪を腰にセットして海まで歩いた。午前中から泳ぎ始めると、昼頃に母がおむすびとスイカを持ってきてくれる。それを食べて夕方まで泳ぐ。

 

昼間は暑いので、夕方、日が傾いた頃から泳ぐこともあった。5時過ぎくらいにやおら海岸に行ってしばらく泳ぐ。海にプカプカと浮かびながら日本海に沈んでいく真っ赤な夕日を眺める。太陽から自分に向かって一本の光の道ができる。日が沈んだ後に空が一瞬真っ赤に染まり、藍色から黒へゆっくりと変わっていき、星が瞬き始める。そんな景色を眺めながらおむすびと重箱に詰めたおかずの晩御飯を食べる。その頃には心地よい風が陸から沖に向かって吹き始める。風があるので蚊に刺されることもない。

阿含経典 3

増谷文雄が阿含経典の中から重要なものや、釈尊の言葉をよく伝えている文章をを選んで解説し現代語訳したもの。中部経典と長部経典、釈尊の入滅を扱う。

 

中部経典の一夜賢者経から、

過ぎ去れるを追うことなかれ

いまだ来らざるを念うことなかれ

過去、そはすでに捨てられたり

未来、そはいまだ到らざるなり

されば、ただ現在するところのものを

そのところにおいてよく観察すべし

揺るぐことなく、動ずることなく

そを見きわめ、そを実践すべし

ただ今日まさに作すべきことを熱心になせ

たれか明日死のあることを知らんや

誠に、かの死の大軍と

逢わずというは、あることなし

よくかくのごとく見きわめたるものは

心をこめ、昼夜おこなることなく実践せん

かくのごときを、一夜賢者といい

また、心しずまれるものというなり

 

入滅の際の、釈尊の最後の言葉

諸法は壊法である。放逸なることなくして精進せよ。

 

大事なところを選んでいるので、口伝えで受け継がれてきた文章独特のしつこいくらいの繰り返しの部分が省かれている。元々の経典のリズムを感じられないけれど手っ取り早く理解するにわかりやすい。

 

原始仏典を一通り読んで感じるのは、釈尊の教えは全然古びていないということ。心穏やかに過ごすためにどうすればいいのか、その実践方法は今でも十分に通用する。

阿含経典〈3〉中量の経典群/長量の経典群/大いなる死/五百人の結集 (ちくま学芸文庫)

宝箱 1円以上入っている

朝のランニングで、近所の小学校のグランド横を通ったら、グランドを囲う塀の上に菓子箱のような白い箱が置いてあった。上蓋に鉛筆書きで「宝箱」と大きな字で書いてある。その後に「1円以上入っている」と続いている。

 

「なんだこれ。」と思わず立ち止まってしまう。蓋を開けようか3秒くらい迷う。この箱を残した人は、蓋を開けさせるために「宝箱」とか「1円以上入っている」と書いたのだろう。嘘つくなら100万円と書くだろうから、多分1円玉は確実に入っている。ギョッとさせるような物も一緒に入っているはずだ。鳥の死骸か犬の糞か、そんな類の物。

 

とここまで考えたところで、そのまま走り出す。それだけの事だけれど、家に帰ってからもあの箱には何が入っていたんだろうと気になる。

自由への旅

ミャンマー上座部仏教の僧侶であるウ・ジョーティカ師が、ウィパッサナーと呼ばれる上座部仏教で伝統的に行われている瞑想法の詳細を述べた本。オーストラリアで行われた瞑想についての連続講義をまとめたもの。仏教のバックグラウンドがないオーストラリア人を相手に語る内容なのでわかりやすい。

 

瞑想の深まり具合を11の段階に分けて詳しく解説する。噛んで含めるように丁寧に解説してあるので、瞑想を実践している人にとっては非常に有効な指針になる。

自由への旅: 「マインドフルネス瞑想」実践講義

七福 7月1日 18時

妻のお客さんが来るので、土曜の夕方は2時間ばかり家の居間を開けなければいけない。寝室でじっとしてしていてもいいのだが辛気臭いので街に出かけた。武蔵ヶ辻のドトールで本を読もうかとも思ったが、七福で刺身をつまみに燗酒を呑むことにした。

 

開店時刻の18時ちょうどに店に入る。今日は朝から激しい雨が続いていたからなのか他のお客さんは誰もいない。カウンターの一番奥、テレビの前に座る。ガンドの刺身にしようか、生鯖のたたきにしようか、赤いかもいいなと思ったが、岩牡蠣にした。今日は能登産が入っているとのこと。燗酒2合もお願いする。

 

つき出しは太きゅうりのあんかけ。あんが薄めであっさりして私の好み。お父さんによると、牡蠣は難しいらしい。見た目は殻が大きくても、開けて見たら身が小さいことも結構あるらしい。あまりに小さいとお客さんに出せないので家で食べるそうだ。お母さんは、岩牡蠣の小さいのはオリーブオイルで炒めて食べると贅沢なことを言っていた。

 

今日の岩牡蠣は殻の見た目通りの身の大きさ。包丁で二つに切り分けてくれたけれど、それでも大きくと一口では食べきれない。レモンだけで食べる。

 

他にお客さんもいないので、久しぶりにじっくりお話ができた。内容はたわいもない猫自慢。お二人は拾ってきた茶トラを2匹買っているそうだ。ずっと犬を飼っていたけれど猫は初めて。猫も可愛いねとお互いの猫の写真を見せ合って自慢する。

 

燗酒を1合と鯵の南蛮漬けを追加で注文。小鯵の南蛮漬けかと思いきや焼き魚にするような立派な鯵が2尾も出てきて驚いた。しっかり揚げてあるのでよく噛めば骨まで食べられた。

 

最近はいつ来てもお客さんがいっぱいだったので、足が遠のいていたのだが、今回はじっくり飲めていい気分だった。

父 吉田健一

吉田暁子さんが、父である吉田健一との思い出を綴った本。

 

吉田健一の旅の随筆を読むと、汽車の乗る前から銀座の小川軒で酒を飲み始めて汽車の中でもずっと飲み続けて、目的地の宿に入ってからも飲んで、次の日も飲んで、帰りの汽車の中でも飲む。とにかく呑んだくれてばかり。普段の生活でも毎日相当な量を飲んでいるイメージがあったが、この本によれば、普段の日は家では酒を飲まなかったようだ。

 

ただし、健一は週に一度外に出かけて飲む日があって、その日は家に帰って奥さんや暁子さんを相手に静かに飲み直していたことが書かれている。また、暁子さんが20代の頃、雪の降る日に何かの用事でふたり出かけて、帰りに銀座の辻留に立ち寄りサシで飲んだことも大切な思い出として「早過ぎた雪見酒」に書かれている。

 

父親とサシで飲んだことあったかなと、自分のことを振り返ってみる。高校から家を出ていたので、たまに帰省した時に母や弟夫婦、私の家族とご飯を食べて酒を飲む機会はたくさんあったが、父と2人っきりでじっくり話しながら酒を飲んだことは一度もなかったように思う。仕事がら若い時から外で飲むことが多かったからなのか、私が酒を飲むようになった頃には、家で飲むほうがいいと言って、2人で居酒屋に行ったこともない。ふたりで飲んだのは、母が出かけた休日に父が冷蔵庫からビールと竹輪、押入れから焼酎の一升瓶を引っ張り出してきて、竹輪をかじりながら、焼酎をビールで割って飲んでいる時に、ご相伴に預かったくらいだ。テレビを見ながらだったので大した会話もなかった。今更言ってもどうにもならないのだが、無理矢理機会を作ってでも2人で飲みに行けばよかっと思う。

 

父・吉田健一

岩波講座 日本歴史 第5巻 古代5

ようやく平安時代院政期まで読了。今から約1000年前だ。縄文時代の前から歴史を通読してくると、1000年前が身近に感じる。たった30世代前のことじゃないか。

 

律令制度によって確立した天皇を中心とする公的な政治の仕組みが、有力寺社や摂関家などとの私的な関係による支配に蚕食され、租税徴収などの実際の支配が受領にアウトソースされて行く。

 

興味を持って読んだのは仏教の動き。宋から密教浄土教を取り入れて、独自に発展させていき、宋で仏教が迫害されて衰えた時に逆に仏典などを送っている。例えば源信の往生要集。これは、極楽往生するためのマニュアル本で、様々な仏典を引用して地獄の様子を事細かに描写してあるという。我々が「地獄」と聞いた時にイメージする映像、血の池獄や針地獄などの元となっている本だ。

 

洞窟の中に地獄絵図を再現したハニべ岩窟院は小学校の時のおきまりの遠足コースだったけれど今もやっているのだろうか。

 

古代5 (岩波講座 日本歴史 第5巻)

 

大甚 16時30分

久しぶりの名古屋出張。早めに仕事が終わったので、迷うことなく伏見の大甚へ直行。16時過ぎに着いた時には既に店内は大賑わい。暑い中、名古屋の街を一日歩いて喉が渇いたので先ずは生中。つまみは、マカロニサラダと茄子の揚げ浸し。一息ついて周りを見回すと、前方には70過ぎのおじさん6人組が宴会。後方には、クソ暑いのに毛糸の帽子やらベレー帽被ってヒゲ生やした若者たち8人組の飲み会。私が座ったテーブルは、お一人様のおじさんが私も入れて3人と、男女二人連れ。まだ5時前だというのに沸いた沸いたの大騒ぎ。

 

サクッとビールを空けて、賀茂鶴の大徳利を燗でお願いする。つまみはマグロ刺身。ここの燗酒は樽の香りがして何度飲んでもうまい。最初からこれにしとけば良かった、と思うくらいうまい。

 

お勘定はいつものシャネルのメガネのお父さんでなくて女性の方がでっかいそろばんで計算してくれた。シャネルのお父さんは入口で声かけ役になった模様。

 

何度来てもここは居心地いい。

キャッチボール

浪人中の息子が、藪から棒にキャッチボールがしたいと言い出した。

 

「いいね。やろう、やろう。」と答えたものの、よく考えたらうちにはグローブもボールもない。私自身は、小学生の頃は学校が終わると友達と野球ばかりしたいたし、その頃はプロ野球も好きで見ていたが、中学生になってからは、野球をすることが全くなくなったし、テレビでナイターなんかを見ることもなくなった。息子が小学生の頃には、こちらから野球を教えるとかキャッチボールをやらせたことも一度もない。だから、息子は高校までは野球を全然知らなかったようで、バッターが打った後は、右側に走るのか、左側に走るのか私に聞いてきたことがあった。

 

そんな息子が、最近BS放送の野球中継をよく見ていると思ったら、少しルールがわかるようになって、野球に興味が出てきたのだそうだ。それで自分でもやりたくなったとのこと。

 

とりあえず、グローブと軟式ボールを買いにスポーツデポに行った。本格的なグローブは安くても1万円くらいからで、高いのは5万円くらいのもある。50過ぎのおじさんと、自宅でゴロゴロしている浪人生が暇つぶしにキャッチボールをするだけなので、そんな本格的なのはいらない。売り場をウロウロしていたら、3千円のお遊び用のグローブがあったのでそれを二つと、2個で699円の練習用軟式ボールを買った。

 

次の問題は家の近所に大人がキャッチボールできるような場所がないことだ。近所の公園では、子供ならまだしも大人が一生懸命キャッチボールを始めれば近隣の人に怒られそうだ。ご近所の手前、家の前の路上というわけにもいくまい。小学校のグランドも開いていないだろうし、浅野川の河川敷も狭い。

 

仕方がないので、車に乗って卯辰山のてっぺんにある運動場に行くことにした。あそこなら周りに民家はないし、夕方なら他の人もいないだろう。2人で準備をしていると、娘も学校でソフトボールをやっているところなので私も行きたいという。娘も連れて行くことにした。

 

娘が幼稚園の時に買った子供用のグローブをどこからか引っ張り出してきていた。運動場で3人で三角になってキャッチボールを始める。息子はぎこちないところもあるが、普通にボールを受けて投げることができる。娘はボールを投げるのは上手だが、ボールが怖いのか受け取る時に腰が引けている。ボールを受けるときは体の正面で両手で受け取るように、とか、ゴロは腰をしっかり落として受けるようにとか教えながら3人でボールを回す。娘はグローブだけひょいと差し出してボールを取ろうとするので、グローブを外して素手でボールを受け取る練習もやらしてみた。

 

すぐに飽きるかと思っていたが、やり始めると楽しい。1時間があっというまに過ぎて汗だくになった。私は木陰で休憩して、2人でキャッチボールをやっている姿を側で眺めていた。この歳になって息子と娘がキャッチボールする姿を見ることになるとは思わなかった。

 

これからも時々キャッチボールをやろう。次はバッティングセンターへ行くのもいいかもしれない。 

Curio

横安江町商店街にあるCurioは経営者が海外の方だからなのか、欧米からの旅行者が多い。一方では商店街のおじさん、おばさんもふらりと立ち寄ってコーヒーを飲んで行くので、店内は英語の会話と日本語の会話が飛び交う独特の雰囲気。カフェラテも美味しいけれど私はアメリカーノにすることが多い。アメリカーノを頼むと濃いのと薄いのどちらにしますかと聞かれる。いつも濃いのでと答える。そんなに苦くなくスッキリして飲みやすいコーヒーだ。アメリカ風の大きなカップで量もたっぷり出してくれる。カウンターのガラスケースには、クッキーやビスコッティー、パウンドケーキなどがある。ここのチョコチップクッキーは大きくて食べ応えがある。

 

コーヒーとクッキーを注文して、商店街に面した席に座る。通りを歩く人をぼんやりと眺めながらコーヒーを飲んだり、店内の賑やかな会話を感じながら書き物をするのが心地よい席だ。

 

休日は次々にお客さんが入ってきれ賑わっているので、長居は迷惑かと思い30分くらいで切り上げる。

ドトールコーヒー 19時30分

仕事帰りにドトールコーヒーに立ち寄る。ジャーマンドックとブレンドコーヒーのMサイズを頼む。奥にある丸くて大きなテーブルの左端に座る。このテーブルは大きくてしっかりしているのでノートや本を広げられるのが気に入っている。書き物をしたり、じっくり本を読みたい時にはありがたい。店内には、仕事帰りのサラリーマンと思しき男性が3人と女性2人。本を読んだり、教科書とノートを広げて何かの勉強をしたり、スマホをいじったり、それぞれが、それぞれのやり方で過ごしている。居酒屋のこれから飲むぞっというような解放感に溢れた感じではないが、仕事が終わってホッとして、落ち着いた時間が流れている。

 

ここのジャーマンドッグは210円。外側がパリッとしたパンにソーセージを挟んでからしを添えただけのシンプルなもの。シンプルだけどうまい。クッキーやらケーキは食べたくないけれど何かお腹にいいれたい時に食べる。

 

40分ほど書き物をして店を出た。  

 

 

仏教思想のゼロポイント(再読)

 目で見る、耳で聞く、鼻で匂う、舌で味わう、肌で感じる、頭で意識する。感覚器官から入ってくる刺激に対して、人は常に、快く感じる、不快に感じる。好きだと思う、嫌いだと思う。自分にとっていいことか悪いことなのか判断している。その判断をもとに、それぞれの物語を紡ぎ出す。そして、その物語を実体化して、思い通りになれば有頂天となり、思うようにならないと満足できずに苦しむ。一切皆苦の「苦」は肉体や精神の直接の苦しみというよりは、満足できずにもっともっとと求めてイライラすること=不満足だと著者は言う。

 

ブッダは感覚器官からの刺激や意識に浮かぶことに対して、いちいち良い悪いを判断するな、イメージを作るな、物語を作るな。と言う。そんな妄想が集まった束が自我だと言う。

 

悟りとは、常に意識することで妄想のクセを抜け出して、自我を脱却すること。ブッダが言ったことは大変シンプルだ。

 

仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か