精神の危機

 ポール・ヴァレリー(1871ー1945)はフランスの詩人、作家、批評家。この本は19世紀以降、科学技術万能となり、大衆化したヨーロッパの精神が危機的状況にあることを憂えた評論集となっている。第一次世界大戦を経験した観点から独裁にたなびく社会の流れも心配している。

 

新聞やラジオの発達により、人々が手に入れる情報量が大幅に増えたことについて、

形容詞の価値が下落します。広告によるインフレ効果で、最大級の形容詞が力を失墜しています。誉め言葉も罵り言葉も危機的状況にあります。人を誉めたり、けなしたりするのにどういう言葉を使ったらいいか四苦八苦するありさまです。

 それに出版物の多さ、日々印刷され、配布される物の多さ、それらが朝から晩まで、判断や印象を強要し、すべてを混交し、こねまわすので、我々の脳みそはまさに灰色物質と化してしまうのです。もはやそこでは何も持続したり、支配したりできません。奇妙にも、我々は新しいものを見ても無感動、驚異や極端なものに触れても倦怠感を覚えるのです。

100年前にこんな状態だ。今はもっとひどいことになっている。スマホのおかげで、ニュースサイトやSNSで四六時中、世界のこと、知り合いのことを知ることができるようになって確かに便利になった。まとめサイトまとめサイトまとめサイトまであって読み物にはことかかない。でも、知らなくてもいいようなことまで知ることになり、そのことにいちいち反応して注意力を少しづつすり減らしていく。1日終わってみると目が疲れる。罵り言葉を読めば心がささくれ立つし、どうでもいいことばかり読んでしまったという後悔に沈み込む。

 

なるべくネットを見ないようにと思って、4年前にスマホをやめてガラケータブレットの組み合わせにした。胸元からスマホを取り出すのと、カバンを開けてタブレットを取り出すのは、ほんのちょっとした違いだけど、反応する頻度がめっきり減る。そのおかげで、ぼんやりする時間が増えた。電車に乗っても外の景色を眺めながら考えるでもなく考え事する時間、本を読む時間が増えた。こんなに違うもんかと思った。

 

と言いながらも、やっぱり便利なんで結構どっぷり浸かっていますけどね。

 

精神の危機 他15篇 (岩波文庫)

精神の危機 他15篇 (岩波文庫)

 

 

 

お絵かき

先週から鉛筆デッサンを始めた。これまでに4枚描いた。1日1枚描いていくつもりだ。林檎、コーヒーカップ、湯のみ、ティッシュケースを描いた。思ったように描けなくてイライラしたり、出来上がってみたら意外といい感じでニンマリしたり。誰に見せるわけでもない、お気楽に描いている。こんなに真面目に絵を描いたのは高校の美術の時間以来だ。

 

お気楽にと言いながらも、始めてみるとちゃんと描いてみたいと思う。まずは道具だてから。東急ハンズでマルマンのA4サイズのスケッチブックと3Bから3Hまでの鉛筆を揃えた。今日は「デッサンの基本」という本をアマゾンで注文した。

 

続けて描いてみて、絵を描くことと文章を書くことは似たところがあると思った。目で見たことを形や色で紙に表すのが絵、言葉を選んで組み合せて伝えるのが文章。どちらも自分の感じたことをその通り過不足なく伝えるのが難しい。腕の見せ所だ。どうやって表現しようかと考えながら着手してうんうん唸りながら一方は形や色を選んで組み合わせる、もう一方は言葉を選んで組み合わせる。試行錯誤しているうちに自分が思っていた以上のものが出来上がったり、思わぬ方向に進んだりするところも似ている。どちらも始めると夢中になって時間を忘れてしまう。

 

何気なく見ている風景の見え方が変わった。この部分を描いたら面白いだろうなとか、前を歩いている人の洋服のひだをどうやって描こうかなど知らず知らずのうちに考えている。

 

お絵かきは思いがけず面白い。

泥縄

10月29日の金沢マラソンに向けて、やや泥縄のきらいはあるが9月から走り込みを続けている。申し込みが完了した6月末の時点ではあと4ヶ月もある、10Kg体重を落せば完走は簡単だろうと高を括っていた。週に3、4回のペースで5Km走ってきたが、夏場のビールの飲み過ぎがたたり体重は1gも減らなかった。これはまずいと9月になって少し涼しくなってから走る距離を伸ばしつつ、減量も意識してきた。

 

平日はこれまで通り5km走り、週末に走る時間を伸ばしてきた。9月の中旬から毎週1時間、2時間と連続して走る時間を伸ばし、今週は3時間連続して走った。今の所、キロ7分はかかっているので、うまくいってマラソンを走りきるのに5時間はかかる計算になる。2時間近く走っていると足の筋肉が悲鳴をあげる。先週は二日続けて20キロ走ったら、3日後に右足の親指の爪がペロンとはがれたて驚いた。

 

今週は、東山の交差点から茶屋街の裏を抜けて浅野川の右岸を天神橋、常盤橋まで行って、常盤橋を渡って左岸に、そこから川沿いの道を上田上橋まで遡り、山環を経て田上本町を通り朝霧大橋手前のコンビニから旧道に入る。旧道を浅野川沿いに銚子町、浅川町、袋板屋町まで。そこから湯涌温泉に通じる県道をたどった。湯涌温泉まで3kmの看板のところで走り始めてから1時間半が経過したので、そこから引き返す。帰りは下り坂なので楽かと思いきや、足がガクガクして力が入らない。ゆっくり、ゆっくり踏みしめるように一歩ずつ前に進み、最後はヨロヨロになりつつもなんとか走りきった。

 

あと2週間しかないけれど、なんとか完走できるようにもう少しジタバタしてみる。

ロンドン・ペストの恐怖

 「ロビンソン・クルーソー」の著者ダニエル・デフォーが1665年にロンドンでペストが大流行した時の様子を淡々と描写する。

 

「私」がペストが猖獗を極めるロンドンを歩き回り、その様子を綴る体裁になっている。しかし、デフォー本人は1660年生まれであり、ペストの大流行は5歳の時。大人になってからペストのことを調べて書き上げたのだろう。ちなみに出版は1722年だ。

 

当時のロンドンの人口は約50万人、そのうちペストで死亡した人約4万人。実に八人にひとりが死亡したことになる。一家全員が死んでしまい死体を運び出す人がいなくなったとか、あまりに死ぬ人が多くて死体を埋葬する巨大な穴を掘ったとか、死体を運搬する馬車の御者が、急にペストを発症して馬車に乗ったまま死んだとか、目を背けたくなるような光景が繰り広げられる。

 

一方で、貧しい船頭がペストを発症した妻と子供のために毎日食料と僅かばかりのお金を家に届け、自分は感染を避けるために船の上で寝泊まりする話や、ロンドンから集団で避難して近郊の森で仮設テントを建てて暮らす話など、貧しい人々が周りの情けに支えられてなんとか生き延びる様子も綴られている。

 

また、ペストが流行し死が目の前に迫っている間は、日頃は仲が悪い英国国教会の牧師達と非国教会派の牧師たちが協力して教会の運営に当たったとある。

つまり、死がさし迫ってきたときには、お互いに立場は違っていても善良な人々はたちまち手を取りあえるということだ。

 いまの世の中ではだれもがのほほんと暮らしていいて、面倒なことには首を突っ込みたがらない。わたしたち市民が分裂して、敵意や偏見にとらわれたままでいることや、隣人愛に亀裂が入り、キリスト教会がいまだに統一されていないのはおもにそのせいだろう。

 

危機のもとで日頃の見栄や立場を脱ぎ捨てて、素直に他人と向き合う様子が力強い。

 

ロンドン・ペストの恐怖 (地球人ライブラリー)

 

ゾルゲの見た日本

 ゾルゲがドイツの新聞記者として発表した日本に関する記事とロシアのスパイとして本国に送った通信文が収録されている。

 

「日本の軍部」という記事の冒頭に

この重大な情勢下で日本には政治の指導者がいない。すでに多年来、政府は内蔵する力も決意も持たない、軍部と官僚と財界と政党の諸勢力のまぜものに過ぎないのである。

思い当たる節が。

 

「日本の膨張」では、古代、中世、近世を通じて日本の領土拡張は朝鮮半島とその背後に控える中国を目指していることを示す。そして、あまりにも人口が多く文化的にも同程度の中国を制圧できたとしても植民地経営はできないと言う。

中国はあまりにも人口が多くまた文化的に日本と同程度なので、日本は大陸に植民帝国を作ることはできない。日本の膨張は大陸の形式的に「独立した地域」を軍事、経済、政治の各方面に渡って支配することを目的としている。日本は侵略者であるが決して植民者ではないのである。

 

ジブリの「風立ちぬ」では、避暑地のシーンでゾドイツ人が登場するのですが、この人がゾルゲをモデルにしているように思えてなりません。彼の「もうすぐ日本は破裂する。」と言うセリフにあんまりそんな言い方しないやろと違和感を感じていました。ゾルゲが言う「日本の膨張」に対する「破裂」であれば、なるほどと納得できます。

 

ゾルゲの見た日本【新装版】

ゾルゲの見た日本【新装版】

 

 

地獄極楽絵図

笠市町の照円寺で春と秋に公開される「地獄極楽絵図」を見てきた。十数年前に知り合いから、親の言うことを聞かない子供を連れていくと結構効き目がある。と聞きいつかは子供と一緒に来ようと思っていたけれどなんとなく機会を逃してしまい、今や下の子が中学2年生。さすがに閻魔様に舌を抜かれると脅しても効き目はなさそうなので妻と二人で散歩がてら出かけてきた。

 

地獄には下記の8つの段階があり、それぞれの様子が詳細に描かれている。阿鼻地獄が一番過酷な地獄らしい。

 

等活地獄(とうかつ)→黒縄地獄(こくじょう)→衆合地獄(しゅうごう)
叫喚地獄(きょうかん)→大叫喚地獄焦熱地獄大焦熱地獄
→阿鼻地獄(あび)

 

「阿鼻叫喚の巷」という言い方は地獄の名前から来ているのを初めて知った。地獄絵を見た後に極楽の絵をみると、確かに「悪いことせんようにしよ。」と思う。

 

人の死体が朽ち果てていく様を眺めて、この世の無常を実感する修行の図もショックだった。十二単をきた女性が死に、死体がどす黒く変色して、元の3倍くらいに膨らんで、鳥に食われて、骨だけになっていく様子が詳しく描写されている。この修行をして弟子たちがあまりにショックを受けて自殺者が続出したので、釈尊は自殺を禁止したという話が原始仏典にあったことを思い出した。

 

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世界マヌケ反乱の手引書 ふざけた場所の作り方

お金がなくても楽しく生きていける場所を作りましょうという本。そのための具体的な方法を教えてくれます。

 

まずは、大晦日の山手線の中で勝手に宴会する。一升瓶とちゃぶ台を車両に持ち込んで、「あけましておめでとう。」とか言いならが電車に乗り込んで来た人にも振舞い宴会して友達になってしまう。大晦日ということもあり居合わせた人も意外とのってくれるそうだ。

 

あとは、駅前で呑み会を告知するビラをまいて知らない人同士で大宴会するとか、路上で物を売って見るとか、居抜きの居酒屋物件を借りて、店主を日替わりにしてそれぞれの店主が家賃を負担させることで、たいして儲からないけれど赤字にならない居酒屋を経営するとか。リサイクルショップを経営してみるとか。

 

金を稼ぎまくって金を使いまくるのでなく、なんかよくわからないけれど金を使わず楽しんで生きていくのが「マヌケ」。フリーマケットに出てみようかという気持ちになります。

世界マヌケ反乱の手引書: ふざけた場所の作り方 (単行本)

須賀敦子全集 第3巻

ユルスナールの靴」、「時のかけらたち」、「地図のない道」のほか、1993年から1996年に発表されたエッセイが収録されている。

 

「時のかけらたち」の中の「ガールの水道橋」が良かった。日本のフランス語学校で、フランス人のジャックと知り合いになる。ジャックがフランスに帰る。1年後にパリに住むジャックを訪ねる。さらに1年ご、故郷のニースに帰って結婚することになったジャックを訪ねる。その時にジャックが2馬力を運転してガールの水道橋を見に連れて行ってくれた。という話。

 

文学をやりたいと思いながら日本に来たものの、将来が全く見えないジャック。イタリア人の夫を亡くして、ミラノでの生活を全てたたんで先の見通しのないまま日本に帰って来た須賀。異国で生活して宙ぶらりんになった者同士の会話が心にしみる。

須賀敦子全集〈第3巻〉 (河出文庫)

夜明けの約束

著者のロマン・ガリは、1914年にリトアニアユダヤ人の両親のもとに生まれる。父親はロシア軍に入隊し、母ひとり子ひとりの家庭で育つ。12歳の時にワルシャワへ引っ越し、14歳の時に母ともどもフランスに帰化する。第2次世界対戦では自由フランス軍に参加し航空士として働く。戦後、フランスの外交官として活躍し、国連代表やロサンゼルス総領事を務める。戦争中から小説を書き始める。1958年に「勝手にしやがれ」で有名な女優ジーン・セバーグと出会い結婚する。1970年に離婚するまで夫婦として過ごす。1979年に、ジーン・セバーグがパリの路上の車の中で遺体となって発見された1年後、「夜明けの約束」の決定版を刊行し、パリの自宅でピストル自殺。

 

この経歴を見ただけで、ロマン・ガリってどんな人なのか興味湧いてきませんか。

 

この「夜明けの約束」はロマン・ガリの自伝的小説。戦争の足音が忍び寄る中、なんとか息子を移住先のフランスで立派に育てたいという母親の息苦しいくらいの愛情。その愛情になんとか応えようと苦闘するガリ。二人のそんな半生がつづられる。

 

人目をはばからない母親の愛情に振り回されることって、男性なら程度の差こそあれ、思い当たる節はあるだろう。身寄りのない異国でたった一人で息子を育てなきゃいけないとなれば、なりふり構わず息子を大事にしよるとするのは当然かもしれない。桁外れの母親の愛情と、それに振り回され迷惑に感じながらも、母親を受け入れざるを得ない息子。母子のそんなすったもんだが、悲しくもユーモラスに書かれている。

 

フランスとアメリカでベストセラーになっただけあって、読み始めるとグイグイ引き込まれた。カリフォルニアのビッグサーの海岸でアザラシと対峙しながら、昔を思い出すという設定もまたいい。人里離れたビッグサーの荒涼とした風景が目に浮かぶ

 

夜明けの約束 (世界浪曼派)

マラソン

今年、金沢マラソンに申し込んだら当選した。参加料も払い込んだ。6月から少しづつ走ったり、筋トレしたりして準備をしてきたつもり。でも、体重が全然減っていない。15キログラムくらいオーバーしている。本番まで残り1ヶ月あまり。せめて5キロは落として本番に臨みたいと思っている。この3連休は、毎日1時間走ったのだけれど、実家の秋祭りに行ってたらふく酒飲んだので、今朝体重を測ったら横ばい。体重は減っていないけれど、体幹を中心に筋トレしているのでお腹は引き締まって、ベルトの穴もひとつ詰めた。

 

昨日本番に向けて、長袖のシャツやらタイツをスポーツ用品のお店で物色してきた。大会が近づいてきたからなのか、マラソン用品を買い求める人で賑わっていた。少し涼しくなったからなのか、朝晩は街中を走っている人が、目立つようになった。

 

あまり走り込み過ぎると、右膝が痛くなるので無理をしないようにやわやわと走っている。どういう具合に一歩を踏み出せば一番負担が少ないか、楽に前に進めるかを考えながら走っている。体全体の力を抜いて、リラックスして走ると楽に前に進めるように思う。

プラハの墓地

「シオン賢者の議定書」という20世紀初め頃に流布され、世界中に大きな影響を与えた文書がある。史上最悪の捏造文書とも言われるもので、ユダヤ人の指導者たちがプラハの墓地に集まって行った秘密会議の内幕を描き、その会議で、ユダヤ人が世界支配を目指すことを確認したという内容だ。

 

世界各国で翻訳され、 ナチスユダヤ人迫害にも影響を与えたと言われている。日本語にも翻訳され、戦前、戦後の日本人のユダヤ人観にも影響を与えている。

 

この「プラハの墓地」はウンベルト・エーコが「シオン賢者の議定書」が、主人公のシモーネ・シモーニによって捏造される過程を19世紀末のイタリア、フランスの実際に起こった事件を織り交ぜながら描いた小説。主人公以外の登場人物は全て実在の人物だ。

 

○○人は〜だ。とか○○県民は〜だ。というようなものの言い方には気をつけたい。○○人という括りに、合理性があるわけでもなく、それぞれが信じたい都合のいい内容を繰り返し言っているに過ぎないことが多い。もちろん全員に当てはまるわけもない。引っ込み思案のアメリカ人、きっちりしてないドイツ人はいる。

 

特定の集団にある一定の傾向があるにしても、それが素晴らしいとか、ダメだとか一概に言えるわけでもない。いい面があればそれと裏腹に悪い面が必ずある。

 

どこの国もそこそこ同じくらいと考えておけば間違えることもない。

 

プラハの墓地 (海外文学セレクション)

柿の葉寿司

9月16日、17日は実家の秋祭り。石川県の加賀市あたりでは、秋祭りには柿の葉寿司を作ることになっている。その年に収穫した新米を寿司にして腹一杯食べるのだ。

 

酢でしめた鯖や鮭を柿の葉っぱの上に置いて、その上に、一口大に軽く酢飯をのせる。酢飯の上には、紅生姜、干しエビ、青く染めた海草をのせる。この青く染めた海草は、柿の葉寿司でしか使ったのを見たことない。

 

あとは押し寿司の型に入れて半日ほど熟成させれば完成。翌日になって鯖の油が寿司全体に回った頃が私は好み。

 

5合の米で、60個くらいできた。

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ありがとう、トニ・エルドマン

コンサルタント会社でバリバリ働いている娘。少し頑張りすぎの娘を心配して、父親が娘の勤務先であるルーマニアブカレストを突然訪ねるというお話。

 

悪ふざけする父親はそんなに面白くないし、パーティで場違いな会話をすると娘の立場でイライラする。まとわりつく父親と娘は最後までギクシャクしているけれど、少しずつ近づいていく。

 

ハリウッドや日本の分かりやすい映画に慣れていると、話の展開が微妙すぎて物足りないと思ったのですが、映画館を出て歩きながら振り返っているうちに、じんわりと効いてきました。

 

映画『ありがとう、トニ・エルドマン』公式サイト

肉じゃがと鯖の味噌煮

野崎洋光さんの「美味しい法則」を見ながらその通り作ってみました。

 

この本では、肉や魚、野菜も調理する前に一度お湯をくぐらせることを勧めている。アクも取れるし味も染み込みやすくなる。

 

肉じゃがは、ジャガイモも人参も糸こんも湯通しする。その後に同じお湯で豚バラ肉も霜降りする。野菜はひとくち大と少し小さめに切ってあるので、煮込む時間は短め。食べてみると、確かにスッキリした味わいで、肉も肉の味、食感が残っていてうまい。

 

鯖の味噌煮も、まず鯖の切り身を湯通しする。味噌や酒などの調味料をあらかじめ混ぜておいて、鯖を入れてから火にかける。煮込むのは5分くらい。付け合わせに長ネギとゴボウも一緒に煮る。まことに上品な、スッキリした味わいの味噌煮でした。

野?洋光が考える 美味しい法則

移民の運命 同化か隔離か

イスラーム世界の論じ方」の中で、池内恵さんが言及していた本。

 

著者のエマニュエル・トッドは人類学者で、フランスの国立人口統計研究学院資料局長。

 

移民がどのように受け入れられるかは、受入国側と移民側それぞれの社会システムによって決まる。社会システムというのは、家族制度のこと。つまり兄弟が平等に親の遺産を相続するのか、長男が全て相続するのか。女性の地位は強いのか、弱いのか。父親の権威が強いのか、弱いのかなど。

 

フランスは、普遍主義(=人種や民族を超えて、基本的に人間はみんな平等という考え)の国で、北アフリカからであれ、黒人であれ、アジア系であれ、移民と結婚して何世代か後には同化してしまう。これは兄弟が平等に相続するという家族制度から、人は平等という考えが基底にあり、移民ともこだわりなく結婚できることによる。ラテン系の国、ロシアや中国もこのタイプ。

 

一方、イギリスやアメリカは、差異主義(=人種や民族によって人間は違うという考え)の国。親の遺言によって誰がどう相続するかが左右されることから、人によって違うという考えが基底にある。受け入れ国側において、移民が違う種類の人と認識されると、婚姻関係を結ばれることなく、民族として隔離されることになる。ただ、違いをそのまま受け入れてくれるので、社会の中で移民コミュニティを作ることを容認する。

 

ドイツや日本は、長男だけが相続し父親の権威が強い国。差異主義であり、移民は自分たちと違うということで、差別や排斥しようとする動きが出やすい。

 

家族制度が、それぞれの社会における根本的な人間に対する見方を決定していて、そこから移民に対する態度も決まる。これは私にとって初めての考え方。非常に興味深く読めた。

移民の運命 〔同化か隔離か〕