美術の物語

 古代エジプトから現代までの美術の歴史を丁寧に語る。建築、絵画、彫刻が網羅されている。しかも、本文に登場する作品の図版が全て掲載されているので、本文と図版を行ったり来たりしながら何度も確認できるので大変わかりやすい。

 

ふとした弾みで購入したもののあまりの分厚さにひるんで、3年間積ん読していたが、読み始めると面白くてぐいぐい引き込まれた。

 

絵というのは見たものをそのまま写しとろうとしてきたのかと思っていたが、実は見たと思っているもの、知っていることを描いているという話が目から鱗だった。。古代エジプトでは足は必ず横から見た一目でで足とわかる形で描かれる。手は指が5本あることがわかるように描く。子供がまずは正面からみた大きな顔を描くようなもの。自分が顔について知っていることを描くのだ。

 

ものの形に関してその限界を打ち破ったのが、ルネサンス時代に確立された圧縮法や遠近法で奥行きを感じさせる技術。光や色彩に関して見たままを写し取る技術を追求したのが印象派

 

そこまで行き着いてしまうと画家は絵でなんでも見たままを描けることになる。その次に目指すのは、絵の構図の美しさであり、心情の表現であり、多面的なモノや人の姿を表現すること。印象派以後のフォービズムやキュビズムや抽象画への流れ、その必然性が非常によくわかる。

 

建築のロマネスク様式からゴシック様式ルネサンス様式、バロック様式への流れとそれぞれの特徴がわかっただけでも読んだ甲斐があった。

 

西洋美術の歴史をざっくりと知りたいひとにおススメです。

美術の物語

美術の物語

 

 

 

黒猫

猫を飼う前は、猫は気ままな性格で孤独を好むものだと思っていた。うちの猫は確かに気ままな性格ではあるけれど人なつこい。家族がそろって晩ご飯を食べていると、必ず食卓から1メートルくらい離れたところに座って様子をうかがっている。今日はコタツでみんなでおでん鍋を突いていたら、ホットカーペットのコントローラーに顎を載せて、こっちに背中を向けて寝そべっていた。朝起きると、ニャーーーと大きな声でなきながら駆けよってまとわりつくいて離れない。風呂に一緒に入りたがる。歯を磨いていると洗面台にのっかり、背中をなでろと目の前をウロウロする。ベランダに出せとうるさい。出したら出したで、寒いので中に入れろとニャーとなき続ける。

 

しょうがないなと思いながらも、猫の思うままに、顎をかいてやったり背中をさすったり相手をしてやる。猫にうまく操られているような気がするが、かわいいので許す。

 

今もこれを書いている私のかたわらで背中を向けて佇んでいる。

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東山散歩

三連休の最終日、午前中に冬用のカーペットとコタツ布団、ファンヒーターを物置から取り出してリビングにセットする。昼飯は娘と2人。冷蔵庫に残った豚肉をつかって野菜炒めを作る。ウスターソースと醤油で味付け。洗い物を終わらせて、ぷらぷらと東山に向かって散歩に出かける。

 

まずは、エルパソへ。ケーキとコーヒー2杯で1時間ほど読書。お客さんが混んできたのを見計らって店をでる。

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宝泉寺に向かう道すがら黒猫に出会う。

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宝泉寺から卯辰山の紅葉を望む。

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浅野川沿いにぽつんと建つアパート。風もなく鏡のような水面に逆さ富士状態。

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小橋から上流を望む。

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帰宅して常きげんの本醸造を燗してのむ。あては食べる煮干しの酢漬と、白菜のゆずポン酢漬

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高島野十郎画集 作品と遺稿

高島野十郎は福岡県出身の画家、1890年生まれ。生涯、解像度の高い写実の絵を描き続けた人。テレビの「なんでも鑑定団」で紹介されていた蝋燭の絵と月の絵が非常に気になり画集を買ってみた。

 

蝋燭の絵は、蝋燭がひとつ暗闇の中で灯っている。親しい知人に渡すためだけに何枚も描いていいたそうで、この画集にも13枚が収められている。ただ蝋燭の炎を描いただけなんだけど 、炎のゆらめき加減や色合い。光で半分透けてみえる蝋燭の質感などじっと見ていても飽きない。

 

画集の一番最初にある月の絵は、真っ暗らな夜空に、画面の上から4ぶんの1くらいのところに満月がぽっかりと浮かんでいるだけの絵。最初は木々や空に浮かぶ雲も描いていたが、余分なものははぶかれて最後は月と夜空だけになったようだ。それだけなんだけど、月の光が闇に滲んでいく感じや、暗闇の色合いの微妙な変化が、確かに目で見るとそんな感じがすると思わせる。

 

生前は画壇とつきあいもなく孤独に描いていたそうで、評価されることもなかった。福岡県立美術館での回顧展をきっかけに再評価されるようになったそうだ。

 

夜な夜なベッドに入って一枚ずつじっくり眺めるのが楽しみだ。

高島野十郎画集―作品と遺稿

高島野十郎画集―作品と遺稿

 

 

 

美大祭

今日は忙しかった。

 

息子からお誘いがあり、朝8時半から卯辰山の運動広場で2ヶ月ぶりのキャッチボール。1時間くらい真剣にボールを投げると結構な運動量になる。最初はお互い投げ方が安定せずあさっての方向に行ってばかりだったけれど、後半はそれなりにキャッチボールらしくなった。

 

10時からはランニング。金沢マラソンのダメージからようやく回復したので東山から若松橋まで往復約6キロ、32分走る。少し太ももに痛みを感じたけれど、マラソンを走ったおかげか体から余計な力が抜けて楽に走れた。週4日くらいのペースでこの冬も走り続けようと思う。

 

ランニングを終えてシャワーを浴びてから、娘が通う中学校の文化祭をひやかしに行く。娘は生徒会の役員として文化祭の準備に頑張っていたこともあり、雰囲気だけでも確認したかったのだ。ちょうど3年生の劇をやっていた。途中から見たので話の筋はよくわからなかったけれど、一生懸命演じている姿に、不意に胸が熱くなる。なんかいい。教室に展示してあった娘の作文を見る。

 

中学校近くのバス停からバスで香林坊まで行って昼ごはんにする。せせらぎ通りの「くらつき」で牡蠣フライ定食を食べる。安定のおいしさ。牡蠣フライはもちろん、付け合わせのレタスと玉ねぎのサラダ、ごはんに味噌汁、漬物もちゃんとしていておいしい。

 

ご飯を食べている途中に、美大祭をやっているんじゃないかと思い出し、iPadで確認すると今日から5日までとなっている。今日の午後はデザイナーの奥山清行さんの講演がある。面白そうなので聞きに行くことにした。21世紀美術館の敷地を抜けて、県立図書館裏の崖の小道を県立美術館に登る。本多の森ホールから石引を経て美大まで歩く。美大の模擬店は店の奥に必ず小上がりとコタツがある。多分学生さんが夜通しコタツで飲んでいるんだろう。楽しそうだ。

 

奥山さんはピニンファリーナに所属している時に、フェラーリのデザインを手がけた方。独立して日本に戻ってからは、ヤンマーのトラクターやJ秋田新幹線北陸新幹線JR東日本の豪華列車の四季島をデザインしている。普段は自分がやった仕事の話はしないそうだが、美大客員教授でもあり学生さんの参考になればと、それらのプロジェクトについてお話してくれた。

 

フェラーリに10年に1度生産する特別モデル、エンツォ・フェラーリのデザインをプレゼンした時の話が面白かった。ピニンファリーナでは、2年かけてこの特別な車をデザインしていたのだが、特別なモデルだけに保守的になりすぎたのか、あまりいいデザインにならなかったそうだ。奥山さんもそう感じていたが、会社全体で動いている話なので誰もやり直そうと言い出せなくて、とうとうフェラーリの社長へのプレゼンの日を迎えてしまう。案の定、社長は気に入らなかったらしく、早々に帰ろうとする。奥山さんの上司は、フェラーリの社長にサンドイッチの昼飯を進めてなんとか引き止めようとする。その間に奥山さんに何か別の案を持ってこいと目で合図する。奥山さんが密かに描いて机の引き出しの奥に隠してあった、スケッチを取り出して15分で仕上げてフェラーリの社長に見せたそうだ。そうしたら、「なんだ、いいのあるじゃん。」となり採用決定。出来たのがこの車

http://auto.ferrari.com/ja_JP/sports-cars-models/past-models/enzo-ferrari/

 

15分で人生変わるよ。15分でチャンスを掴むこともあれば、永遠に逃してしまうこともある。常に準備しておかないと。というお話。デザイナーは、絵を描くだけでない。使う人が何を求めているかを考え抜いて、それを実現するためにお金を工面しあり人を動かしたり、なんでもする。うじゃじゃけた気持ちがシャキッと引き締まるようなお話だった。

 

4時半に美大を出て、再び歩いて香林坊から武蔵ヶ辻を通って帰宅。

 

 

 

 

金沢マラソン

タイムは5時間2分44秒。7分/キロを少し超えるくらいのペースでした。この1ヶ月間の走り込みで、20キロを2回、30キロを1回走った時にも、7分/キロ以上のペースでは走れなかったので、ほぼ予想通りのタイム。こんなのんびりしたペースだけども、最後まで歩かずに走りきったことが最大の成果。

 

25キロ過ぎから足腰が痛くなってきつかったけれど、あと1キロだけ頑張ろう、もう1キロだけ辛抱しようと言い聞かせながら走った。足の痛みは気のせいだと言い聞かせながら走った。沿道の声援はものすごく力になった。足をひきづるながら朦朧として走っていても、応援してくれる子供達に駆け寄ってイエーィとか言いながらハイタッチしたり、手を振ったりしているとその勢いで50メートルぐらい軽快に走れる。そんなことを繰り返しながら結局最後まで走りきった。

 

ほとんどの時間を雨の中走ることになったけれど、気温は10度以上はあったので走っている人はそれほど寒くない。大変なのはお世話してくれつボランティアやスタッフの人たち、沿道で応援してくれる人たちだ。雨の中、濡れながらじっと立っていて寒かっただろうと思う。ゴールした時は、「みなさんありがとう。」と素直に言いたくなった。

 

10kgくらい減量すれば、4時間台の前半で走れるだろう。楽しんで4時間くらいで走れるようになればマラソンもさぞかし楽しいだろう。もう少しトレーニングを重ねて3月の万葉マラソンに出場してみようかとも考えている。

精神の危機

 ポール・ヴァレリー(1871ー1945)はフランスの詩人、作家、批評家。この本は19世紀以降、科学技術万能となり、大衆化したヨーロッパの精神が危機的状況にあることを憂えた評論集となっている。第一次世界大戦を経験した観点から独裁にたなびく社会の流れも心配している。

 

新聞やラジオの発達により、人々が手に入れる情報量が大幅に増えたことについて、

形容詞の価値が下落します。広告によるインフレ効果で、最大級の形容詞が力を失墜しています。誉め言葉も罵り言葉も危機的状況にあります。人を誉めたり、けなしたりするのにどういう言葉を使ったらいいか四苦八苦するありさまです。

 それに出版物の多さ、日々印刷され、配布される物の多さ、それらが朝から晩まで、判断や印象を強要し、すべてを混交し、こねまわすので、我々の脳みそはまさに灰色物質と化してしまうのです。もはやそこでは何も持続したり、支配したりできません。奇妙にも、我々は新しいものを見ても無感動、驚異や極端なものに触れても倦怠感を覚えるのです。

100年前にこんな状態だ。今はもっとひどいことになっている。スマホのおかげで、ニュースサイトやSNSで四六時中、世界のこと、知り合いのことを知ることができるようになって確かに便利になった。まとめサイトまとめサイトまとめサイトまであって読み物にはことかかない。でも、知らなくてもいいようなことまで知ることになり、そのことにいちいち反応して注意力を少しづつすり減らしていく。1日終わってみると目が疲れる。罵り言葉を読めば心がささくれ立つし、どうでもいいことばかり読んでしまったという後悔に沈み込む。

 

なるべくネットを見ないようにと思って、4年前にスマホをやめてガラケータブレットの組み合わせにした。胸元からスマホを取り出すのと、カバンを開けてタブレットを取り出すのは、ほんのちょっとした違いだけど、反応する頻度がめっきり減る。そのおかげで、ぼんやりする時間が増えた。電車に乗っても外の景色を眺めながら考えるでもなく考え事する時間、本を読む時間が増えた。こんなに違うもんかと思った。

 

と言いながらも、やっぱり便利なんで結構どっぷり浸かっていますけどね。

 

精神の危機 他15篇 (岩波文庫)

精神の危機 他15篇 (岩波文庫)

 

 

 

お絵かき

先週から鉛筆デッサンを始めた。これまでに4枚描いた。1日1枚描いていくつもりだ。林檎、コーヒーカップ、湯のみ、ティッシュケースを描いた。思ったように描けなくてイライラしたり、出来上がってみたら意外といい感じでニンマリしたり。誰に見せるわけでもない、お気楽に描いている。こんなに真面目に絵を描いたのは高校の美術の時間以来だ。

 

お気楽にと言いながらも、始めてみるとちゃんと描いてみたいと思う。まずは道具だてから。東急ハンズでマルマンのA4サイズのスケッチブックと3Bから3Hまでの鉛筆を揃えた。今日は「デッサンの基本」という本をアマゾンで注文した。

 

続けて描いてみて、絵を描くことと文章を書くことは似たところがあると思った。目で見たことを形や色で紙に表すのが絵、言葉を選んで組み合せて伝えるのが文章。どちらも自分の感じたことをその通り過不足なく伝えるのが難しい。腕の見せ所だ。どうやって表現しようかと考えながら着手してうんうん唸りながら一方は形や色を選んで組み合わせる、もう一方は言葉を選んで組み合わせる。試行錯誤しているうちに自分が思っていた以上のものが出来上がったり、思わぬ方向に進んだりするところも似ている。どちらも始めると夢中になって時間を忘れてしまう。

 

何気なく見ている風景の見え方が変わった。この部分を描いたら面白いだろうなとか、前を歩いている人の洋服のひだをどうやって描こうかなど知らず知らずのうちに考えている。

 

お絵かきは思いがけず面白い。

泥縄

10月29日の金沢マラソンに向けて、やや泥縄のきらいはあるが9月から走り込みを続けている。申し込みが完了した6月末の時点ではあと4ヶ月もある、10Kg体重を落せば完走は簡単だろうと高を括っていた。週に3、4回のペースで5Km走ってきたが、夏場のビールの飲み過ぎがたたり体重は1gも減らなかった。これはまずいと9月になって少し涼しくなってから走る距離を伸ばしつつ、減量も意識してきた。

 

平日はこれまで通り5km走り、週末に走る時間を伸ばしてきた。9月の中旬から毎週1時間、2時間と連続して走る時間を伸ばし、今週は3時間連続して走った。今の所、キロ7分はかかっているので、うまくいってマラソンを走りきるのに5時間はかかる計算になる。2時間近く走っていると足の筋肉が悲鳴をあげる。先週は二日続けて20キロ走ったら、3日後に右足の親指の爪がペロンとはがれたて驚いた。

 

今週は、東山の交差点から茶屋街の裏を抜けて浅野川の右岸を天神橋、常盤橋まで行って、常盤橋を渡って左岸に、そこから川沿いの道を上田上橋まで遡り、山環を経て田上本町を通り朝霧大橋手前のコンビニから旧道に入る。旧道を浅野川沿いに銚子町、浅川町、袋板屋町まで。そこから湯涌温泉に通じる県道をたどった。湯涌温泉まで3kmの看板のところで走り始めてから1時間半が経過したので、そこから引き返す。帰りは下り坂なので楽かと思いきや、足がガクガクして力が入らない。ゆっくり、ゆっくり踏みしめるように一歩ずつ前に進み、最後はヨロヨロになりつつもなんとか走りきった。

 

あと2週間しかないけれど、なんとか完走できるようにもう少しジタバタしてみる。

ロンドン・ペストの恐怖

 「ロビンソン・クルーソー」の著者ダニエル・デフォーが1665年にロンドンでペストが大流行した時の様子を淡々と描写する。

 

「私」がペストが猖獗を極めるロンドンを歩き回り、その様子を綴る体裁になっている。しかし、デフォー本人は1660年生まれであり、ペストの大流行は5歳の時。大人になってからペストのことを調べて書き上げたのだろう。ちなみに出版は1722年だ。

 

当時のロンドンの人口は約50万人、そのうちペストで死亡した人約4万人。実に八人にひとりが死亡したことになる。一家全員が死んでしまい死体を運び出す人がいなくなったとか、あまりに死ぬ人が多くて死体を埋葬する巨大な穴を掘ったとか、死体を運搬する馬車の御者が、急にペストを発症して馬車に乗ったまま死んだとか、目を背けたくなるような光景が繰り広げられる。

 

一方で、貧しい船頭がペストを発症した妻と子供のために毎日食料と僅かばかりのお金を家に届け、自分は感染を避けるために船の上で寝泊まりする話や、ロンドンから集団で避難して近郊の森で仮設テントを建てて暮らす話など、貧しい人々が周りの情けに支えられてなんとか生き延びる様子も綴られている。

 

また、ペストが流行し死が目の前に迫っている間は、日頃は仲が悪い英国国教会の牧師達と非国教会派の牧師たちが協力して教会の運営に当たったとある。

つまり、死がさし迫ってきたときには、お互いに立場は違っていても善良な人々はたちまち手を取りあえるということだ。

 いまの世の中ではだれもがのほほんと暮らしていいて、面倒なことには首を突っ込みたがらない。わたしたち市民が分裂して、敵意や偏見にとらわれたままでいることや、隣人愛に亀裂が入り、キリスト教会がいまだに統一されていないのはおもにそのせいだろう。

 

危機のもとで日頃の見栄や立場を脱ぎ捨てて、素直に他人と向き合う様子が力強い。

 

ロンドン・ペストの恐怖 (地球人ライブラリー)

 

ゾルゲの見た日本

 ゾルゲがドイツの新聞記者として発表した日本に関する記事とロシアのスパイとして本国に送った通信文が収録されている。

 

「日本の軍部」という記事の冒頭に

この重大な情勢下で日本には政治の指導者がいない。すでに多年来、政府は内蔵する力も決意も持たない、軍部と官僚と財界と政党の諸勢力のまぜものに過ぎないのである。

思い当たる節が。

 

「日本の膨張」では、古代、中世、近世を通じて日本の領土拡張は朝鮮半島とその背後に控える中国を目指していることを示す。そして、あまりにも人口が多く文化的にも同程度の中国を制圧できたとしても植民地経営はできないと言う。

中国はあまりにも人口が多くまた文化的に日本と同程度なので、日本は大陸に植民帝国を作ることはできない。日本の膨張は大陸の形式的に「独立した地域」を軍事、経済、政治の各方面に渡って支配することを目的としている。日本は侵略者であるが決して植民者ではないのである。

 

ジブリの「風立ちぬ」では、避暑地のシーンでゾドイツ人が登場するのですが、この人がゾルゲをモデルにしているように思えてなりません。彼の「もうすぐ日本は破裂する。」と言うセリフにあんまりそんな言い方しないやろと違和感を感じていました。ゾルゲが言う「日本の膨張」に対する「破裂」であれば、なるほどと納得できます。

 

ゾルゲの見た日本【新装版】

ゾルゲの見た日本【新装版】

 

 

地獄極楽絵図

笠市町の照円寺で春と秋に公開される「地獄極楽絵図」を見てきた。十数年前に知り合いから、親の言うことを聞かない子供を連れていくと結構効き目がある。と聞きいつかは子供と一緒に来ようと思っていたけれどなんとなく機会を逃してしまい、今や下の子が中学2年生。さすがに閻魔様に舌を抜かれると脅しても効き目はなさそうなので妻と二人で散歩がてら出かけてきた。

 

地獄には下記の8つの段階があり、それぞれの様子が詳細に描かれている。阿鼻地獄が一番過酷な地獄らしい。

 

等活地獄(とうかつ)→黒縄地獄(こくじょう)→衆合地獄(しゅうごう)
叫喚地獄(きょうかん)→大叫喚地獄焦熱地獄大焦熱地獄
→阿鼻地獄(あび)

 

「阿鼻叫喚の巷」という言い方は地獄の名前から来ているのを初めて知った。地獄絵を見た後に極楽の絵をみると、確かに「悪いことせんようにしよ。」と思う。

 

人の死体が朽ち果てていく様を眺めて、この世の無常を実感する修行の図もショックだった。十二単をきた女性が死に、死体がどす黒く変色して、元の3倍くらいに膨らんで、鳥に食われて、骨だけになっていく様子が詳しく描写されている。この修行をして弟子たちがあまりにショックを受けて自殺者が続出したので、釈尊は自殺を禁止したという話が原始仏典にあったことを思い出した。

 

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世界マヌケ反乱の手引書 ふざけた場所の作り方

お金がなくても楽しく生きていける場所を作りましょうという本。そのための具体的な方法を教えてくれます。

 

まずは、大晦日の山手線の中で勝手に宴会する。一升瓶とちゃぶ台を車両に持ち込んで、「あけましておめでとう。」とか言いならが電車に乗り込んで来た人にも振舞い宴会して友達になってしまう。大晦日ということもあり居合わせた人も意外とのってくれるそうだ。

 

あとは、駅前で呑み会を告知するビラをまいて知らない人同士で大宴会するとか、路上で物を売って見るとか、居抜きの居酒屋物件を借りて、店主を日替わりにしてそれぞれの店主が家賃を負担させることで、たいして儲からないけれど赤字にならない居酒屋を経営するとか。リサイクルショップを経営してみるとか。

 

金を稼ぎまくって金を使いまくるのでなく、なんかよくわからないけれど金を使わず楽しんで生きていくのが「マヌケ」。フリーマケットに出てみようかという気持ちになります。

世界マヌケ反乱の手引書: ふざけた場所の作り方 (単行本)

須賀敦子全集 第3巻

ユルスナールの靴」、「時のかけらたち」、「地図のない道」のほか、1993年から1996年に発表されたエッセイが収録されている。

 

「時のかけらたち」の中の「ガールの水道橋」が良かった。日本のフランス語学校で、フランス人のジャックと知り合いになる。ジャックがフランスに帰る。1年後にパリに住むジャックを訪ねる。さらに1年ご、故郷のニースに帰って結婚することになったジャックを訪ねる。その時にジャックが2馬力を運転してガールの水道橋を見に連れて行ってくれた。という話。

 

文学をやりたいと思いながら日本に来たものの、将来が全く見えないジャック。イタリア人の夫を亡くして、ミラノでの生活を全てたたんで先の見通しのないまま日本に帰って来た須賀。異国で生活して宙ぶらりんになった者同士の会話が心にしみる。

須賀敦子全集〈第3巻〉 (河出文庫)

夜明けの約束

著者のロマン・ガリは、1914年にリトアニアユダヤ人の両親のもとに生まれる。父親はロシア軍に入隊し、母ひとり子ひとりの家庭で育つ。12歳の時にワルシャワへ引っ越し、14歳の時に母ともどもフランスに帰化する。第2次世界対戦では自由フランス軍に参加し航空士として働く。戦後、フランスの外交官として活躍し、国連代表やロサンゼルス総領事を務める。戦争中から小説を書き始める。1958年に「勝手にしやがれ」で有名な女優ジーン・セバーグと出会い結婚する。1970年に離婚するまで夫婦として過ごす。1979年に、ジーン・セバーグがパリの路上の車の中で遺体となって発見された1年後、「夜明けの約束」の決定版を刊行し、パリの自宅でピストル自殺。

 

この経歴を見ただけで、ロマン・ガリってどんな人なのか興味湧いてきませんか。

 

この「夜明けの約束」はロマン・ガリの自伝的小説。戦争の足音が忍び寄る中、なんとか息子を移住先のフランスで立派に育てたいという母親の息苦しいくらいの愛情。その愛情になんとか応えようと苦闘するガリ。二人のそんな半生がつづられる。

 

人目をはばからない母親の愛情に振り回されることって、男性なら程度の差こそあれ、思い当たる節はあるだろう。身寄りのない異国でたった一人で息子を育てなきゃいけないとなれば、なりふり構わず息子を大事にしよるとするのは当然かもしれない。桁外れの母親の愛情と、それに振り回され迷惑に感じながらも、母親を受け入れざるを得ない息子。母子のそんなすったもんだが、悲しくもユーモラスに書かれている。

 

フランスとアメリカでベストセラーになっただけあって、読み始めるとグイグイ引き込まれた。カリフォルニアのビッグサーの海岸でアザラシと対峙しながら、昔を思い出すという設定もまたいい。人里離れたビッグサーの荒涼とした風景が目に浮かぶ

 

夜明けの約束 (世界浪曼派)