A VOYAGE FOR MADMEN

1968年に初めて開催された、単独・無寄港の世界一周ヨットレース、「ゴールデン・グローブレース」。イギリスを出発し、喜望峰を通って、オーストラリア、ニュージーランドの南を通って、マゼラン海峡と、南氷洋をぐるっと一周してから大西洋を北上してイギリスに戻るコース。9艇が参加し、ゴールしたのは1艇のみ。自動操舵装置や無線は原始的なものしかなく、GPSがはもちろんないので六分儀で現在地を調べながら航海を進める。そんな過酷なレース。

 

南米大陸最南端のケープホーンをトップで通過し優勝確実を見られていたフランス人は、レースを続行すること、優勝することに意義を見出せない、そんなことのためにヨットに乗ってるわけじゃない。と途中棄権し、再び喜望峰に向かい地球2周目の航海に出かけてしまう。

 

かと思えば、借金を重ねてヨットを準備したものの出港後にトラブル続きで、まともに航海できない。仕方なくブラジル沖で無線連絡を断ち、身を潜めて、先頭のヨットがケープホーンを回って大西洋に入った頃に、いかにも自分も一周してきたようなふりをして、レースに復帰する選手。しかし、その選手は、ゴールにたどり着く前にヨットから姿を消してしまう。

 

一旦出航してしまうと、どんなトラブルがあっても手持ちの知識や道具でなんとかしなければならない。そんな切迫感があるからなのか、航海記や遭難した船の記録には独特の面白さがある。自分だったらどうするか、どこまでやれそうか。同じ状況に置かれた自分を想像しながら読む。

 

世界一周・単独・無寄港のヨットレースといえば、白石康次郎さんが参加した「ヴァンデ・グローブ」が有名だが、実は50周年を記念して「ゴールデングローブレース」が今開催中だ。7月1日にスタートして今まさに先頭のヨットが喜望峰を回ってオーストラリアに向かっている。ヴァンデ・グローブは最新の装備を駆使するが、こちらは、1988年以前に建造された船、50年前と同じ装備しか使えないルールになっている。緊急時のためにGPSは船に積んでいるのだが封印されており、使った時点で失格となるそうだ。

 

ヨットの専門用語さえ頭に入れば、英語自体は簡単だし航海記なので起こっていることはだいたい想像がつくので、意外と読みやすかった。

A Voyage for Madmen

A Voyage for Madmen

 

 

漠然とした不安

しばらく前から、なんとなく気分が晴れない。霞がかかったようなうっすらとした不安を感じている。ぐっすりと眠れていない。3時間くらいで目が覚めてそのあとは布団の中で考え事して朝を迎えることが多い。お酒を飲んでも楽しくない。酔っている間は気分はいいのだが翌朝の気持ちの落ち込み具合がひどいので、平日はあまり飲まないようにしている。本を読んでいても楽しくないし集中できない。こんなもん読んでもしょうがないとも思う。

 

原因としてひとつ思いあたるのは、大学に進学した長男が家を出たこと。我が子ながら立派に巣立っていったな、大きな肩の荷を下ろしてホッとしている一方で、張り合いがなくなった感じなのだ。極端にいうと、親という自分の役割が終わった、もう隠居だという心地だ。

 

職場でも、52歳ともなると自分の手足を動かして実務をするよりも、組織の運営とか根回しとか内向きの仕事が多くなってきた。大事な仕事なのだろうが、つまらない。それに、この歳になるとこの先自分がどういう道を辿っていくのかも、だいたい見えてくる。そんなもんかと。

 

父親は10年前に66歳の時に亡くなっている。次は自分だ、親と同じ歳までしか生きられないとしたら、残りは14年だ。と思うと、このままでいいのかなと考えてしまう。何かもっとできるんじゃないかと焦る一方で、もう、十分やった。あとは隠居気分で好きにしようとも思う。その間を右往左往している。

 

 

意識と自己

意識はどうやって発生したのか。自己という認識はどこからくるのか。科学最大の課題のひとつに挑む。

 

著者は意識の根元には「情動」があるという。単細胞生物から人間にいたるまで生物には外界からの刺激を受けた時に、命を脅かすものであるのか、それとも命を維持するために必要なものであるのかを判断する。判断の基準は、体内の環境を一定に保とうとするホメオスタシスの。体内環境を一定に保つ上で脅威になるものからは離れる。役に立つものには近く。意識がない状態で生物は、それを瞬時に判断するそうだ。

 

情動が繰り返されることで、生物と外界の対象との間の関係がパターン化されて記憶される。生物の元の状態に対象からの刺激が作用して、違う状態に変化する。その変化が繰り返されると、自己と外界を関係付ける意識の元が生まれるという。著者はこれを中核意識と名付ける。

 

目が覚めている間はずっと、人は外界からの刺激を受け続けていて、意識下でその刺激を「良い」、「悪い」で判断をし続けている。

 

意識の起源が、意識の前段階で行われている価値判断というのは、仏教の十二縁起と似ている。仏教では苦が生じる流れを、「十二縁起」で表す。外界からの刺激に対する無意識下の反応がある。それが活性化して意識されるようになる。すると、その価値判断にとらわれる。何度も思い出す。そこから苦が生じるという。

 

意識については、いろんな本を読んでみてもよくわからないのだけれど、考え続けずにはいられない。

意識と自己 (講談社学術文庫)

意識と自己 (講談社学術文庫)

 

 

舞踏会へ向かう三人の農夫

ドイツの写真家、アウグスト・ザンダーが1914年に撮影した、三人の農夫の写真を巡って3つの話が展開する。 ひとつは撮影された農夫たちの話。1914年8月に第一次世界大戦が始まり農夫たちも大戦に翻弄される。二つ目は、出張先のデトロイトで時間調整のために訪れた美術館で、偶然にもこの写真を見たビジネスマンの話。三つ目はパレードで見かけた、赤毛の女性が気になって追いかける証券マンの話。

 

順番に切り替わりながら進む三つの話がどんどん絡まり合う。その中で20世紀の歴史が描かれていく。

 

同時に3つの話が進んで行くので、ストーリーを追って行くのに手こずったけれど、あまり気にせず勢いで読んだ。面白い。

 

 

 

イベリコ豚を買いに

著者である野地さんはノンフィクション作家。食やスポーツなどの分野での著書がある。知り合いの経営者に勧められてイベリコ豚を取材しようとしたところが、日本で口蹄疫の感染が発生したばかりにスペインの生産者から取材を断られる。それでも、なんとかして取材するために、取材ではなく、イベリコ豚の買い付けに行くということにしたことが発端になっている。 

 

著者は、実際にイベリコ豚を仕入れる。仕入れたからには売らなければならない。精肉として売るのは衛生管理上も何かと難しいので、加工品として売ることにする。この本は、前半は、スペインのイベリコ豚での飼育や、その肉を使った生ハムの生産についてのお話。後半は、著者の知り合いの精肉業者やシェフを巻き込んでのイベリコ豚を使った新商品を開発の物語となる。

 

後半の新商品開発の物語が面白い。今は、ネットでいろんな食品をお取り寄せできるけれど、その裏で安全でおいしい商品を届けるために、調査し、アイデアを試し、試作を繰り返し、流通体制を整えるなど細部にわたる手間暇がかかっていることがよくわかる。

 

イベリコ豚を買いに (小学館文庫)

イベリコ豚を買いに (小学館文庫)

 

 

 

もちろん、スペインのイベリコ豚、生ハムの情報もたっぷり。食べたくなったので、本書にも登場する栃木県のグルメミートワールドで、試しにスペインの生ハムを塊で買ってみた。

www.gourmet-world.co.jp

 

いつもはスライスされたものしか買ったことがなかったので、塊のボリューム感には妻も娘も大喜び。早速スライスして食べてみた。

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うまく薄く切れたものもあれば分厚くなったものもあったけれど、どちらもおいしい。塩味はしっかりしているけれど、当たりはまろやか。ワインが進む、進む。

涼しくなったら原木で買ってみようかしら。

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スペアリブのニンニク蒸し

最近見つけたこちらのブログ、いろんな中華料理を紹介していて、しかもどれも美味しそうで作ってみたくなるものばかり。一番簡単にできそうなスペアリブのニンニク蒸しを作ってみた。

 

吃尽天下@上海:おうちで中華112 - 鉄板の旨さ!ニンニク風味の蒸し豚スペアリブ・蒜香蒸排骨! - livedoor Blog(ブログ)

 

紹興酒と醤油を合わせたものに、みじん切りのニンニクと生姜を入れ、そこにスペアリブを漬け込む。肉に片栗粉をまぶしてから、あとは中華鍋に皿を載せる台を置いて皿ごと30分をど蒸すだけ。中華鍋の蓋がないので、我が家で一番大きなボウルを蓋の代わりに使う。サイズはちょうど良かったのだけど、持ち手がないので蒸している途中に蓋を外して中を確認しようにも熱くて持てないので困った。適当に30分ほど蒸してから火を止めて鍋つかみとタオルでなんとか蓋を持ち上げて外せた。

 

シンプルだけど想像以上のうまさ。飲茶のお店によくある、スペアリブの豆豉蒸しも同じようなやり方でできそう。

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あなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた

ヒトは100兆個の細菌と共に生きているそうだ。細菌の主な住処は大腸の中。少し前までは、なんのために存在するのかわからなかった虫垂は、実は、腸内細菌の退避場所、控え室のような役割があるらしい。皮膚の 表面にも住み着いている。共生する細菌の種類のバランスが変化するとニキビができるなど肌の調子も変化するそうだ。

 

食物アレルギーや花粉症、アトピー性皮膚炎、多発性硬化症自閉症、下痢を伴う慢性的な腸炎、肥満。20世紀後半以降、主に先進国で多発するようになった病気は実は、腸内細菌の多様性やバランスが崩れたことが原因ではないか。そして、腸内の生態系が崩れたのは、抗生物質によって病原菌と一緒に腸内細菌も駆除されているからでないか。と、著者はこの本で問題提起する。

 

一旦崩れてしまった生態系を回復するためにはどうすれば良いのか。健康な腸内環境を持つ人の糞便を生理食塩水で薄めて腸内に移植するのが一番手っ取り早くて確実とのこと。心理的にかなり抵抗があるけれども、病気によっては即効性があるとのこと。

 

ヨーグルトを食べて、乳酸菌などの腸に良いとされる菌を口から取り込んでも、なかなか腸まで到達しないし、到達してもたかだか何億個なので、数十兆個ある腸内細菌全体からみれば微々たるもので、腸内に定着して増殖するまでにはならないらしい。

 

菌を口から取り込むよりも、肉や脂肪、糖の取りすぎで、多様性がなくなった菌の種類を増やすために、食物繊維を多く食べる方が効果があるそうだ。野菜や果物、穀類などの植物を多めに、肉を少なめに食べるといいそうだ。

 

「野菜はカロリーがないので食べる意味がない。」のではない。腸内細菌に食べさせるために必要なのだ。

 

ということで、これから「ほがらか村」(金沢市農協の直売所)に行って、野菜を買い込んできますわ。

あなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた

あなたの体は9割が細菌 微生物の生態系が崩れはじめた

 

 

不確かな医学

著者は、アメリカ人でがん専門の内科医。「がん4000年の歴史」でピューリッツァー賞を受けている。

 

物理学などの他の科学と比較して医学にどんな特徴があるのかを、医学の三つの法則として説明する。TEDの講演が元になっているのでコンパクトでわかりやすい。

 

一つ目は、どんなに検査技術が進歩しても偽陽性(病気になっていなくても検査で陽性と判定されること)をゼロにできないので、患者の病歴や家族の症例、生活習慣などを知ることが重要だということ。100人に1人が感染する病気の患者を見つけ出すために、全住民が5%の確率で偽陽性の判定が出る検査を受けたとしたら、陽性反応が出た住民のうち本当の患者は16%しかいないのだ。なんの事前知識もなく検査するのは、費用の無駄遣いでしかないという。事前知識から推論して、必要な検査の目星をつけて正しい診断を下すのが医者の腕の見せ所なのだ。

 

二つ目は、既存の理論では説明できない、特異な症例に着目することが、画期的な理論の構築に重要であること。あまり治療効果がない抗がん剤も、1000人にひとりくらいの割合で、劇的に効く患者も存在するらしい。従来は、そのような患者は例外的な事例ということで片付けられていたが、なぜ効いたのかを徹底的に調べたところ、遺伝子の特定の場所に変異がある患者に、治療効果があることがわかったそうだ。

 

三つ目は、医師もなんとか治療したい、患者も何としても病気を治したいと強く願っているために、治療効果を検証する際にどうしてもバイアスが入ってしまうこと。二重盲検法で医師のバイアスを排除できたとしても、自分の医師で治験に参加する患者のバイアスを除くことは難しい。

 

効果がある医療を行えるようになったのは、たかだかこの100年であり、今もよくわからない病気に罹ったよくわからない患者に対して、よくわからない治療法を用いてなんとか治療するという側面が残っているのだ。医学はまだまだ歴史が浅く、若い科学なのだ。

 

そう考えると、深刻な気持ちの患者さんに毎日向き合うお医者さんのプレッシャーは大変なもんだと思う。

不確かな医学 (TEDブックス)

不確かな医学 (TEDブックス)

 

 

pythonで最小公倍数

懲りずにまた作ってみた。ループする原因がわからず手こずった。

 

#最小公倍数を計算するプログラム

def lcm():

    num1 = input('好きな数字を入力してください:')

    num2 = input('もう一つ好きな数字を入力してください:')

    x = int(num1)

    y = int(num2)

    i = 1

    if x <= y:

        while i <= x :

            if (y * i) % x == 0 :

                result = y * i

                break

            else:

                i +=  1

        print('{0}{1}の最小公倍数は'.format(num1,num2))

        print(result)

        print(x * y)

 

    else:

        while i <= y :

            if (x * i) % y == 0 :

                 result = x * i

                 break

            else:

                i +=  1

        print('{0}{1}の最小公倍数は'.format(num1,num2))

        print(result)

        print(x * y)

lcm()

 

知の果てへの旅

 著者のマーカスデュ・ソートイはオックスフォード大学の数学教授。また、「科学啓蒙のためのシモニー教授職」にもある。エクセルやワードを開発した、チャールズ・シモニーの寄付が寄付して、その名の通り科学を広く世の中にPRするために設置された職で、前任者は「利己的な遺伝子」を書いた生物学者のリチャード・ドーキンス

 

この本では、カオス理論、量子理論、相対性理論、宇宙の始まり、宇宙の果て、人の意識、無限、不完全性定理などに関して、現在のところ科学でどこまでわかっているのか、将来どこまで知りうる可能性があるのかを探っていく。著者はそれぞれの分野の第一線の研究者を訪ねインタビューを重ねる。

 

数学者が語っているからなのか、画期的な発見や理論の構築にあたって、数学が大きな役割を果たしてきたことが強調される。現実と関係がない公理と証明によって構築された数学の世界が、素粒子の存在を予測したり、宇宙の成り立ちを説明するというのも考えてみれば不思議なもんだ。

 

科学について多くの人々に関心を持ってもらうために、幅広い分野を扱っているので、個別のテーマへの踏み込みが浅いのは仕方のないところ。あとは、読者が関心のある分野を深堀りすべきなのだろう。

知の果てへの旅 (新潮クレスト・ブックス)

知の果てへの旅 (新潮クレスト・ブックス)

 

 

茄子のオランダ煮

夏になって茄子が沢山出回るようになると無性に食べたくなるオランダ煮。

素揚げして煮る方法が主流のようですが、私は母に教えてもらった、塩茹でしてから甘辛い煮汁で煮る方法で作っています。鷹の爪を入れすぎて辛くなりすぎたのが残念。

 

冷蔵庫で歯にしみるくらい冷やして食べるました。

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python で最大公約数

組み込み関数に用意されているのですが、最初なので自分で作ってみました。なんとか、うまく動くようになった。

 

#最大公約数を計算するプログラム

from operator import mul

from functools import reduce

def gcf():

    num1 = input('好きな数字を入力してください:')

    num2 = input('もう一つ好きな数字を入力してください:')

    x = int(num1)

    y = int(num2)

    gcf_factors = []

    gcf_factor = 2

    if x <= y:

        while gcf_factor <= x :

            if x % gcf_factor == 0 and y % gcf_factor == 0 :

                gcf_factors.append(gcf_factor)

                x = x / gcf_factor

                y = y / gcf_factor

            else:

                gcf_factor +=  1

        if len(gcf_factors) == 0:

            print('{0}{1}の最大公約数は'.format(num1,num2))

            print(1)

        else:

            print('{0}{1}の最大公約数は'.format(num1,num2))

            print(reduce(mul, gcf_factors))

            print(gcf_factors)

    else:

        while gcf_factor <= y :

            if x % gcf_factor == 0 and y % gcf_factor == 0 :

                gcf_factors.append(gcf_factor)

                x = x / gcf_factor

                y = y / gcf_factor

            else:

                gcf_factor +=  1

        if len(gcf_factors) == 0:

            print('{0}{1}の最大公約数は'.format(num1,num2))

            print(1)

        else:

            print('{0}{1}の最大公約数は'.format(num1,num2))

            print(reduce(mul, gcf_factors))

            print(gcf_factors)

 

gcf() 

 

 

pythonで素因数分解

Python素因数分解するプログラムを作ってみた。

 

繰り返し処理のところを、for ◯◯ in range( )にすべきなのか、while を使うべきかよくわからずに試行錯誤。プログラムを何度も走らせながら手直しして、ようやく正しく動きそうなものができた。

 

#素因数分解するプログラム
n = input('好きな数字を入力してください:')
num = int(n)
factors = [ ]
factor = 2
while factor <= num:
       if num % factor == 0:
              factors.append(factor)
              num = num // factor
else:
       factor = factor + 1

print('{}の素因数は'.format(n))
print(factors)

 

ちなみに、1,234,567,898,765を分解すると、5 × 41 × 25,343 × 237,631

 

コンピュータの演算能力ってのは凄いもんだねぇ。1兆の桁までは一瞬のうちに答えを算出してくれた。でも、調子に乗ってもう一桁増やしたら、30分計算してもまだ答えが出てこない。

 

次は、最大公約数を計算させてみようか。

スラスラわかるPython

 ProgateのPythonコースを終え、次に何しようかと考えた末に手に取ったのがこの本。

 

第1章から順番に解説を読んで、事例のプログラムを自分でもその通りに打ち込んで実際に動くかどうか確認して進めて行く。解説が丁寧で、問題の回答もあるので、内容について意味がわからずに困ることはなかった。タイトル通りスラスラわかる。コードの打ち間違いやプログラムのファイルをどうやって読み込ませるかがわからないなど、本論とずれたところで苦労した。ほぼ写経に近いんだけれど、なんとか一冊やりきった。少しは前進したような手応えと充実感。

 

簡単なスクレイピングと、csvファイルへデータを出力する方法がわかったので、ネット上のデータをエクセルで扱える形で取り込んで見ようと思う。

 

で、次はどうしようか。

スラスラわかるPython

スラスラわかるPython

 

 

湘南新宿ライン

出張で栃木県の宇都宮に行くたことになり、大崎から湘南新宿ラインの宇都宮行き快速に乗った。

 

17時ごろ、大崎で乗ったときには満員で座れない。海に行ってきたような家族連れが何組か乗っている。恵比寿ではニッカボッカにペンキの染みをつけた仕事帰りの塗装屋さんらしきお兄さんが二人乗ってきた。新宿で半分くらいの人が降りたので運良く座れたが、また同じくらいの人が乗り込んできた。池袋、赤羽、大宮で人は入れ替わるが常に立っている人がいる。

 

とある東京の企業の方は、毎日宇都宮から恵比寿まで湘南新宿ラインで通っていると言っていたけれど、毎日往復4時間も混んだ電車で過ごすのは大変だわ。グリーン車に乗ったとしても疲れる。

 

塗装屋のお兄さん、一人は赤羽で降りたけれど、もう一人は小山で慌てて飛び起きて下車した。多分熟睡して乗り過ごしたのだろう。