平成が始まった頃 その1

平成が始まったのは1989年。私は22歳。留年して2回目の大学2年生をやっていた。その前年の大学2年の前期までは真面目に授業に出席して順調に単位をとっていたのだが、9月ごろから、こんなことしていたらダメや、と突然全てがアホらしくなり。下宿に3ヶ月ほど引きこもっていた。昼頃に起きて近所の喫茶店に行って雑誌を読みながら昼飯食べて、図書館に行って閉館まで本を読んで、スーパーで晩飯のおかずと酒を買って下宿に戻り、夜中までひたすら本を読んでいた。そうやって暮らしているうちに、心がどんどん内向きになって誰とも会話ない日々を過ごしていた。1月になって、さすがにこれはまずいと思ったけれど、大学には行く気がしないので、とりあえずアルバイトを始めた。扇町公園の近くにある学生へアルバイトを斡旋する人足寄場のような所へ行った。壁一面の黒板にその日の求人が書き出してあり、係りの人がでは1番の仕事やりたい人と声をかけると、やりたい人が手をあげる。希望者が多いときはじゃんけんで決めるのだ。じゃんけんをしている間にも、次々と仕事が読み上げられる。時給が良くて楽そうな仕事は希望者が多いので競争率が高い。下手にそんな仕事にエントリーしてじゃんけんに負けると、その日は仕事にあぶれてしまう。何回か通ううちに、肉体労働で体力的にきつい仕事、でも時給はいい仕事が自分には合ってるし、競争率も低いことに気がついた。引越しや工事現場、夜中にデパートの催事場の模様替えをする仕事は時給が高いし、仕事終わりの達成感があって良かった。そんな時にたまたま出会ったのが、騒音測定の仕事。交差点や工事現場の近くに装置をセットし、12時間とか24時間、長いところでは48時間、騒音を測定するのだ。測定すると言っても、毎正時に装置のスイッチをオンにして測定開始。10分経ったらオフにすする。現場によってはその間に交通量調査をすることもある。ただそれだけ。残りの50分間は、ただ装置の番をしてそこにいるだけでいいのだ。暑さ寒さの対策さえしっかりしておけば、本を読む時間はたっぷりあるし、人と話す必要もない。しかも、24時間で2万円以上もらえるのだ。当時はバブル絶頂、関西では関西空港の埋め立て工事と、明石海峡大橋の建設工事が並行して勧められていた。関西空港の埋め立て用の土砂を採取していた和歌山県の加太にも、明石海峡大橋ケーソンの工事現場にも騒音測定に行った。それこそ仕事はいくらでもあった。一度は調子に乗って、24時間の現場の直後に48時間の現場を入れた。さすがに睡眠不足で最後はフラフラになった。でも72時間で7万円もらえるのはありがたかった。淡路島の高速道路の脇に1週間泊まり込みで騒音を測ったこともある。近所の人が哀れに思ったのか、毎日太巻きを2本持ってきてくれた。最初はありがたくいただいていたが、3日目以降は太巻きを見るだけで胸が酸っぱくなり往生した。確か1週間で10万円以上もらったと思う。

 

大学も行かずにバイトばかりしているので、どんどんお金がたまる。そのお金20万円くらいで中古のバイクを買った。5万円くらいでキャンプ道具一式を買った。そして3月に旅に出た。

早退して散髪へ

息子がインフルエンザとともに帰省して、次の日には妻も発熱して寝込んでしまうという、ドタバタの正月休みだったので、年末に散髪に行きそびれた。襟足が伸びて耳にかかるようになり、最近とみに毛量が少なくなっているからなのか、中途半端に伸びた髪がまだらに見えてみすぼらしい。煩わしさに我慢できなくなって2時間早退して散髪してきた。

 

平日なので空いているかと思いきや、15分後に予約のお客さんが来るという。1時間待ちかなと思っていたら、お客さんが来る前にチャチャッとやってくれるという。お言葉に甘えて、鏡の前に座る。もう15年通っている床屋さんなので、いつもの通りで、とお願いする。バリカンで後ろと側面を刈り上げ、頭頂部を挟みで刈り込んで鋤いてもらう。ほぼ丸刈りに近い。息子のことや正月休みのことなどをボソボソと話しながら刈ってもらう。その中で、例年だと年末の30日、31日はものすごく忙しいのだけど、今年はどういうわけか暇だったそうだ。その代わりに年が明けて1月5日、6日が忙しかったらしい。床屋のご主人が言うには、正月を髪を切って心新たに迎える習慣がなくなったのかもしれない。確かに正月を特別な気持ちで迎えようという雰囲気は、年々薄まっている。うちも年末の大掃除は年々簡素化して、今年は台所の換気扇とレンジ周りを少しやっただけで、窓拭きもしなかった。年賀状は親戚向けに10枚くらい書くだけ。今年はテレビCMでも正月向けの特別なものが少なかったような気がする。子供の頃は正月だから新しい下着で迎えなければと、母親に無理やり新しいパンツをはかされたことを思い出す。

 

大掃除だ年賀状だ、おせち料理の準備だと、年末を無理してあたふた過ごして疲れ果てる必要もないと思う気持ちが一方ではあるが、正月が年に何回かの長期休暇のうちの一つになってしまうのもさみしい。

 

髪を切り終わり、奥さんにシャンプーをしてもらう。椅子を後ろに倒して洗ってもらう。他人の手で、入念に洗ってらうのは気持ちがいい。洗髪後の頭皮マッサージがいつもより入念なのは、髪が薄くなっているからなのかと、いらん心配をする。

 

次に髭そり。私にとって髭剃りは床屋での最大の楽しみ。髭一本も残すまじ、という気合いで皮膚を右に引っ張り、左に引っ張りしながら丁寧に剃ってもらえるのが嬉しい。絶対に自分ではできない。

 

1月から髭剃りが100円値上がりしたとのことで、お会計は4,320円。安くはないので、ちょっといいバリカン買って自分で刈ろうかと、年に1回くらい考えるのだが、髭剃りの心地よさに惹かれて、月に1回、いや3週に1回のペースで通っている。 

自作弁当

ここ半年くらい、昼飯は職場近くのセブンイレブンのおにぎり、サンドイッチ、ほっともっとののり弁当のローテーションで過ごしてきたのだが、さすがに飽きた。正月休み明けから自作の弁当を食べている。自作というほどでもないくらい簡単な弁当だ。昨日は、ステンレス製の小さな細長い弁当箱に白飯を詰め込んで、削り節をたっぷりとのせて醤油をさっと回しかけて出来上がり。今朝は、白飯に紫蘇の粉とすりゴマをかけ、その上に朝飯のおかずのソーセージを1本のせた。コンビニのおにぎりを食べることを思えば、これだけで十分満足できる。

 

洗い物が増えるのが嫌なので箸箱は使わない。弁当箱と箸を小風呂敷で包むだけ。おむすびもいいのだが、おむすびは手でつかんで、口に放り込んで、パクパクパクと三口で食事が終わってしまう。小風呂敷を広げて弁当箱をセットして蓋を開けていただきますと心の中で唱えて箸を使って、少しずつ冷や飯を口に入れて、じっくりと噛みしめるほうが、よりご飯の味がわかるし、より食事らしい動作になる。

 

明日も弁当にしよう。明日は白飯に味噌をのせてみよう。

 

解脱寸前 究極の悟りへの道

著者は、あとがきで仏教の修行というのは突き詰めると、

1 刻一刻と内側の変化を心身両面で観察し、

2 集中の練習をし

3 無執着の平常心

を会得すること、以上。とまとめてしまう。ただし頭で理解するだけでは意味がなくて、日々の修行によって実践できるようにすることが大事。

 

私が意志の力でやっている。と思っているものは全て気のせいだという。体や脳が反応したものを事後に意識が報告を受けるだけ。反応の仕方には人それぞれの傾向があり、何も考えないでいるとその傾向に流されて、機械のように自動的に反応してしまう。

 

その自動的な反応を変えるためには、心と体の微細な変化に気づくことが必要。目から、耳から、皮膚から、様々な信号が次から次へともたらされると、その信号に対して、細胞レベルで、好き or 嫌いを評価し続けている。嫌いなものを見ると心の奥底で、かすかにイラっとしているはず。まずは、その変化に気づく。気づいたなら、そのイラっとした感覚に集中する。グッと集中すると、そのイラっとした感覚が治ってくる。そうなったら、次にそのイラっとした感覚を「どうでも良いや」と手放す。これで、穏やかな平常心を保てるそうだ。

 

今朝は3時に目が覚めてしまい、正月休み明けの憂鬱な気持ちに翻弄されそうだったので、早速、坐ってみた。呼吸に集中しようとするものの、仕事の段取りを考えてみたり、あの仕事面倒くさいとイライラしてみたり、無駄に過ごしてしまった正月休みを悔やんでみたりと、それこそコンマ1秒単位で次から次と色々な考えが湧いて出てくる。それでも、20分ほど経過すると数十秒くらいは呼吸と体の感覚に集中できるようになった。今日はここまで。鏡のように心が静まったというわけではないけれど、不安に苛まれた焦燥感は少し軽くなった。

 

不思議なもので、顔洗って髭剃っって、歯を磨いて、着替えて・・・・。といつものように朝の準備を淡々として、自転車に乗って仕事場に着くと、さあ、今日も一日頑張って仕事しようという気分になった。

解脱寸前 究極の悟りへの道 (幻冬舎新書)

解脱寸前 究極の悟りへの道 (幻冬舎新書)

 

 

娘とドライブ

今日が冬休み最終日となる娘。長年書道をやっている私の母に、書き初めの指導を仰ぎたいとのことだったので、実家へ連れて行った。今年のお題は「無限の可能性」午前10時から午後1時まで3時間、みっちりと指導を受け、なんとか作品を完成させる。

 

娘は冬休みの宿題をまだ終わらせていないので、3人で8番ラーメンに行ってお昼を食べ、早々に金沢へ引き返す。車の助手席に娘を乗せ、私のiPadに入っている音楽をシャッフル再生で聞きながら高速を走る。最初にかかったのが、エレファントカシマシの「今宵の月のように」。嫌がるかなと心配していると、意外なことに娘は「私、この曲好き。」という。聞いているとさみしいような、せつないような気持ちになるのが良いそうだ。次が中島みゆきの「ファイト!」これは、何年か前のカロリーメイトの受験生向けのCMで使われていたので知っていた。ビートルズの「From Me To You」が流れると、ビートルズが好きなので、まとめて聞いてみたいという。それならアレクサで聞けるよと教える。YMOの「Technopolice」も聞いたことがあるらしい。「1980年ごろ、中学生の頃の曲だわ。ツッパリ系の人たちが音楽室のエレクトーンで弾いてたわ。」

 

ツッパリと言えば、ドラマ「今日から俺は」の主題歌になった「男の勲章」は彼女のお気に入りで家でも口ずさんでいた。ドラマは楽しくみていたようだが、「ツッパリって何のためにやっとるん?」と根本的なところを質問されて困った。

 

父親に気を使って、話を合わせてくれただけかもしれないけれど、1時間足らずの楽しいドライブだった。

財政破綻後 危機のシナリオ分析

国債残高がGDPの2倍以上にもなろうという中にあっても、経済学の世界では、早急に政府支出の削減と増税を実施して財政再建を進めるべきという考え方と、まず景気回復、経済成長が第一で財政再建は経済の拡大によって自ずから達成できるという考え方が対立している。この本は、財政再建を優先すべきという立場から、もし財政破綻が現実のものとなった場合、政府はどんな対応をすべきかを明らかにする。

 

リーマンショック直後は、財政赤字など気にしないで、財政政策と金融政策を総動員して、とにかく景気回復に全力を尽くすべきだと思っていた。しかし、ここ2年くらいは、景気が回復して、人手不足が深刻になる中でも、政府は、相変わらずバラマキ型の景気刺激策を続けるばかり。どうなっているのかと心配になってきたところに、この本が目にとまり読んでみた。

 

政府が発行した国債を、市中銀行が引き受け、その国債市中銀行から日銀が買い取れば政府はいくらでも国債を発行できるので、財政破綻することはない。国内の個人資産は約1700兆円と国債を引き受ける十分な余力があるという。ある程度までは、その通りなのだろうが、かといって無限に国債残高を増やし続けていけるわけでもないだろう。国債への信任が失われて金利が高騰すれば、あっという間に国のキャッシュフローは破綻する。国債残高をゼロにすべきとは思わないが、どこかに限度を設けて、これ以上増やさない水準があると思う。

 

財政が破綻した場合、まずは、緊急避難的な支出削減を行い、次に最低限の国家機能を維持するために財政支出への優先付けを明確にする。公務員の給与を3割カットして、消費税を38%にして、新規の公共工事をゼロにして、医療費の自己負担率を大幅にアップしても全然足りない。

 

特に医療は大変なことになるようだ。政府負担分のお金が入ってくなくなり病院の倒産が続出するそうだ。ソ連が崩壊した時に、人工透析を維持できなくなり多くの透析患者が死亡したことを例としてあげている。

 

起こるかどうかわからないけれど、一旦起こると致命的な打撃を受ける事象なので、政府や国全体のことも心配だけれども、自分の身をどうやって守るのかも心配。他にも関連する本を読んでみたい。

財政破綻後 危機のシナリオ分析

財政破綻後 危機のシナリオ分析

 

 

インフルエンザで年末年始

12月28日に東京に住んでいる息子が帰省してきたなりに、朝から体調が悪いというので、熱をはかっててみると37.8度あった。翌日に一旦平熱に下がったのでただの風邪かと安心していたら30日になって再び38度に上昇した。念のため病院で検査してもらうと、A型のインフルエンザとのことで、タミフルを飲んで1月1日まで家で大人しくしているようにとお医者さんから指示される。大学受験を2年がかりでようやくクリアした息子を連れて、久しぶりに家族揃って実家に帰省する予定はキャンセル。

 

翌31日の昼過ぎに今度は妻が発熱して寝込む。1日になっても熱が下がらないので再び救急で病院に行ってみる。インフルエンザだろうと諦めていたら、予想に反してインフルエンザの反応は出ていないとのこと。解熱剤だけもらって帰ってきた。妻は熱が下がらず体がしんどいとのことで、1日は実家からもらってきたおせち料理を息子と娘と私の3人だけで囲み、アホなテレビを見ながら過ごす。夕方に近所の神社へ初詣に行く。息子は中吉、娘は小吉、私は大吉。

 

2日なってようやく二人の体調が回復して、家族全員揃ってお雑煮を食べておせち料理を食べ、箱根駅伝を眺めながら午前中を過ごす。2時過ぎに妻の初詣に付き合い、スーパーへ買い物。翌日のカレーライスの材料とペットボトルのお茶を購入。

 

その後、天気が良かったので香林坊方面に散歩へ出かける。尾山神社の初詣とバーゲン目当ての人たちで駐車場周辺は大渋滞。21世紀美術館と柿の木畠あたりをウロウロしてから武蔵が辻へ戻る。ドトールで休憩しようと思ったが、いつになく混雑していたので、12月にオープンしたばかりの隣のホテルの1階にある、Bankers Street Cafeに入ってみる。ホテルのロビーと兼用のスペースなので人の出入りが激しいけれど、そのワサワサした感じはそんなに嫌な感じはしない。1時間ほでボケッと過ごす。

 

夜は義兄からもらった山梨のワインを開けて妻と息子と一緒に飲む。妻は酔っ払って沈没。洗い物をして風呂に入る。さすがに、お笑いやバラエティ番組にも食傷気味となりNHK BSで「グレートレース頂上決戦!モンブラン大激走170Km」、「平成万葉集」、「名盤ドキュメント YMO ソリッドステートサバイバー」を続けて見る。ソリッドステートサバイバーは1979年リリース、私が中学1年の時。ちょっと悪めの人たちが休み時間に音楽室に集まってエレクトーンでRydeenを飽きもせず弾いていたのを思い出す。

 

インフルエンザのせいで(おかげで)、家族がこぢんまりと家に引きこもって仲良く過ごせたお正月でした。

 

 

新しいテレビを買った

年末に新しいテレビを買った。今までは10年以上前に買った20インチの液晶テレビを見ていた。居間の中心にテレビがどっしりと居座っている風景が嫌いだったので、小さすぎると子供には散々文句を言われながらも、壊れるまではこれで行こうと引き延ばしてきたが、ようやく43インチ、4K対応のソニーのテレビを買ったのだ。

 

この10年の技術の進歩は目覚ましい。大画面にも関わらず高精細で色も綺麗。何よりも無線LAN対応なので、ネット動画を見られるのが便利。Amazon prime video もYouTubeもリモコンひとつで見ることができる。画質も普通のテレビ放送と遜色ない。パソコンやiPadの画面で見るのとは全然違う。じっくり腰を落ち着けて映画を見ようという気持ちになる。今までもテレビで見れないことはなかったのだけど、リモコンにネット動画のボタンがついて使い勝手が少し良くなるだけで、ネットでテレビを見ようという気持ちがこんなに高まるとは思わなかった。早速、ケーブルテレビは地上波とBSだけの最小限の契約にして、NETFLIXかhuluに入会しようと考えている。わざわざお店に行ってビデオを借りるなんて考えられない便利さだ。こりゃアメリカでBlockbusterがなくなってしまうはずだわ。

 

大きなテレビを買うのに合わせて部屋の配置を変えた。壁際にテレビを置いて、二人掛けのソファ1脚と一人がけの椅子が2脚。腰までの高さの本棚が3本。これをどうやって配置すれば、スペース効率が良くかつテレビが見やすい配置になるのか。テレビが配達されるまでの1週間ずっと考えていた。考え始めると、いてもたってもいられなくなり、メジャーを取り出して家具と部屋の寸法を測って頭の中でシミュレーションを続けてしまう。家具がなんとなく収まればいいという気持ちも半分あるのだが、もっといい配置があるんじゃないか、便利で使いやすい組み合わせがあるに違いないと、自分でも制御が効かなくなるくらいのめり込んでしまう。居間という自分が過ごす空間を思い通りにしたいという執着は怖いくらいだ。

 

自分の執着の強さに少しおののきながら、考え続けた結果がこの配置。本棚で窓の一部が隠れてしまったけれど部屋が広く見えて満足している。

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独立国家の作り方

 土地を利用するために、どうしてお金を払わなければならないのか。そもそも土地を所有するととはどういうことなのか。土地を個人が所有できるものなのか?使いたい人が自由に使って何故悪い。

 

そんな問題意識から、誰のものでもない土地を見つけ出し車輪のついた小さないつでも動かせる家を設置して利用する。誰のものでもない土地というのは、所有権がはっきりしない土地。例えば国と県のどちらの土地かが明確でなく、どっちつかずになっている土地。

 

著者はそんな土地を集めてネットワークにして勝手に独立国家として、お金がなくても使いたい人が使える土地にする。

 

既存の制度を否定したり真っ向から対決するのでなく、制度の隙間をついてやりたいことを実現していく。戦うのでなく涼しい顔して勝手にやる。

 

そうなんだよな。目を三角にして肩肘はるよりも、裏をかいてこっそり好きなことを始めるのがいい。

独立国家のつくりかた (講談社現代新書)

独立国家のつくりかた (講談社現代新書)

 

 

タコの心身問題 頭足類から考える意識の起源

 タコは5億個のニューロンを持っているそうだ。これは、高度な知能を持つ哺乳類や鳥類に匹敵くするくらいの数だということだ。そして、タコは、知能、意識を持っているように振る舞う。

 

蓋をした瓶の中に餌となる海老を入れてタコに与えると、タコは試行錯誤しながら蓋を開けて海老を食べる。ダイバーに興味を持つかのように近づいてきて、足を伸ばして確かめるような動きをする。実験室の水槽で飼われているタコは水槽の中から気に入らない人に水を噴きかけるそうだ。人なら誰にでもというわけでなく、特定の人を認識して水をかけるのだ。洋服を替えてもちゃんと気に入らない人を識別する。

 

著者は筋金入りのダイバーでオーストラリアの海中でタコを観察する。タコを題材に意識の起源を考察する。神経系統を構築し維持するのは生物にとって、かなり大きな負担になるにも関わらず、タコやイカが属する頭足類が膨大な神経系統を発達させたのは何故なのか?

 

著者はもともと頭足類はアンモナイトのように硬い殻を持っていたのだが、その殻を脱ぎ捨て身軽になったことに始まるという。殻がなくなったことでタコには骨や甲羅のような筋肉を固定するものがなくなったため、筋肉を自由に動かしてどんな形にも変化できるようになった。しかし、フニャフニャの筋肉をうまく動かして、意図して動きを実現するためには、筋肉の隅々にまできめ細かく神経のネットワークを張り巡らす必要があったのだ。

 

つまり、タコの神経は体全体の筋肉をうまく協調させて動かすために作られ、それが後に外界の刺激を感じ取り判断するために使われるようになったというのだ。

 

おせち料理の酢だこを食べる時には、タコは賢いということを心しておきたい。

タコの心身問題――頭足類から考える意識の起源

タコの心身問題――頭足類から考える意識の起源

 
 

 

らくだ

桂南光さんの独演会に行ってきた。

 

最近、ベッドに入ってYou Tubeで落語を聴きながら寝るのだが、大抵は最初の10分で寝入ってしまう。なので圓生のまくらばかり聞いている。そんなこともあって、生の落語を一度聞いてみたいと思ったのだ。

 

南光さんの二席目の「らくだ」。これは、長屋の鼻つまみ者で「らくだ」と呼ばれていた男がフグを食って死んでしまうところから始まる。らくだの兄弟分「脳天の熊」という男がらくだが死んでいるのを発見して、お通夜を出してやろうと、たまたま通りかかった屑屋を捕まえて、大家からお通夜用の酒と食べ物を調達してこいだの、近所の香典を集めてこいだの、無理難題をやらされる。お通夜の準備も整って、熊が屑屋に酒を進める。最初は遠慮していたものの三杯飲んだところで酔った屑屋が豹変する。

 

笑うところはもちろん、しんみりしたところもある1時間を超える長いおはなし。セットも何もない舞台で、たった一人の語りだけで落語の世界にグイグイ引き込んでいく。

 

すごいもんだと思いました。

伝奇集

アルゼンチンの作家、ボルヘスの初期の短編集。 

 

ボルヘスは、話の導入部分に聞いたこともない人名や地名、本の名前が出てくるので取っつきにくいのだが、小説の世界に取り込まれると忘れられない読後感に浸ることになる。

 

今でも、時々思い出すのは、「不死の人」というお話。永遠の命を得られるという街を目指してある男が砂漠を彷徨う。彷徨う途中で偶然飲んだ川の水が、不老長寿の水。男は永遠の命を得るのだが、本人はそのことに気づかない。砂漠で行き倒れになって、数百年後に目を覚ます。しかし、本人には一晩気を失って目を覚ましたようにしか感じられないからだ。

 

この伝奇集にも「不死の人」と同じように時間を主題にした「隠れた奇跡」というお話がある。ある死刑囚が6日後に刑を執行すると告げられる。彼は作家である戯曲を手がけていて、死刑執行の前に何とか完成させようとする。執行の前日に、「この戯曲を完成させるためにはあと1年必要だ。あと1年時間を下さい。」と祈る。翌日、刑場に連れられて、一斉射撃の引き金が引かれた瞬間に、彼の願いは叶えらる。思いもかけないやり方で。

 

何度も読み返すことになりそうだ。

伝奇集 (岩波文庫)

伝奇集 (岩波文庫)

 

 

どてら

冬場はパジャマの上にはフリースを羽織ってきたのだが、早朝に起きてストーブで部屋があたたまるまでが寒い。昨年息子に買ったどてらが気持ち良さそうだったので、今年は私も買った。

 

暖かい。特に背中がすっぽり包まれたようで暖かい。これさえあればどんなに寒くても乗り越えられそうだ。見栄えは囲炉裏端で背中丸めて昔話するお爺さんですが。

 

へたも絵のうち

 表紙に描かれた猫ののんびりとした気持ち良さげな顔に惹かれて買った。

 

熊谷守一1880年岐阜県恵那郡生まれの画家。1977年に97歳で亡くなっている。画壇とは一線を画して仙人のように暮らしていたそうだ。夫婦二人だけの晩年の一日の過ごし方を紹介した冒頭の文章がいい。朝起きて朝食をとると庭に出て、熊谷自身は庭いじり、奥さんは鳥の世話。それが終わると二人で碁を打つ。昼ごはんの後は夕方まで昼寝。絵は夜に描いていた。体調が悪かったこともあり30年間ほぼ家かれ外に出ることなく毎日同じように過ごしていた。

 

若い頃は写実的な絵も描いているが、年齢を重ねるにつれどんどんシンプルになり、輪郭を描いて色を塗りつぶしたような絵になる。表紙の猫も無造作に描いているようだが、筋肉の盛り上がり具合や顔の表情はリラックスした猫の特徴をが出ている。

 

マティスのようなシンプルな線と美しい色使い。この目で実物を見たいと思った。

へたも絵のうち (平凡社ライブラリー)

へたも絵のうち (平凡社ライブラリー)

 

 

 

新しい冷蔵庫

20年ぶりに新しい冷蔵庫を買った。今まで使ってきたのは、1998年に茨城のひたちなか市に引っ越した時に買った冷蔵庫だ。故障したわけではないのだが、モーターの音もうるさいし、水を補給すると自動的に氷ができる機能を使ってみたかった。製氷皿に水を入れこぼさないように細心の注意を払って冷凍庫に戻すのに疲れた。さすがに20年使えば買い換えてもいいだろう。容量は450リットル。もう少し大きいサイズも考えたが、うちは、2階に台所があるので、階段を運び上げるには幅は60センチが限界だろうと思い、これまでと同じサイズにした。

 

この20年の技術の進歩を一番感じたのは、冷蔵庫の静かさ。今まではコンプレッサーが動き始めるとブーンという音がリビングまで響き渡っていた。今度の冷蔵庫は耳を澄ますと微かに聞こえる程度の音しかしない。

 

掃除機は17年使っている。テレビは20インチの液晶テレビを10年、電気釜は5年だが最近調子が悪い。ご飯が部分的にベトつくし、保温するとご飯がパリパリになる。家の外壁も塗り替えたいし、何かとお金がかかる。