チキンヌードルスープ
BOOKDAYとやま、ますの寿司
観光気分でぶらぶら
連休も残り2日。妻とは映画行ったり、白峰の温泉に行ったりとちょこちょこと出かけたものの、娘とは一緒にどこにも行っていない。私は、娘を是非一度明治村へ連れていきたいと半年くらい前から機会あるごとに誘っているのだが、彼女はそれほど興味がなく、ユニバーサルスタジオだのディズニーランドだのに行きたいようで話が合わない。
この連休中も何度か、「どこか行きたいところがあったら連れてってあげるよ。」と誘って見たものの色よい返事がない。そもそも、高校生になったら親と一緒に旅行に行ってもつまらないのかもしれない。
今朝は妻の提案で、観光気分でホテルへ朝食を食べに行くことにした。金沢市内でしっかりとした朝食を食べさせてくれるところというと、安江町のキュリオがいいかと思ったが残念ながらお休み。下堤町のザ・スクエアホテル金沢の1階にあるBANKERS STREET CAFEにはゆったりできるソファもあって、なかな居心地がよかったのを思い出し、そこへ行くことにした。
快晴の下ホテルまで3人で歩く。まだ8時半だというのに近江町市場はたくさんの観光客で賑わっている。ホテルに着くと宿泊客でカフェは満席。10分ほど待って席に案内してもらう。3種類のメイン料理から一品を選んで、サラダ、パン、スープ、飲み物はバフェで好きなように取れるシステム。メイン料理として、私は目玉焼きとベーコン、ソーセージ、妻はスクランブルエッグとベーコン、ソーセージ、娘はエッグベネディクトを選ぶ。目玉焼きは卵ふたつなのが嬉しい。サラダは金時草や太きゅうりなど地元野菜を意識して使っている様子。パンは3種類、デザートにプリンもあった。一人2,000円は、普段の朝食としては高いのだろうが、家族揃ってゆっくり朝食を楽しむと思えば満足。
調子に乗って食べ過ぎたので、腹ごなしに歩いて金沢城公園に向かう。いもり堀口から入って公園内をひと回り。障害物をかっこよく駆け巡るパルクールというストリート系スポーツの大会をやっていた。
大手門から公園を出て、橋場町に向かう途中に武家屋敷の寺島蔵人邸があることを思い出し、せっかくなので寄って行こうと提案。二人は仕方なしといった様子で同意。入場料は大人300円、高校生は無料。中に入ると職員の方が説明してくれた。400石扶持の中級武士の屋敷で、240年前の建物。明治4年に半分くらいは取り壊されたものの、昭和63年まで人が生活していたそうだ。その後金沢市が管理している。
庭のドウダンツツジは樹齢300年で人の背丈ほどもある。ちょうど白い花が満開。こけむす庭も飛び石伝いに散策できるようになっていていい雰囲気。縁側に腰掛けたり、畳の上で座ってしばらく庭を眺めていた。ポツポツと観光客が来る程度で静かでいいところでした。娘も縁側のある畳の座敷が気に入ったようで、高校生無料なら学校の帰りに毎日でも立ち寄って、畳の上で勉強しようかと言っていた。
橋場町、主計町から浅野川沿いに小橋まで歩いて11時ごろ帰宅。キラキラした日差しと爽やかに風の中、心地よい散歩だった
アメリカは食べる アメリカ食文化の謎をめぐる旅
コストコ
野菜コンソメスープ
白山ろく民俗資料館
食べたくなる本
玄米スープ
4月に入ってから妻が。辰巳芳子さんのスープをまとめた料理本「あなたのために」の一番最初に登場する、「玄米スープ」を作るようになった。小麦色になるまで弱火で丁寧に炒った玄米を昆布と梅干しと一緒に煎じスープだ。じっくり弱火で30分煎じている間にも玄米の香ばしい匂いが部屋に満ちる。口に入れるとじわっと体に染み渡っていく。スープだけをカップに一杯飲んだだけで不思議な満足感がある。体に必要な成分が濃縮されているからだろうか。煮出した玄米は出涸らしで味はほとんどないけれどじっくり噛み締めるとなんとも言えない滋味なので、一緒に食べると腹持ちもいい。妻が始めたのだけれど、私の方がはまってしまい毎日朝起きると私が準備している。
天然知能
こんかこんかと輪島物語
茂原でソフトクリーム
フライドエッグトースト
土曜の朝に思い立ってフライドエッグトーストを作ることにした。目玉焼きをトーストにのせるだけの料理とも言えないような料理なのだが、武蔵ヶ辻にあったOH LIHEさん風に、目玉焼きとパンの間にマッシュポテトを敷き詰めるのだ。
じゃがいも4つの皮をむいて茹でる。柔らかくなったらスリコギで滑らかになるまで潰して牛乳とバターを入れて煮る。別院通りの「いなさ」で食べた猪シチューの付け合わせのマッシュポテトのようにもっちりとした食感を目指したのだが、さっくりした舌触りになってしまった。もっと煮込んだらよかったのだろうか。
目玉焼きは半熟とろとろに仕上げたいので、フライパンにつきっきりで火の通り具合を確認しながら焼く。同時にパンを焼き始める。全部出来上がったところで、パンにマッシュポテトを敷き詰めて、その上に目玉焼きをのせて完成。
流れ出した卵の黄身がポテトに染み込んでおいしいんだ。これが。
なぜ世界は存在しないのか
全ての事物や空間、人間が考えたことなどありとあらゆるもの全てを含んだ「世界」は存在しない。なぜなら、世界の外に世界に相対して、世界を意味付ける何かがないことには世界という言葉の意味が定まらないからだ。あるものの意味はそれ単独では定まらない、他の何かとの関係性によって決まるからだ。
となると、何もかも、全てを含む「世界」というものを意味付けることはできない。世界の外に世界と相対するものがあるのなら、それは世界に含まれることになるからだ。
様々な意味を成立させる場がたくさんあるのであって、世界という実態が、ポンと一つある訳ではない。
物事の関係性で決まる意味の場があるだけなのだが、全ては相対的であって事物は実在していない、ただ我々にそのように立ち現れているだけなのだ。というのでもない。確かにそこに林檎は存在するし、地球も太陽も宇宙も存在する。科学的手法により確かめられる事象は確かに存在する。他の人と合意できる概念は存在する。
著者は、事物だけ存在して概念は脳の中の化学反応の状態に過ぎないと言うのでもない。反対に、事物そのものは全く存在しておらず、我々がそのように頭の中で構築しているだけという立場でもない。個別の意味の場において事物は実在する。そんな意味の場がたくさんあるのだ。