自転車を取りに行く。

金曜日は職場の飲み会だったので仕事場に自転車を置いて帰ってきた。ランニングで職場まで行って、職場から自転車の乗って帰ってきた。

 

金沢駅前から市民芸術村を通って犀川の河川敷に出る。薄曇りでそれほど暑くなくて風が心地好い。木々の緑が鮮やかで目にしみる。何人かのランナーに抜かれる。気持ちよく走ることが何よりなので気にしない。下流に向かって走り桜田で河川敷を離れる。戸板あたりをうろうろしてから金石街道を渡って仕事場へ。約50分。

 

帰り道はゆっくり自転車をこいでクールダウンする。

幸せなひとりぼっち

 土曜日の夕方、Prime Videoのオススメにあったので見た。

 

スウエーデンの映画。妻に先立たれて、仕事もクビになった頑固オヤジが絶望して自殺しようとする。首をつろうとすると、車両進入禁止の区域に隣に引っ越してきた家族がトレーラーを乗り入れてきて注意しなければと中断する。駅のホームで電車に飛び込もうとすると、他の誰かが先に線路に転げ落ちて、助ける羽目になる。自殺しようとする直前に、頑固オヤジが父親との思い出、妻との出会いを回想する。

 

スウェーデンの美しい景色や物静かの人々の生活がいい。古いサーブとボルボがたくさん登場するのもいい。親子が乗ったサーブ92が田舎道を走るシーンがいい。

 

何の事前情報もなしに見たのが良かった。

 

怒涛の2週間終わる。

仕事の上で、大変スリリングで痺れる2週間だった。緊張しすぎて朝ごはんも昼ごはんも食べる気がしなかった。家に帰っても仕事のことが頭を離れず、家族ともあまり話すこともなかった。何とか週末までたどり着いてぼけっとしている。

 

午前中は、妻と二人で出かける。農協の直売所で、キャベツ、きゅうり、トマト、娘が食べたがっていたのでスイカ、梅干し用の梅2キロを買った。その足でユニクロへ行って、今シーズン用のステテコにTシャツを購入。ちょうど昼飯時になり、駅西のベーグル屋さんで、ベーグルサンドのランチ。

 

家に戻り、早速、梅仕事。妻が梅を水洗いして1つずつ丁寧に水気を拭き取る側から、梅のヘタを竹串でつっついて取る。これを丁寧にやらないとおいしい梅干しはできないそうだ。

 

これから30分ほど昼寝してからランニングに出かけ、夕方には銭湯に出かけてサウナでぼけっとするつもり。今日は何もしたくない。

社会を変えるには

 古代からの数々の社会制度の概要を眺めて、現代の民主制を相対化する。民主制のなかには、関係者全員が参加する直接民主制もあれば、選挙で選ばれた代表者が議論して意思決定する間接民主制もある。古来から、デモは民衆の意思表示の方法の1つであり、間接民主制の欠点を補うものであるという。

 

500ページを超える分厚い新書ですが、わかりやすい表現で読みやすい。選挙で投票しても何も変わらんと無力感を抱き始めた人に。じゃ、何すればいいのか、のヒントになる本です。

社会を変えるには (講談社現代新書)

社会を変えるには (講談社現代新書)

 

 

塩うに

知り合いから塩うにをもらった。福井県三国産の一箱8000円もする塩うにだ。
爪楊枝の先に待ち針の先ほどの大きさの塩うにを引っ掛けて口に含んで唾液でゆっくり溶かすように転がしていると、うにの旨味が拡がってくる。塩気と旨味が日本酒にぴったりだ。塩うにとお酒の無間地獄に入り込む。ご飯のお供にも最高だ。熱々のご飯で塩うにを包み込んでしばらくすると、ご飯の蒸気でふやけて柔らかくなる。それをご飯にまぶしながら食べるとたまらん。
 
うまいのはありがたいのだが、塩気とプリン体が豊富なものを毎日食べていたら高血圧か痛風になりそうなのが怖い。

25周年

6月4日が25年目の結婚記念日だった。結婚したのは1994年。知り合って3年目に結婚した。
 
「いろいろあった。」としか言えないけれど、妻には感謝の気持ちでいっぱいだ。曲がりなりにもこの年まで仕事を続けて社会からはみ出すことなく暮らしてこれたのは彼女のおかげ。東京からサンノゼ、茨城、金沢と見知らぬ土地でも一緒に来てくれて楽しく暮らせたのも彼女のおかげ。子供二人をなんとか中学卒業まで育てられたのも彼女のおかげ。
 
「結婚記念日だねぇ。」と、晩御飯を食べながら娘も交えて結婚式の思い出話をして、食後に3人でサーティワンアイスクリームを食べに行ったくらいで特別なことはしなかったけれど楽しかった。週末は二人でご飯を食べに行くかな。

神社Bar

晴天の土曜日。娘は昼間は部活動、夕方から塾へ行くので夜の9時まで帰ってこない。妻と本読んだり昼寝したりと家でのんびり過ごす。午後3時になり少し体を動かそうと返却しないといけない本もあるので玉川図書館まで歩いて行くことにした。

 

昌永橋を渡って瓢箪町から安江町を抜けて武蔵ヶ辻へ出ると、百万石祭りの武者行列これから通りかかるところで、たくさんの人が道沿いに連なって待ち構えている。妻が少し立ち止まって見物したそうなそぶりをしていたが、私は全く興味ないので、そそくさと地下道を抜けてエムザ裏の通りを先に進む。

 

むらはたの今月のパフェは「マンゴー」。相変わらず賑わっている。突き当たりを右に曲がる。鰻屋さんの浜松の並び、以前まで古着屋さんだったお店が改装工事中だったので、今度はどんなお店ができるのかと中の様子をうかがいに近づくと、正面のガラスに白い文字で「神社Bar」と書いてある。あまりに意外な店名にギョッとして一歩下がると、入口のドアが赤い鳥居で囲まれている。鳥居をくぐって店内に入る仕組みのようだ。マスターは神主の装束で、真っ白な瓶子から盃にお神酒を注いでくれるのだろうか。お通しは勝栗で、お会計は賽銭箱にでも入れるのか。など妄想が膨らむ。

 

玉川図書館で本を返し、お茶でもしようとせせらぎ通りから香林坊へ向かう。いろんなお店を覗きながら歩いたが、混んでいたり休憩中だったりと入れず、結局、大和の地下食品売場の一角にある「金澤ちとせ珈琲」に入る。ここは妻の最近のお気に入り。仕事帰りに立ち寄ることもあるらしい。コーヒーは一杯づつサイフォンで淹れてくれる。パソコン広げて長居するような人はいない。買い物帰りの人たちがちょっと休憩するような落ち着いた雰囲気がいい。

 

人混みを避けるために尾山神社裏から商工会議所、下堤町、近江町市場を抜け、彦三大通りで帰ってきた。

 

 

ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観

 アメリカ人宣教師が、アマゾンの奥地の「ピダハン」という少数民族の村で暮らし、彼らの言葉を調査するお話。彼の目的は聖書をピダハン語に翻訳してキリスト教を布教することなのだが、宗教はピダハンたちに必要とされず布教は失敗。しかも宣教師自身がピダハンの暮らしに影響を受けて信仰を放棄する。

 

ピダハンたちは、そもそも本人が直接体験したこと、または話し手が経験したことしか信用しない。2000年前ににキリストという人が存在してこんなことを言った。と説明したところで、真面目に聞いてもらえない。

 

その日食べる分の魚はその日に獲ってくる。ジャングルでキャッサバを育てるくらいで食料を蓄えることもないし、立派な住居を建てることもない。簡単な骨組みに丈夫な葉っぱで屋根を葺いた簡単な小屋に住む。嵐で吹き飛ばされれば建て直すだけ。外部から人がやってきて便利なものを持ち込んでも、不要なものは自分たちの暮らしに取り入れない。

 

明日のことは心配しない。直接経験したことしか気にしないから、いろんな概念をこねくり回して心配事を増やすこともない。食べて寝て楽しく過ごせればそれ以上は求めない。

 

原始仏典にあった人類の起源の話を思い出す。その日に必要な食料はその日に収穫する生活をしていたときには、いつも好きなだけ食べられていた人々が、毎日収穫に行くのが面倒だと考えて、食料を蓄え始めたことで、必要な食料を確保できなくなった話を思い出した。

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

 

 

実践 日々のアナキズム 世界に抗う土着の秩序の作り方

見通しの良い交差点で何百メートル先まで1台も自動車が走っていないことが明らかな場合に、歩行者用信号が赤だったら信号を守って青になるまで待つのか、信号は無視して歩くのか。著者はこれを「アナキスト柔軟体操」と呼んで、当事者が国が定めた法律はさておいて、その場の状況に応じて臨機応変に行動を変えることができる力の試金石だとしている。
 
私の場合は、30代の頃までは、他人がいてもいなくても、じゃんじゃん信号無視して歩いていたけれど、自分の子供ができてからは、子供が真似するとまずいかと周囲を見回して小さな子供がいると大人しく信号に従うようになった。最近は、高校生もきちんと信号を守るようになり、世の中がきっちりしてきたように思う。そうなると、他人の目が気になって信号を無視すべきかどうか、その都度考えるのも面倒なので、何も考えずに信号に従うようになった。
 
歩行者用信号のことなんて、どうでもいいような小さい話だし、出るところに出れば無視する奴が悪いと叩かれるに決まっているので、そんなことにこだわるのも何かと面倒なのだが、明らかにおかしいので無視しちゃえと思えるか、否、決まりは決まりだからどんなにアホらしくても守らなければと思うか、どちらの行動を取る人が多いかは、意外と大事かもしれないと思った。
 
状況にあっていない法律は無視。と、小さな不服従に踏み出せるか、法律は法律ですからと律儀に守るのか。
 
著者は、現状に不満を抱く人々の小さな不服従合わさって大きなうねりになった時にしか世の中は変わらないという。選挙なんて国家に飼いならされた組織同士の争いでガス抜きにしかならない。支配層がこりゃまずいと真剣になるのは、デモとか暴動とかストライキとか彼らが制御できない事態になった時だけじゃないの、と言う。正当な手続きに則って法律を改正してとか、選挙を通じて主張すべきなどというのは、支配する側に都合の良い寝言。そんなこと普通の人が思い立っても、時間も金もないのでできるわけもない。
 
手間はかかるけれど、その場その場でちゃんと考えないと、と思う。 
実践 日々のアナキズム――世界に抗う土着の秩序の作り方

実践 日々のアナキズム――世界に抗う土着の秩序の作り方

 

 

 

家事は大変

この前の月曜日に妻が入院してようやく1週間がたった。娘との二人暮らしの家事がこんなに大変だとは思わなかった。何が大変かというと、料理に洗濯、ゴミ出しに掃除に猫の世話、などなど。次々とやらなきゃいけないことがあって、テレビをみてゆっくりくつろいでなどいられないのだ。

 

料理は、休みの日に道楽でやるのとは大違い。冷蔵庫にある食材を賞味期限内に使い切るように朝晩のメニューを考えるのが大変。考え出すときりがない。自分の弁当は作ったことがあったが今回初めて娘の弁当を1週間作った。自分が食べるぶんには、ご飯にふりかけと佃煮だけでいいのだが、娘の弁当となると卵焼きと蛸ウインナーを入れて、緑色にブロコリーを茹でてなどと時間をかけてしまう。

 

ご飯を過不足なく食べきるのも難しい。できれば保温は12時間以内に抑えたいのだがどうしても余ってしまう。そんな時はおじやかチャーハンにして食べるようにした。無理して私が食べきることもあった。

 

朝起きてすぐに洗濯機を回して干すのは苦にならないのだが、仕事から帰ってきて洗濯物を取り込んで畳むのが辛い。畳むのが面倒なのでそれぞれのカゴを作っておいて、そこに投げ込むだけにしたらどうだろう。

 

朝起きてから寝るまで、とにかくやることに追われる。料理、洗濯、掃除のように家事としてはっきり認識できることだけでない。猫の世話やらゴミ出し、新聞の整理、宅配の再配達の依頼など、ちょこちょことやらなきゃいけないことが、次々と発生するので、寝るまで気が休まらない。

 

この1週間は晩御飯を食べて後片付けを完了したら、リビングで寝落ちし続けていた。妻が暇さえあれば昼寝したり、お茶を入れてのんびりしていた気持ちがわかる。意識して自分でのんびりしないと擦り切れてしまうだろう。

 

明日退院するので、今後は食器の後片付けくらいは率先して手伝おうと思っている。

 

チキンヌードルスープ

アメリカは食べる」の中で、東理夫がアメリカの三大スープとして、クラムチャウダー、ミネストローネ、チキンヌードルスープを紹介していた。クラムチャウダーはキャンベルのスープ缶でよく食べていたので昔から馴染みがあった。同量の牛乳で溶いて食べると缶には書いてあるがそれでも味が濃いので、2倍の牛乳を加えるのが好みだった。ミネストローネは冷蔵庫に残った野菜を使い切るために、細かく切ってトマト缶と一緒に煮て何度も作っていた。ただ、チキンヌードルスープに関しては、何回かこれもキャンベールの缶詰で食べたことがあったが、ぼやんとした味で、ぶよぶよでブツブツに切れたスパゲティが入ったスープという印象しかなく、アメリカ人は何であんなもの好きなんだろうと思っていた。
 
チキンヌードルスープに対するそんな印象が変わったのは、車でアメリカを旅行するようになってからだ。サンノゼからネバダ州のリノへ2泊3日でスキーに行ったここがあった。帰り道に大雪になりハイウエイにもどんどん雪が積もっていく。チェーンは用意していたものの自分で装着したことがなくどうしようかと思っていたら、どんな人がやっているのかわからないが、峠の手前の退避スペースで20ドル払うと装着してくれるサービスをやっていた。峠を越えて雪がなくなってくると今度は10ドルでチェーンを外してくれた。なんとも合理的な仕組みだと感心したもんだ。
 
慣れない雪中のドライブ、更にサクラメントを過ぎても雨で視界が悪く疲れ果てて、ようやくストックトンにたどり着いたところで、ガソリンを入れがてら小さなお店に立ち寄った。アメリカのハイウエイには所々、ガソリンスタンドを兼ねたよろず屋のようなお店がある。お腹が減ったので、サンドイッチとバナナを買った。そこに、自家製のチキンヌードルスープを大鍋で売っていたので、発泡スチロールのカップに注いでレジでお金を払う。
 
車に戻ってスープを飲むと、寒かったからなのか疲れていたからなのか、体にじわっとしみ入るようでうまかった。ぼやんとした味が体に優しく感じる。ふにゃふにゃの麺は消化に良さそうでありがたい。
 
それ以来時々食べたくなって、缶詰を買ったり自分でも作っている。玉ねぎ、人参、セロリなどの香味野菜を細かく切って蒸し炒めにして、鶏肉を加えて煮込む。適当な時に適当なパスタを入れて柔らかくなったら出来上がり。あまり味付けしない。塩コショウで整える程度で薄めがいい。
 
アメリカでは風邪をひいた時にお母さんが作ってくれる代表的な料理ということになっているそうだ。
 

BOOKDAYとやま、ますの寿司

富山市総曲輪のグランドプラザで開催されていた「BOOKDAYとやま」へ行ってきた。北陸の古本屋さん、新刊の本屋さん、中古レコード屋さんなど約40店が勢ぞろいするのだ。特に目的もないけれど面白い本でもないか一通り回る。レコード屋さんのスペースが広くとってあり、古本の品揃えは期待していたほどではなかったが、普段行くことのない古書店の棚を見れてよかった。やはり郷土史ものは地元のお店でしか手に入らない。
 
気になる本は色々あったものの、結局買ったのは、鶴見良行の「ナマコの眼」のちくま文庫版。図書館で何回か借りたことがあるけれど、最後まで読んだ記憶がないので、手元に置いて気が向いたらいつか読むつもりだ。
 
妻は有元葉子の「わたしの日常茶飯事」と工藤直子の「まるごと好きです」のちくま文庫版を買っていた。
 
 
せっかく富山に来たので、鱒の寿司でも買って行こうと街をウロウロしていると、富山大和の向かいに「幻のます寿司」の看板を見つけて吸い寄せられるように中に入る。2,300円と少々高かったが晩御飯で3人で食べようと買ってみた。ここは寿司工房大辻という本店が立山町にある会社。金沢にいると源の鱒の寿司を食べる機会が多いが、富山では沢山のお店がそれぞれ作っているので、いろいろと試してみるのが楽しい。
 
晩御飯で食べたところ、鱒の身は分厚く酢での〆具合はソフトな感じで生っぽい食感。わたしはもう少し酢が効いていた方が好みだけれど、これはこれで美味しい。
 

観光気分でぶらぶら

連休も残り2日。妻とは映画行ったり、白峰の温泉に行ったりとちょこちょこと出かけたものの、娘とは一緒にどこにも行っていない。私は、娘を是非一度明治村へ連れていきたいと半年くらい前から機会あるごとに誘っているのだが、彼女はそれほど興味がなく、ユニバーサルスタジオだのディズニーランドだのに行きたいようで話が合わない。

 

この連休中も何度か、「どこか行きたいところがあったら連れてってあげるよ。」と誘って見たものの色よい返事がない。そもそも、高校生になったら親と一緒に旅行に行ってもつまらないのかもしれない。

 

今朝は妻の提案で、観光気分でホテルへ朝食を食べに行くことにした。金沢市内でしっかりとした朝食を食べさせてくれるところというと、安江町のキュリオがいいかと思ったが残念ながらお休み。下堤町のザ・スクエアホテル金沢の1階にあるBANKERS STREET CAFEにはゆったりできるソファもあって、なかな居心地がよかったのを思い出し、そこへ行くことにした。

 

快晴の下ホテルまで3人で歩く。まだ8時半だというのに近江町市場はたくさんの観光客で賑わっている。ホテルに着くと宿泊客でカフェは満席。10分ほど待って席に案内してもらう。3種類のメイン料理から一品を選んで、サラダ、パン、スープ、飲み物はバフェで好きなように取れるシステム。メイン料理として、私は目玉焼きとベーコン、ソーセージ、妻はスクランブルエッグとベーコン、ソーセージ、娘はエッグベネディクトを選ぶ。目玉焼きは卵ふたつなのが嬉しい。サラダは金時草や太きゅうりなど地元野菜を意識して使っている様子。パンは3種類、デザートにプリンもあった。一人2,000円は、普段の朝食としては高いのだろうが、家族揃ってゆっくり朝食を楽しむと思えば満足。

 

調子に乗って食べ過ぎたので、腹ごなしに歩いて金沢城公園に向かう。いもり堀口から入って公園内をひと回り。障害物をかっこよく駆け巡るパルクールというストリート系スポーツの大会をやっていた。

 

大手門から公園を出て、橋場町に向かう途中に武家屋敷の寺島蔵人邸があることを思い出し、せっかくなので寄って行こうと提案。二人は仕方なしといった様子で同意。入場料は大人300円、高校生は無料。中に入ると職員の方が説明してくれた。400石扶持の中級武士の屋敷で、240年前の建物。明治4年に半分くらいは取り壊されたものの、昭和63年まで人が生活していたそうだ。その後金沢市が管理している。

 

庭のドウダンツツジは樹齢300年で人の背丈ほどもある。ちょうど白い花が満開。こけむす庭も飛び石伝いに散策できるようになっていていい雰囲気。縁側に腰掛けたり、畳の上で座ってしばらく庭を眺めていた。ポツポツと観光客が来る程度で静かでいいところでした。娘も縁側のある畳の座敷が気に入ったようで、高校生無料なら学校の帰りに毎日でも立ち寄って、畳の上で勉強しようかと言っていた。

 

橋場町、主計町から浅野川沿いに小橋まで歩いて11時ごろ帰宅。キラキラした日差しと爽やかに風の中、心地よい散歩だった

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アメリカは食べる アメリカ食文化の謎をめぐる旅

「食べたくなる本」で紹介されていた本。アメリカの食べ物に関する情報が盛り沢山なのは当然として、食べ物を通じてアメリカという国の成り立ち、歴史を知ることができる良い本。
 
クラムチャウダー、ミネストローネ、チキンヌードルスープ、フライドチキン、ジャンバラヤガンボスープ、コーンブレッド、グラノラ、ドーナツ、スパム、バーベキュー、ケチャップ、ハンバーガー、PJサンド、ポークビーンズハッシュドポテト、ステーキ、ミートボールスパゲッティ、缶詰などなど。
 
これらの食べ物の起源をアメリカへの移民の歴史と重ね合わせて説いて行く。移り住んできた順に並べると、メイフラワー号でやってきたイギリスからのの人々、スペイン系、フランス系、黒人、ドイツ系、アイリッシュ系、イタリア系、東欧系、アジア系。彼ら移民たちがアメリカで手に入る材料を使い何とかして故国の味を再現しようとして、変化し根付いたの料理の集合体がアメリカの料理だという。だから、正統的な故国の料理とはズレる。商売として成り立たせるためには、出自が異なる人たちにも受け入れられるように、微妙なところは省いて、わかりやすい味に寄って行く。照り焼きは醤油味と甘さが強調されすぎて、みたらし団子のタレのように変化する。アメリカで働いていた時に、中国からの移民の女性が「アメリカの中華料理には繊細さがないのよね。」とこぼしていたことを思い出す。
 
それを故国から見て「アメリカの料理はまずい。」というのは簡単だけど、そうなるしかなかった理由があるのだ。
 
次に著者は、アメリカでは地域独自の料理が発展しないのか、料理が画一的なのかについて考察する。次々とアメリカにくる移民たちが、より暮らしやすい土地を求めて開拓民として西へ西へと移動して行ったことや、国自体が広すぎて、鉄道による物流で画一的な味を届けるしかなかったこと、軍隊で皆同じようなレーションを食べたことなどを挙げている。
 
そして、アメリカに暮らす人たちは、アメリカ人になる、アメリカ人として認められるために食べる。自分の出自はとりあえず置いておいて、既存の典型的なアメリカの食べ物を受け入れることで、アメリカ人になるのだ。さらに、機械の平等、公正な社会というアメリカ社会の理想というか建前の象徴として、みんなと同じものを食べる。どんな金持ちも大統領も庶民と同じものを食べることが良いことなのだ。
 
最近、トランプ大統領が大学のフットボール優勝チームをホワイトハウスに迎えるにあたり、大量のハンバーガーを用意したという記事があったが、あれは、政府機関の閉鎖という事情があったとはいえ、あながち失礼な話ではなくて、返って大統領の支持者の好感度をあげる方に効いているのかもしれない。

 

アメリカは食べる。――アメリカ食文化の謎をめぐる旅

アメリカは食べる。――アメリカ食文化の謎をめぐる旅

 

 

コストコ

妻と娘を連れて野々市コストコに行った。ピザとサラダを買って実家の母親とお昼に食べようと思ったのだ。10時過ぎにお店に着くと、屋根のある2階駐車場はすでに混雑。かろうじて入り口から一番遠い列の一角に止めることができた。カートを押して売り場に入ると、パイナップルやチーズパイ、ベーグル、豚バラなどに食欲をそそられる。何も考えずに売り場を一周すると欲望に操られるままにカートをいっぱいにしてしまいそうなので、今回の目的である、お昼に食べるサラダと母のお気に入りのトイレットペーパーの売り場へまっすぐ向かった。
 
結局、チョレギサラダにベーコンと野菜をトルテーィーヤで巻いたお惣菜、ちょうど無くなりかけていた詰め替え用のシャンプーとリンス、ベーコンとパルメジャーノレジャーノ、辛ラーメンを買った。全部て約1万円。
 
レジを通ったところで、焼きたてのピザをホールでオーダー。注文を受けたから焼くとのことで20分待ち。焼く前のピザを買って自分の家で焼いた方が熱々で美味しいのだが、ここのピザは大きすぎて日本規格のオーブンには入らない。ホールのピザをオーブンの天板のサイズピッタリに端を落とすようにカットして焼いたことがある。
 
手持ちぶさたで他のお客さんの様子を眺めていると、バーベキューの準備と思しき集団が大量の肉とビール、ワインを買い込んでいる。出来合いのお惣菜やパンを買い込んでいる家族づれも多い。コストコも金沢のお客さんの生活にようやく定着したように感じた。