日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学
自分が育った時代、つまり小学校から大学生くらいまでの社会の状況が、自分にとっての当たり前として知らず知らずのうちに刷り込まれている。
私は1966年生まれ、小学校入学が1973年で大学卒業が1991年。高度成長の末期に小学生になり、オイルショックを経て、ジャパンアズナンバーワンと日本経済が一番調子が良かった頃、一億総中流と言われ所得格差が1番小さかった頃に中学高校時代を過ごし、バブルの絶頂期に大学時代。バブル崩壊とともに就職した。
未だに経済は年々成長して暮らしは良くなっていくもの、大学生は勉強もせずに遊んでいるもの、就職活動は適当にやっても仕事は向こうからやってくるものという意識がどこかに染みついている。だから最近の大学生が在学中から専門学校に通って資格をとっているというのを聞くと驚く。新入社員が仕事のこと、自分のキャリアのことを真面目に話すとびっくりする。
この本は、新卒一括採用や終身雇用、企業別の組合、正規雇用と非正規雇用の格差などの今の日本の雇用の仕組みが、なぜそうなっているのかを明治時代からの歴史を踏まえて説明する。そして、雇用の仕組みが教育や福祉の制度にどのような影響し、また影響されてきたかについての解説もある。
終身雇用や新卒一括採用などのいわゆる日本型の雇用慣行の起源は、遡れば、明治の官公庁や軍隊の職能と職務による人事評価、処遇に始まりがある。それが民間企業にも採用され、戦争の総動員体制、戦後の組合との折衝を経て、完成したのが1960年代後半の高度成長期。高度成長が終わり低成長となると、終身雇用の正社員を維持していく人件費の負担に耐えられず、大企業は女性や高齢者などの非正規社員を増やしていく。さらに、バブルの崩壊と団塊の世代ジュニアが大学を卒業する時期も重なり、大学を卒業しても非正規社員として働かざるを得なくなる。
日本型雇用慣行が完成しうまく機能していたのは、たかだか十数年。その十数年が、ちょうど私の小学校から大学時代にすっぽり当てはまる。その頃の時代の雰囲気が未だに自分に染みついている。そして今も日本型雇用慣行は高齢者や女性、外国人などの非正規社員を活用することで維持されている。根本的には変わっていない。
雇用について議論する際の、しっかりとした足場となる根拠を提供してくれる内容。読んでおくべき本です。
車検
我が家のエクストレイルの車検がようやく完了した。一泊二日で終わるかと思っていたところが、タイミングベルトの劣化、燃料パイプからのガソリン漏れ、ドライブシャフトのブーツ破損、前輪を保持している部品にガタが出ているなどなど、修理が必要なところが多数見つかり、作業に1週間もかかったのだ。当然、費用もかさんで、合計で33万円もかかってしまった。
軽自動車を新車で買うと200万円近く必要なことを思えば、30万円の追加出費で、これから2年安心して乗れるのは、考えようによってはお得かもしれないと、自分を納得させながらディーラーで支払いを済ませて車を引き取ってきた。
きっちり整備してもらったからか、エンジン音から路面からハンドルに伝わる感触まで非常に滑らか。シャカシャカというブレーキを引きづる音も消えた。経年劣化で曇っていたヘッドライトカバーも磨いて透明になったので夜の運転も安心。17年で17万キロ走ったこの車、こうなったら意地でも25万キロくらいまでは使いたい。
五箇山
娘が通っている高校の英語のサマーキャンプの先生としてアメリカから来日、ホームステイで我が家に1週間滞在してくれた大学生のアニスを連れて五箇山に行ってきた。
昼間に散策するのは余りにも暑いので、午後3時30分ごろに家を出て白川郷に向かう。車中で白川郷について調べてみると、いろいろな施設は午後5時に閉館するとのことだったので、少し手前の五箇山に行き先を変更した。到着したのが4時30分、ここの五箇山民俗館と塩硝の館も5時閉館ということで慌てて見学する。塩硝というのは黒色火薬の原料。囲炉裏の側に穴を掘り人尿や鳥、蚕の糞、そば殻、土を積み重ねて4、5年かけて発酵させて、それを桶に入れて水と混ぜ合わせて、その溶液を煮詰めると結晶化して採取できるそうだ。この塩硝と木炭、硫黄と混ぜると黒色火薬になるのだ。
塩硝の館を出ると、すでに5時を過ぎていた。たくさんいた観光客もいなくなり、この菅沼集落を歩いているのは我々だけ。地元の人が所々で畑仕事をしていた。夕暮れ時の静かな合掌造りの集落を散策できてよかった。
アニスにとっては、田んぼに青々と生い茂る稲が興味深かったようで、田んぼの写真を何枚も撮っていた。また、「米というのは何処にできるのか? 地下か?」と聞くのでグーグルで、稲穂が深々と頭を垂れている写真を検索して見せた。
お土産物屋さんで五平餅を買って3人で食べる。アニスも五平餅の甘辛味噌味が好きなようで、一人で一本を食べていた
ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス
小学校の図書館司書をやっている妻に誘われて見てきた。上映時間が3時間25分、途中に休憩もある長いドキュメンタリー映画。ニューヨーク公共図書館の表も裏もたっぷり見せてくれます。運営方針や予算の優先順位を議論する運営会議、地域の子供たちを集めて読み書き教室やロボット教室、リチャード・ドーキンスやエルビス・コステロも登場する講演会、詩の朗読、地域のお年寄りを集めたダンス教室、就職説明会。などなど。
登場する人たちが自分の考えを、熱く丁寧に語り続ける映像がずっと続きます。言わなくてもわかるでしょ、というのはなし。語り手が丁寧に説明して、聞いてる方もちゃんと受け止めるやりとりを見ていると、良くも悪くもアメリカだなと思う。
利用者が調べ物したり、勉強したり、一人で取り組む真剣な表情がいい。講演を聴きながら、何かが閃いたのか、腹に落ちた時の、かすかにポッと明るくなる様子もいい。
3時間25分はさすがに腰が痛くなったけれど、図書館好きにはおすすめです。
スペイン風オムレツ
私と妻の両方の実家からジャガイモをたくさんもらった。保存がきくので慌てて食べる必要もないのだけれど、普段はあまり作らないジャガイモ料理を作ってみることにした。
ジャガイモ料理といえば、以前から一度きちんと作ってみたかったスペイン風オムレツ。ネットで本場の作り方だというレシピを参考にしてみた。
玉ねぎとジャガイモを1センチ角くらいにざく切りにする。多めのオリーブオイルで玉ねぎを炒め煮にする。そこにジャガイモを加えて弱火で火が通ってほっくりするまで炒める。卵4個をボウルに溶いておいた中に炒めた玉ねぎとジャガイモを入れて混ぜる。
あらためてフライパンに油を引いて卵とジャガイモ、玉ねぎを混ぜたものを焼く。今回は具の量に対して卵が少なかったようで、うまく固まらずグダグダになってしまった。
グダグダになったけれど味は同じ。玉ねぎの甘みが効いて大変おいしい。
青虫は一度溶けて蝶になる:私・世界・人生のパラダイムシフト
全てが順調に進んでいて、「俺ってすごいな」と全能感いっぱいの時期と、何もうまくいかなくて、自分はダメな人間だ、存在する意義すらないと感じてしまう時期。その両極端を状況jによって行ったり来たりしていたように思う。落ち込む時はとことん自分が嫌になる。毎日が楽しくない。
「私」と「世界」を別個の対立する実体と考え、私がうまく世界をコントロールできていると思えば全能感、うまくコントロールできなければ劣等感を抱くことになる。一貫して藤田一照さんがおっしゃるのは、私と世界は別々の存在でなく繋がっている。私のあり方が世界をそのように立ち上がらせる。ということ。
「私」を海に立つ波に例えていたのがわかりやすかった。1つ1つの波が世の中の人々の「私」。いろんな大きさや形の波があるけれど、波は海全体で繋がっている、しかもその時々の海の状態で変化していく。波は大きくなったり小さくなったりするけれど、海全体の状況次第で移り変わっていく。
だから状況を一喜一憂しない。リラックスして、状況を観察して、受け入れて、それから反応してみなさいという。各章の終わりに簡単なワークがあるので、少し時間をかけてやってみると面白いです。
青虫は一度溶けて蝶になる: 私・世界・人生のパラダイムシフト
- 作者: 藤田一照,桜井肖典,小出遥子
- 出版社/メーカー: 春秋社
- 発売日: 2017/05/19
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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インフォメーション 情報技術の人類史
情報を伝える。ということに関する諸々をまとめた本です。
まずは、アフリカのトーキングドラムについて。次に、語って伝えること、文字で伝えること、辞書の編纂、電信(モールス信号)で伝える、電話、コンピュータなどなど。
これらの個別の通信方法を紹介しつつ、全体がクロード・シャノンの「通信の数学的な一理論」の説明にもなっている。
扱うテーマが幅広いけれど、それぞれの章が面白い。
- 作者: ジェイムズグリック,James Gleick,楡井浩一
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2013/01/01
- メディア: 単行本
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平成史【完全版】
元号が変わったからって何が変わるんだ。と思いつつも平成の30年間はどんな時代だったのかと振り返りたくなり、この本を手に取った。
この本では昭和の後期(昭和33年から64年まで)は、製造業中心の産業構造が確立した時代であり、平成はその製造業中心の仕組みが通用しなくなった時代と位置付ける。1961年に第2次産業の就業人口が初めて第1次産業を上回る。その後第2次産業に携わる人は増え続け1992年にピークを迎える。
私は1966年生まれ、1991年に大学を卒業しているので、まさに日本の製造業が一番華やかだった頃に育ってバブルの終了とともに就職したことになる。実感としては96年くらいまではバブルの余韻はあった。97年の金融危機以降のことはあまり印象に残っていない。またいつか経済は回復するんだろうと思い続けていたら平成が終わってしまったのが実感だ。多分、平成の終わりは昭和の記憶を抱いてきた人たちがいなくなっていくことなんだと思う。
平成を振り返って一区切りつけたい人へおすすめです。
鯛とキジハタ
釣り好きの上司からの釣果のおすそ分けをもらった。真鯛とキジハタ。キジハタは身に弾力があって刺身がおいしいらしいのですが、皮がぬるぬるして捌きにくいので煮魚に。真鯛は塩焼きにした。
キジハタは確かに皮が粘液に覆われていてぬるぬる。鱗を取り除いて頭を落とし、腹わたを取り除いてから湯通しをする。鍋に醤油、酒、みりんを入れて沸騰させてキジハタを投入。落し蓋をしてひたすら強火で7、8分煮て完成。食べてみる身がぷりっぷり。箸が通らないくらい弾力がある。
真鯛は腹わたを取り除いて塩焼きに。大きすぎてガスコンロの魚焼きグリルの上火に接触して頭が黒焦げになった。
キジハタは娘が喜んで食べていたのでよかった。よかった。魚の捌き方は、本やネットで見よう見まねでやっているので、一度きちんと勉強したい。
美術館と競輪場
富山の美術館と競輪場に行ってきた。
8時48分発の電車で富山へ向かう。なんとか座れたが座席はほぼ埋まって立っている人もいた。電車の中では、中々読み進めていない「失われた時を求めて」の6巻を半ばウトウトしながら読んで過ごす。
10時前に富山駅に到着。富山県美術館まで15分くらい歩く。いつきても富岩運河環水公園は美しいところ。子供が小さければお弁当持ってきて遊ばせに来る。今日の目当ては「チェコ・デザイン100年の旅」。20世紀初めの、アールヌーボー、キュービズムあたりの印刷物がかっこいい。緑や紺一色刷りの本や雑誌の表紙はたまらんくらいかっこいい。その頃に出版されたチャペックの「ロボット」の初版本も展示してある。
コレクション展の椅子の展示も良かった。イームズのラウンジチェアは座ってもいいとのことだったので試してみる。座面に腰のあたりを支えるクッションがあるので、でれっと座りやすい。いつか我が家にもオットマン付きで欲しい。午前中だったからか、適度な混み具合。ゆっくりできるのが何よりありがたい。
11時半頃に美術館を出る。インテック本社前からポートラムに乗って富山競輪場へ。17分の乗車時間で200円の均一料金とは安い。沿線の人は便利だろう。競輪に来るのは初めて。車券の買い方がわからなかったが、見よう見まねでなんとか買ってみる。とりあえず、1着と2着を当てる「2車単」といいう買い方を100円ずつ何度かやってみたが当たらん。倍率の一番低いの買ったら大穴出るし、当たる気がしない。
当たらないけれど、スタンドに座っていると海からの風が気持ちいい。コアな人たちの選手への声援も面白い。走っている人と観客の距離が近いのがいい。昼からビール飲んで気持ちよくなってる人、多数。私もカルビ丼食べながらビール飲む。隣のテーブルでは、4、5人が新聞片手にビール飲みながら、次に誰に賭けるべきか、しきりに議論している。7レースまで見て、再びポートラムに乗って富山駅に戻る。
駅の「とやマルシェ」に、鱒の寿司を買いに立ち寄る。ここは、いろんなお店の鱒の寿司を、鱒の生さ加減や酢の効かせ具合などをレーダーチャートで比較できるようにして売っている。わかりやすくていい。この前は生っぽいのを食べたので、今回は酢がそこそこ効いているらしい「吉田屋」のを買ってみた。
15時12分発の電車で金沢へ戻る。ビールの酔いが回ったのか居眠りしているうちに着いた。
親子丼
土曜のお昼ご飯に何を作ろうか考える。
電気釜で24時間保温中の黄色くなったご飯をなんとかしなければ。となると、炒飯か丼物。炒飯は先週作ったし、冷蔵庫に胸肉が一枚残っているので親子丼にするか。親子丼なら普段は玉ねぎを使うところだが、野菜室に買ってから1週間経過した干からびて芯が飛び出た長ネギが3本あるので、あれも使ってしまおう。
ということで、親子丼を作る。長ネギは1センチくらいの厚さの斜め切りにする。鶏胸肉は薄く削ぎ切り。ネギと鶏肉を鍋に入れ、濃縮出汁を適当に水で希釈して、酒とみりんと砂糖を入れて味を調整して火にかける。今回は甘めに味付け。ネギがクタクタになったところで、4個分の溶き卵をを回し入れて、鍋にふたをして3分待って完成。えのき茸の味噌汁もつける。
丼ものは少し甘めの味付けの方がほっとする。娘にも好評。
数息観
毎朝時間を作って坐禅の真似事をしている。真似事というのは誰かに師事して指導してもらっているわけでもなく、2回ほど坐禅の会に参加して、見よう見まねでやっているから。
明け方の3時くらいに目が覚め、仕事のことが気になって布団の中で横になったまま、悶々と考え事をしているくらいなら、パッと起きて顔洗って30分坐った方がいい。ざわついた気持ちが落ち着くのだ。
坐ると、まず最初に数息観というのをやる。呼吸をした数を10まで数えるのだ。息を吐いて吸って1、また吐いて吸って2。ただ呼吸を数えるだけなのに、不思議なことにいくつまで数えたか忘れてしまう。なんども同じ数を繰り返し唱えていたり、数を飛ばしてしまったりする。
先日、教育テレビの「こころの時代」という番組でお坊さんが坐禅の話をしていて、数息観の説明をしていた。それによると、息を吐きながら「ひと〜」と頭の中で唱え、吐ききったところで少し間をおいて、息を吸いながら「つ」と唱えるらしい。私はずっと、頭の中で「いち」、「に」、「さん」と唱えていた。試しに「ひとつ」、「ふたつ」とやってみたら、息を吸ってから吐くへの切り替えがスムーズにできるようになった上に、数え間違えもなくなった。
ちょっとしたことだけど、知ってると知らないのとでは全然違う。
余裕のない日々
余裕のない日々を過ごしている。朝、職場に着いてから夜に帰宅するまでの間、常に誰かの話を聞いているか、誰かに何かを説明しているかして過ぎていく。自分でじっくり何かを考えるとか、手を動かして作業をする時間がない。家に着くと、もう何かをしようという気持ちにもならず、ビール飲んでご飯食べて風呂入って寝るだけの日々。
今日はようやく少し時間ができたので、机の周りを片付けたり、溜まっていた資料をじっくり読んだりして過ごすことができた。仕事の合間に、一ヶ月前からやろうと思ってできていなかった、人間ドックの予約と車検の予約の電話をすることもできた。
夜は、妻は飲み会で娘は塾に行ったので、陸上競技の日本選手権をテレビで眺めながら、ひとりで晩御飯を食べる。蒸し暑いこの季節には冷蔵庫で冷やしたラタトゥユの口当たりが心地よい。妻は地物の枝豆を茹でておいてくれたのだけど、塾のお迎えがあるのでビールは飲めず、麦茶のアテにした。