豚大根クミン味

28日から妻と娘が東京の息子のところへ行ったので、31日まで私は猫と留守番。食費の節約と好きなように料理したい気持ちを満たすため、食事は冷蔵庫の残り物でしのいでいる。

 

豚小間が少しと大根があったので、豚肉と大根をごま油で炒めて醤油で甘辛く煮ようと思ったのだが、大根をいちょう切りにしていた時に、この前買った大量のクミンを使ってカレー風にしようと思い立つ。

 

鍋にごま油とクミンを投入して火にかける。クミンの香りが立ってきたところで豚肉を入れる。あらかた豚肉に火が通ったところで、いちょう切りにした大根と人参を投入。大根が柔らかくなるまで15分くらい煮込んで、カレーパウダーとパクチーを入れる。塩胡椒で味を整えて完成。

 

思いつきでチャチャッと作ったにしては、それらしい味に仕上がった。丼にご飯を入れたところに、汁ごとぶっかけてハフハフとかきこむ。わかりやすい美味しさ。

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レモンと柚子

岡山の叔母が自宅の庭でレモンが沢山採れたということで、母のところへ大量のレモンが送られ、母からのおすそ分けでレモンを20個ほどもらった。生食では全部食べきれないと思い、半分の10個でジャムを作ってみた。

 

まず、レモンの皮をむく。皮の白い部分は苦味になるので黄色い部分だけを皮むき器で薄く剥ぎ取る。皮を剥いたらレモンを半分に切って果汁を絞り出す。種はザルで受けておく。

 

鍋に湯を沸かして皮を茹でこぼす。茹でこぼすと苦味が和らぐらしい。ザルで受けた種は別の鍋に少量の水を入れて煮込む。煮込むとペクチンが抽出される。ペクチンがジャムの粘りの素になるので種の茹で汁を果汁と合わせておく。

 

鍋に果汁、皮、果汁の1.5倍の重さの砂糖を投入して煮詰める。どれだけ煮詰めても粘度が出てこないので味見をしながら少しずつ砂糖を追加する。鍋をかき混ぜるヘラに少し抵抗を感じるようになったところで火を止める。

 

150mlの保存瓶4つ分のジャムが完成。熱いうちはサラサラの液体でジャムらしくなかったのだが、常温に冷えたらねっとりと飴のようになった。どうも煮詰めすぎたらしい。しかし、果汁と黄色い皮の部分だけで作ったおかげなのか、濃厚だけど苦味がなくスッキリとした味わいに仕上がった。

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冷蔵庫の野菜室には、大量の柚子がレジ袋に入れたまま萎びかけていたので、こちらはポン酢にすることにした。

 

柚子の皮の黄色い部分は料理のあしらいに使えるので、皮むき器で丁寧に剥いておく。ラップに包んで冷凍しておくのだ。

 

柚子を半分に切って果汁を絞る。15個ほど絞って約250mlになった。保存用の瓶に、果汁ど醤油(果汁と同量)、昆布、鰹節を投入して出来上がり。1、2週間寝かせると味がまろやかになるそうだ。年明けにこのポン酢で魚介の寄せ鍋をしてみたい。

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サイゼリヤ

仕事納めの金曜日、18時に職場を出たものの、ワイン飲みながら本でも読もうと金沢駅の西口にあるサイゼリヤへ。高校生が沢山で相変わらず混んでいる。

 

彩イタリアンサラダにチョリソー、ポトフ、白ワインは500mlのデキャンタでオーダー。サラダは細かく切ったオリーブやトマト、チーズが調和しておいしい。量もたっぷり。ポトフは899円とサイゼリヤにしては値段が高いけれど、大ぶりの牛スネ肉が3切れ、鶏の手羽元が2本、じゃがいも1個、人参1/2個、玉ねぎ1/4個と量がたっぷりで食べ応えあり。おろしニンニクをつけながら食べるとさらに良い。サラダとポトフ、それにパンが一切れあれば十分満足できる。年寄りにはチョリソーは余計だった。

 

料理を食べた後も、ワイン飲みながら1時間くらいのんびりする。ワイン500mlはさすがに飲みすぎだったようで酔っ払う。これで2000円は安い。

玉ねぎの皮をむきながら

 ドイツのノーベル賞作家ギュンター・グラスが、子供時代から代表作「ブリキの太鼓」を書き上げるまでを回顧する。この本が出版された2006年にグラスは第2次世界大戦の末期にナチス武装親衛隊員だったことを告白して、マスコミで大騒ぎになる。この本でも親衛隊員だったことが語られる。

 

ナチスの時代に、反ナチスの言動をした教師が、ある日突然いなくなる。そんなことがあっても、グラス自身も含めて誰も声をあげない。見て見ぬふりをする。何度も同じようなことが続くうちに、国全体がナチス一色になってしまう。「何かおかしい。」と思った時に、沈黙してしまったことをグラスは悔いる。戦後もずっと重くのしかかる。

 

「私の名前を持った少年が、その時◯◯した。」というような、著者本人の語りのはずなのに、3人称での語りが混在する。ボッっと読んでいると誰が誰のことを説明しているのかわからなくなる。また、時系列に回顧した内容が並んでいるわけでなく、時代が進んだり、元に戻ったりするので、わかりにくい。何回か読み返さないと頭に入ってこない。しかし、つまずき、立ち止まり、読み返すうちに、この本のリズムに馴染んで、本の中に没入していくようになる。ゆっくりじっくり読むべき本なのだ。

 

ドイツ人にとっての第2次世界大戦の時代の肌触りをうかがい知ることができます。

玉ねぎの皮をむきながら

玉ねぎの皮をむきながら

 

窓掃除

母から、正月までに窓掃除をするようにとの指令があり、土曜の朝、部活に出かける娘を高校まで送った後、そのまま加賀市の実家へ行く。

 

9時前に到着して玄関を開けようとするが、鍵がかかっていて入れない。早起きの母がこの時間まで寝ているなんて、もしや布団の中で倒れているのではと思い、慌てて庭に入って覗くと居間でテレビを見ている。窓ガラスを叩いて知らせて鍵を開けてもらう。一昨日から風邪ひいて、昨日は1日中寝ていて、今起きたばかりとのこと。

 

コーヒーで一服してから窓掃除を始める。まずは網戸を外して小屋の壁際に立てかける。本来なら網戸は水洗いして乾かしてから仕舞うべきなのだが、小雨が降っているので、来年の夏に網戸を取り付ける時に洗うことにする。

 

ホースでじゃぶじゃぶと窓ガラスを濡らしてブラシでこする。そのあとスクレーパーで水分をキレイに拭う。実家は海岸から200メートルくらいしか離れていないので、冬場に海が荒れると塩分交じりのしぶきが飛んで来る。それが窓ガラスに着いて白くガラスが曇る。増築した仏間と和室には縁側があって、縁側は全面がガラス窓に覆われている。玄関の風除室のガラスも洗う。全部終わらすので1時間半かかった。

 

ホースを片付けながら出来栄えを眺める。網戸を外してスッキリした窓ガラスがピカピカと光っている。満足。

 

昼ごはんの時間。母は病み上がりで食欲がないらしく、スーパーで巻き寿司とみかんを買ってきてくれという。車で10分ほどの所の小さなスーパーへ行き買ってくる。私は天ぷら蕎麦にしようと、冷凍の蕎麦と野菜かき揚げを買う。

 

二人でテレビを見ながら昼飯を食べて、少し昼寝をして14時に実家を出て金沢に戻る。

孫助

午前中の仕事が一段落し、午後に何しようと考えて見ると、特に急ぎの仕事があるわけでもなく、誰かと会う予定もない。外を見るとこの季節には珍しく明るい日差し。ということで、午後は休むことにした。12時に職場を出て県立図書館に向かう。仕事がらみでヨーロッパの風力発電にについて調べたいことがあり、関連の本を借りる。

 

香林坊のハンズでノートとバッグインバッグを物色。気に入る物がなかったので何も買わず店を出る。せせらぎ通りの洋食屋「くらつき」で昼飯にしようと思ったら、扉に「本日は都合により臨時休業」の張り紙。お母さんが最近体調がよくなさそうなので心配。

 

香林坊側に少し引き返したところにある。「孫助」という居酒屋さんに入る。以前から存在は知っていたが入るのは初めて。お昼は、エビフライ、カキフライ、ヒレカツ、クリームコロッケ、刺身、焼き魚などの定食がどれも1000円。今日は赤ガレイの焼き魚定食をお願いする。

 

ふんわりと焼いた赤カレイ、イカと大根の煮物、ナメコと卵の味噌汁、納豆、自家製と思われる大根の漬物、炊きたてのご飯。満足です。

 

今までは、せせらぎ通りでお昼を食べるとなると、カレーの「アシルワード」か「くらつき」、ピザの「サリーナ」のどれかだったが、これからは「孫助」も選択肢に入れよう。夜も良さそうだ。

ひゃくまん穀

柔らかめのご飯が好きか固めのご飯が好きかは、人によって好みがはっきりと別れるところ。私の好みは固め。結婚した時には、妻に、ご飯だけは固めに炊いてくださいとお願いした。柔らかく炊いたご飯は、お釜の中で米粒と米粒が融合して団子になってしまうことがある。その団子ようなの食感が嫌いで食べられないのだ。

 

飯粒が融合して、ご飯が団子のような食感になるのは嫌いだけど、団子やお餅そのものは大好きなのでややこしい。赤飯やおこわなどもち米も好きだ。しかし、普通の白米だけは飯粒の一粒づつが際立ったシャキッとした食感が好み。

 

石川県が独自に開発したお米の品種、「ひゃくまん穀」は、大粒で、粘り気が強くて、しっかりとした粒感で食べ応えがあるとのことで、10キロ買って食べてみた。

 

食べてみた感想は、固めのご飯好きとしてはもっちりしすぎてもう一つ。普通に炊くと柔らかめになってしまいお釜の中で団子になる。お弁当に入れると粘り気が強くて塊になり食べづらい。自分がサクッとさらっとした食感のお米が好みだということにあたらめて気づいた。

 

普通に炊くと柔らかめになるということは、作る側もわかっているらしく、他のお米よりも水量を少なく、浸水時間を短くするように注意している。

hyakumangoku-pr.com

大粒の食べ応えや、粘りの強さは確かにおむすびにぴったりだと思うので、次回は水少なめで炊くようにする。

石川太郎

妻の友達がお芝居に出演するというので、妻、娘、私の3人で金沢市民芸術村で見てきた。地元の劇団、「劇団110show++」が上演する芝居、タイトルは「石川太郎」。石川太郎とは、学校や役所へ提出する書類の記入例に登場する架空の人物の名前、石川県なので石川太郎。架空の人物をテーマとした3本のお芝居だ。

 

最初は役者さんたちのハイテンションな動きや台詞回しについていけず、「やれやれ最後まで見るの大変だわ。」と思っていたが、場に慣れたきたこともあり、2本目からお芝居の世界に入り込むことができた。3本目の人工知能ロボットの話は面白かった。

 

小さな会場で間近にお芝居を見るのが初めてだった娘にとっては、かなり刺激的だったようで、家に帰ってからも「えらいもん見てしまった。」としきりにつぶやいていた。

 

 

数学読本1 数・式の計算 方程式 不等式

今年の初めに1ページ目を開いてから1年、ようやく読み通した。途中で2ヶ月間ほど放置していた時期もあったけれど、毎日1ページでも、1問でもいいつもりで少しずつ進めて、なんとか最後のページまで到達した。明け方の居間のコタツで、ひとり最後の問題を解き終え、なんとも言えぬ達成感に浸っている。来年もこの調子でやろうとアマゾンで「数学読本2」を発注した。 

 

高校時代は数学がからきしダメで30点以上取ったことがない。できないなら必死で勉強すればいいものを、できない自分を認めるのがいやで勉強もしなかった。

 

今は数学がわかったところで誰が褒めてくれるわけでもない。単なる道楽なので気楽に取り組めるのがいいのかもしれない。それに学生時代とは違って、時間に追われることがないのがいい。気が向いた時に自分のペースで進めていける。

 

この本の解説は、先生が生徒に語りかけるような調子で書かれていて親しみやすい。更に、問題が無闇に難しかったりテクニカルだったりしないのもいい。本文で説明したことの確認程度の問題から徐々に難易度を上げた問題が並んでいる。難しい問題は解答例を鑑賞するつもりで読んだ。

 

仕事に数学が必要なわけでもない。数学が苦手な娘の質問に四苦八苦しながら答えているうちに、ふと「数学意外と面白い。」と感じて、酔った勢いでアマゾンでこの本を買って始めたのだ。どれだけ時間がかかるかわからないけれど6巻まで読み進めるつもりだ。

新装版 数学読本1

新装版 数学読本1

 

 

蟹の横歩き ヴィルヘルム・グストロフ号事件

 1945年1月30日の夜、東プロイセンのゴーテンハーフェン(現在のポーランド、グディニャの港から、ヴィルヘルム・グストロフ号が出航する。船にはソ連軍に追われるドイツの避難民がすし詰め状態で乗船していた。乗船者数の確かな記録はないが1万人を超えていたと言われる。港を出てしばらくしたところで、グストロフ号はソ連の潜水艦から発射された魚雷を3発受けて沈没。死者は9,000人以上、史上最大の海難事故となった。

 

あのタイタニック号沈没での死者は2,000人。それよりはるかに多くの人が亡くなったにも関わらず、グストロフ号沈没については戦後、西ドイツ、東ドイツどちらにおいても詳しく語られることはなかった。まずは、ナチス戦争犯罪を総括し謝罪することが優先され、ドイツ人自身が受けた戦争被害を詳細に語りにくい雰囲気があったことや、東ドイツでは、盟主であるソ連を慮らなければならなかったのだ。

 

この本は、ドイツのノーベル賞作家ギュンター・グラスによる、ヴィルヘルム・グストロフ号事件を題材とした小説。グストロフ号に乗船していた母親、その母親が沈没した夜にグストロフ号で産んだ息子、戦後生まれの孫。この親子3代を軸に話が進む。

 

ドイツ人としてナチス戦争犯罪の責めを負うべき立場である、と同時に戦争により生活基盤を根こそぎ失った被害者であることに対する微妙な時代の雰囲気が、戦争を直接経験した世代、とにかくナチス戦争犯罪への反省が第一だとされた世代、ドイツ人の被害にも目を向けるべきという雰囲気も出てくると同時に、極右も台頭し始める90年代以降の世代の絡み合いの中で表現されている。

 

ドイツとロシアという二つの大国に挟まれ、領土を巡ってまさに血で血を洗う凄惨な戦いの場所となった、ポーランドバルト三国の歴史を知るため入り口として読んでおくべき本。

 

クミン風味のニンジンサラダ

ニンジンの千切りに塩を振って30分放置。軽く水を絞る。フライパンにオリーブオイルとクミンを入れて弱火で温めてクミンの香りを引き出したところでニンジンに投入し和えて完成。

 

クミンの香りが食欲をそそる。1人ニンジン2本はいける。

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大聖寺

車のタイヤを冬用に履き替えるために実家へ。実家の物置小屋にスタッドレスタイヤを保管してあるのだ。タイヤを車に積んで大聖寺のガソリンスタンドへ。この時期は金沢だと予約しないとタイヤの履き替え作業をやってもらえないが、実家のある加賀市あたりだと、みなさん自分で作業するのか予約なしでもやってもらえる。

 

今日は順番待ちの車が2台あった。30分くらい待てば作業してもらえるとのことだったので、1時間後に引き取りに来ると店員さんに告げ、大聖寺の街をぶらぶら散歩することにした。

 

東町から弓町の通りに出る。私が小学生くらいまではこのあたりは商店が連なりそれなりに賑やかだったものだけど、今は見る影もない。仕舞屋ばかりで、所々古い家屋を壊して空き地になっている。本屋さんを外から覗くと本は並んでいるのだが開店しているのかどうかも定かでない。

 

荒町の一方通行の通りを歩く、子供の頃親に連れて来てもらった映画館は跡形もなく、何度か来たことがある医院の建物はまちづくり関係の団体が使っているようだ。喫茶店と和菓子屋さんが細々と営業している。立派なお寺の敷地に大きなイチョウの木があった。鍛冶町、山田町あたりは古い街並みや昭和の香り満載の飲み屋が残っていて趣深い。南町、鉄砲町を歩いてガソリンスタンドに戻る。この文を書いていて改めて気づいたが、大聖寺は昔の区割りと由緒正しい町名が残っていて歩いていて楽しい。

 

ガソリンスタンドの向かいは、中学生の時に毎週のように本を買いに行ったショッピングセンターだったところ。その建物は加賀市で初めてエスカレーター付きの6階建てのビルで、エスカレーターが珍しくて意味もなく何度も上り下りしたものだ。今はその敷地は大きな老人ホームになっている。

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線量計と奥の細道

 ドリアン助川さんと言うと、新聞に連載されていた人生相談の印象が強くて、今でも気になる人。著書を見つけると手にとって確認する。

 

この本は、芭蕉奥の細道で旅した道を折りたたみ自転車で辿る旅行記だ。時は2012年、東日本大震災の1年半後、放射線線量計で各地の放射能レベルを測りながら旅する。奥の細道のゆかりの場所を探して、何気ない田舎の町の何気ない街角を徘徊する。夜はそれぞれの土地の何でもない居酒屋で酒をのみ、ビジネスホテルに泊まる。全行程を自転車で走破することにこだわるでもなく、天気が悪ければ電車を使ったり、知り合いの車に乗せてもらう。そんなゆるい感じが今の私にちょうどいい。

 

この前行った愛知県の半田市、今週仕事で訪ねた福井県鯖江市など。特に有名な観光地でなくても、昔の街並みが残り生活の息遣いが感じられる土地はいい。あまり事前に知識を詰め込まずにぶらぶらすると、街の素の姿に直接向き合えるような気がして楽しい。この本で登場する街の中では糸魚川に行って見たいと思った。公共交通機関と折り畳み自転車の旅も面白そうだ。

線量計と奥の細道

線量計と奥の細道

 

消えた国 追われた人々 東プロシアの旅

 東プロシアは、かつてのドイツ帝国の東の端、現在のポーランド、ロシア、リトアニアにまたがる地域のこと。多くのドイツ人が住んでいたが、第2次大戦後ソ連側の支配となったことから、ほぼ全てのドイツ人は追放された。哲学者のカントは東プロシアケーニヒスベルク、ロシア名ではカリーニングラードの出身。

 

池内紀が、ギュンター・グラスの「蟹の横歩き」を翻訳する際に、現地を知るためにとダンツィヒと東プロシア一帯を訪問した旅行記。第2次大戦の末期、ソ連軍に追われる避難民を満載した客船が魚雷攻撃により沈没し9,000名以上が死亡した「グストロフ号事件」や、戦後1千万人を超えるドイツ人が故郷である東プロシアから追放されたことなど、この本で初めて知ったこと多数。

 

著者が地元民から聞いた戦争中の思い出話が間抜けで面白い。ナチスドイツの東部戦線の指令所「狼の巣」が東プロシアのラステンブルク郊外の森の中に設置された。ヒトラーも長期に滞在した場所であり、その存在自体が極秘とされたプロジェクトだ。地元民には化学工場であると告げれていた。森で植物採集をしていた住民が、狼の巣の正門に行き当たる。以前から何度も来たことがある場所なので、何の悪気もなく、守衛の兵士に片手を挙げて挨拶すると、なぜか止められることもなく敷地に入っていけてしまう。本人は植物採集のため、化学工場だ信じ込んでいる敷地内をウロウロしていると、とある窓からコーヒーの香りが漂ってくる。工場の偉い人の部屋かと思い何気なく窓に近づくと、ちょび髭を生やしヒトラーにものすごく似た人がパジャマ姿でこちらを見ている。一瞬ギョッとした顔をしたが、彼は何事もなかったかのように部屋の奥に引き返していく。帰りに門を通るときには、守衛の兵士は誰もいなかった。国家最高レベルの情報統制が徹底されすぎて、思わぬ間抜けな状況になってしまったのだ。

 

頭の中のにある世界地図の空白地帯、東プロシアがどんな土地なのか、イメージする手がかりができた。一度読んであまり面白くないなと途中で投げ出してしまった、「ブリキの太鼓」にも興味が湧いた。

消えた国 追われた人々――東プロシアの旅
 
ブリキの太鼓 (池澤夏樹=個人編集世界文学全集2)

ブリキの太鼓 (池澤夏樹=個人編集世界文学全集2)

 

 

自転車レース

大学2年生の息子は体育会の自転車部に所属している。中学、高校と陸上競技をやっていたものの走り幅跳び三段跳びが専門だったので、持久系のスポーツの自転車競技についていけるのだろうか、と1年生の夏頃までは心配していた。ところが予想外に頑張っている。

 

息子が5歳の頃に私がロードバイクに乗り始めて、毎朝出勤前に1時間練習したり、土曜日ごとに、息子を連れてバンクに出かけてトラック競技をかじったりしていたので、そんな私の姿を見て自転車に乗るようになったのかもしれない。そうだとしたらかなり嬉しい。

 

今年の夏休みは福島で1週間、長野で2週間合宿があってお盆に3日だけ帰ってきただけだった。この正月もじっくり練習したいので帰省しないかもしれないと言っている。何事であれ一生懸命になれるのはいいことなので好きにしていいと伝えてあるが、正月に家族が揃わないのはやはりさみしい。なんならこちらから東京のアパートに押し掛けようかとも考えている。

 

トラック競技もロードも両方出場しているようで、10月、11月はほぼ毎週のようにレースがあった。今週も埼玉県の行田市クリテリウムの大会。主催者である日本学生自転車競技連盟(学連)では、Youtubeライブ配信をしてくれるので、ほぼ毎回見ている。今回も七尾市に向かう道すがら、車の運転は妻に任せて私は助手席でライブ配信を見ていた。

 

クラス2に昇格してからは、途中でメイン集団からちぎれてゴールさせてもらえないことが多かったのだけれど、今回はなんと3位。車の中で思わずやったーと大きな声を出して妻に白い目で見られた。

 

勉強については3年に進級できるのかどうかも怪しいが、とりあえずはめでたい。

 

全日本学生RCS第8戦・浮城のまち行田クリテリウムラウンド クラス1・2

https://www.youtube.com/watch?v=DZCyxpOfHZM