自由はどこまで可能か リバタリアニズム入門

日本語では「自由市場主義」とか「自由放任主義」といわれる「リバタリアニズム」。個人の人格的自由と経済的自由を追求します。極端になると、貨幣の発行も民間にまかすべき、更には、国家不要論まで唱える流派もあるそうです。


他の人の自由を侵害しないかぎりにおいては、自分の肉体をどう扱おうと自由だとするするので、売春や賭博、ドラッグ、臓器売買などの「被害者なき犯罪」については、政府は禁止すべきないとする立場です。そこま言われると、直感的にはついていけないように思います。


しかし、政府の役割を最小限にとどめようとする考えには共感できます。なにか問題がある度に政府の責任、政府の監督責任が追求されますが、そもそも国も地方も政府なんてたいしたことができる組織じゃないんだから、多くを期待せずに必要最低限のことだけまかせて、その分税金を安くしたほうがいいような気がします。


政府がたいしたことができないのは、仕事の選択と資源の集中投入ができないからです。一度始めた仕事をキッパリとやめるのは大変な苦労を伴います。一人でも困る人がいる限りは、一度始めた仕事はなかなかやめられません。その結果、どんどん仕事の範囲が広がって、マンパワーが分散されてしまいます。「限られた税収を有効につかうために、大して重要でない○○業務は今年限りで止めまーす。」ってキッパリ言えたらどんなにいいことか。できないくせに、できたように見せかけるための言い訳作りが仕事になります。


政府は教育や年金、医療保険、産業政策に介入すべきか、弁護士や医師の国家資格ってほんとに必要な制度なの?何が必要最低限かということを、いろいろ考えると面白そうです。

自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)

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