98%チンパンジー 分子人類学から見た現代遺伝学

タイトルを見て、最新の遺伝学の知識から類人猿と人間の関係を解き明かす内容かと思ったのですが、全然違いました。「遺伝子を解き明かせばすべてがわかる。」というような考えを見直すきっかけになりました。


技術の進歩で、遺伝子の塩基配列は解き明かされても、その情報をどのように解釈するかは、科学者が属する社会の文化的な制約に左右される。へたするを偏見や思い込みを正当化する手段として遺伝学などの科学の知識がつかわれてしまいますよ、という内容です。


具体的な例として、ゴリラやチンパンジーなどの類人猿と人間の遺伝子が、98%は同じである事実がでてきます。この事実から、


①「人間は異常なゴリラか、ゴリラは異常な人間が?」というくらい似ているので、類人猿にも人権を認めるべきだ。
②たとえ98%の遺伝子が同じだとしても、ゴリラと人間は全く別の動物だ、ゴリラと人間を見間違えることはないし、一緒に生活もしない。人間がやっぱり大事だ。


どちらを取るかは、社会の気分により変わってくるし、「98%チンパンジー」という事実はどちらの立場を擁護するために使えます。(②の立場をとるなら、2%違うのが決定的だとも言えます。ちなみに魚類と人間の遺伝子は40%は同じだそうですが、「人間は40%は魚だ。」と言えるのか?)


「人種」を遺伝学的に何か実体のあるものと考えることも、思い込みに過ぎないと著者はいいます。人の見かけの違いは、住む地域よって連続的に変化していくのであって、ある遺伝子をもっているから、アジア人、アフリカ人、ヨーロッパ人と区別できるものではないとのことです。そもそも、人類の中での遺伝的な変異の幅は、他の類人猿に比べると非常に小さいそうです。


20世紀はじめに大流行した、優生学運動も、生物学的な遺伝の議論と人間の文化を混同したものです。優秀な人類を多くするために、優秀な人の子孫をたくさん残すようにしようというのが優生学運動です。極端な話、貧乏人や犯罪者の子孫は残さないようにしましょうというところまでいきます。でも、どんな人が優秀な人かというのは、社会的に決められること、何が犯罪かは社会が決めることで、そんなものが遺伝すると考えるのがおかしいとのことです。今思えばあたりまえのことですが、当時はみんな信じたようです。


科学の仮面をかぶった怪しげな話は、今でもたくさんありますね。体にいい食べ物とか。

98%チンパンジー―分子人類学から見た現代遺伝学

98%チンパンジー―分子人類学から見た現代遺伝学