金沢 酒宴

梅雨の晴れ間の昼下がり、実家の両親に子供の面倒を見てもらって、畳の上に寝転がりながら読みました。句読点の少ない長い冗長な文や、夢とも現実とも着かない内容に眠気を誘われて、読みながら何回も居眠りしました。


内山という男が年に何日か過ごすために金沢に家を借りて、いろんなところで酒を呑む話です。


内山の借りた家は、話の内容からすると寺町の崖の上、それも犀川大橋から歩いてそんなに遠くないところのようです。まちなかの山奥の雰囲気の場所とは、東山の料亭か。鶴来の岩魚や、熊肉を食べたのはあそこの料理屋さんかと、実際にあるお店になぞらえながら読むことができます。吉田健一は、1960年から亡くなる1976年まで毎年2月に金沢に逗留していたそうです。金沢のどういうところが良いかと問われて、内山はこう答えています。

ここがこうなっていればと思う所がどこにもないでしょう。この辺に川が流れていればということになる前にもうそこに川が流れていて築地塀の上から植え木が覗いているのがそこがそうなっている方がいいことを逆に教えてくれる。これが東京だったらどんなだとお思いになります。

世の中の雑音に惑わされず、歴史の積み重ねで人の生活とまちが不可分になったようなところが気に入ったのでしょうか。


呑んでいるうちに絵の中の景色にはいりこんだり、兼六園の成巽閣に座敷の真っ青の壁を行ったはずが、西洋のお屋敷で馬に乗って狐狩りに行った人々にであったりと、不思議なことが次々におこります。酒に酔って思考があっちにとんだりこっちに飛んだりする感覚です。

フランスの野原が見たければ成巽閣に行けばよかった。


酒を呑んでもいないのに酔っ払ってしまったような読後感でした。

金沢・酒宴 (講談社文芸文庫)

金沢・酒宴 (講談社文芸文庫)