茶室とインテリア

年明けにコタツ買ってきました。コタツなんて所帯じみたものは家に置きたくないと思ってやせ我慢してきたのですが、コタツの暖かさと心地よさの誘惑に負けました。


今の家のリビングは天井を吹き抜けにして、2人がけのソファと1人がけの椅子を2脚置いて暮らしてきました。ソファはゴロンと寝転んでうたた寝しやすいいように肘掛が低いものを、椅子も座面の大きなでれっと座れるものを買いました。


それでも、床に座ってしまいます。気がつくと床に座って本を読んだりゲームをしたり、家族全員が椅子の前に座っていることがあります。かといって、椅子がいらないということでもないです。時々椅子にも座りたい。床にばかり座っているとどうしても腰が痛くなってきます。実家に帰省して床座生活を3日も続けると腰が痛くなってきます。


この本は茶室をもとに、インテリアに関する日本人の基本的な身体感覚を解説していきます。その中で、靴をぬいで床座で暮らすことを根本的な特徴であり、外国の椅子の文化を床座になじむようにしてきたのが、日本の外来文化を取り入れる過程だとしています。仏教も禅宗も。
自分の中でまとまっていませんが、面白いと思ったところを抜書きします。


空間をウツに戻す

ちなみに、いちばん最初のインテリアはお掃除です。掃除することで部屋は広くなります。昔、おはあちゃんから「そこにある新聞たたんでごらん、部屋が広くなるから」などといわれましたが、これは真実をついていると思います。部屋がウツであることを取り戻す行為でもあります。
(中略)
装飾を固定化して、空間に特定の性質を付与するのはやめた方がいいでしょう。そうすると「変化の相」も何も生まれません。ウツなる空間は、花を一輪置くだけでダイナミックに変わります。

デザインと文化人類学

だからこそ装飾には、教養が必要なのです。教養によってイマジネーションがより大きく展開するのです。たとえば日本古来の儀礼や古典を学ぶと、空間の役割に対応した装飾をすることもできます。装飾に意味や象徴性を読み取ることで、世界は大きく膨らんでいくはずです。

節句について

現代は面倒を避けすぎています。面倒なことはまた、それをやると気持ちのいいことでもあります。面倒を避けると、気持ちよさも少し失います。

ある時間帯、ある季節を一つのイメージが支配して、時間が終わるとそれがなくなるのは日本の生活の魅力でもあります。現代では、一年中同じものを飾るという発想に傾いてしまいました。しかし日本の飾りは、つねに変化とともにあり、物理的に持続性をもたなくてもいいものでした。


「見立て」についても日本の特徴として言及されています。お茶の世界の「見立て」ってよくわかっていない者からすると、「えっ」と思うほどしょぼいものですが、どっぷりその世界にはいって面白がれるようになると、なかなかいいもんです。わかっている人にしかわからない内輪うけを面白がるので煮ているかもしれませんが。


お正月などの年中行事もその意味をわかって面白がれるかどうかで、面倒とかんじるか楽しいと感じるかが分かれるのだと思います。

茶室とインテリア―暮らしの空間デザイン

茶室とインテリア―暮らしの空間デザイン