中庭の食事

古本屋で見つけてきた本。1982年に論創社という出版社からでている。中国文学が専門の奥野信太郎さんの随筆集。奥野さんは1899年生まれで1968年に亡くなられています。橋本左内が大叔父で、おじいさんが森鴎外の先輩になるそうです。年代としては幕末の江戸を生きたひとと直接話しができた人です。戦前、戦中に北京の大学に留学していて、京劇を見て回り、西大后の前で芝居をした役者さんとも直接お会いしたとのこと。私の祖父の15歳年上。


戦後東京は田舎者ばかりになってしまったとの嘆き

今の東京ことばの印象をお前はどううけとるかといわれるならば、ぼくは即座に混濁あるのみと答えるだろう。なんと野暮ったらしく濁ってしまったことであろうか。ちょいと聞いただけでも胸がわるくなるようだ。
 第一に鼻濁音がいりじるしく消滅してしまった。これが東京ことばの柔軟快適なひびきをすっかりなくしている。”お人形”、”看護婦”、”最後”、”優雅”、等の形、護、後、雅など、みんなむき出しの濁音そのものに発音するものがおおくなって、ことに若いものになると、半分以上鼻濁音が出せなくなってきている。(中略)
 東京とことばのよさが失われたもうひとつの現象は、急激にアクセントが変化したことである。これもよ他国者が莫大になったためと思うが、現在は概していうと、のっぺらぼうな発音がふえてきた。こればマスコミのせいだと考えられるが、”イの一番”というようなとき、もとのアクセントはイ音におかれていたのえあったが、どうやらいまはこれがのっぺらぼうになって、イ音のアクセントが消滅してしまった。