「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか

著者が東日本大震災の直前に書き上げた修士論文がもとになった本。


スリーマイルやチェルノブイリなど度重なる原発事故にもかかわらず、なぜ原発に反対する動きが原発を受け入れた地元からは出てこないのか。一番リスクを背負っている地元がなぜ原発を維持し、さらに新規の原発を誘致しようとするのかというのが著者の問題意識。


著者は、福島の原発立地地域に乗り込んで地元の人に丹念に取材したり、前福島県知事の佐藤栄作久氏にインタビューして、原発を受け入れた地元の事情を明らかにしていきます。


電力会社と政府、大学、マスコミが一体となって原発を推進する体制を中央の<原子力ムラ>、原発を受け入れる側の地元、戦前は農業や軽工業を生業としてある程度は自立していた村を、「原子力ムラ」と定義し、ふたつの原子力ムラが呼応して原発の設置を進めていったといいます。


そのような動きは、原発に限られたものでなく、経済成長のために行われた電源開発や新産業都市などのプロジェクトの過程で翻弄されるムラの構造的な問題だといいます。

「日本における地方の服従がいかに形成され、それが戦後成長にとってどういう意味をもったのか」この問いに迫っていく過程で、敗戦による植民地の喪失と国内の荒廃にはじまる日本の「輝かしい戦後成長プロジェクト」が必然的にもつ陰影を浮き彫りにしていくこととなるだろう。ここでいう服従とは自動的かつ自発的な服従とよべるものであり、それをポストコロニアルな観点から捉えていくというのが本書の指針となる。

日本の隅々にまで統制、支配を行きわたらせたい国(中央)と、経済成長の恩恵を呼び込んで貧困から脱却したいムラ、その間の県(地域)は、あるときは中央のエージェントとしてムラに働きかけ、あるときはムラのエージェントとして中央からのプロジェクト誘致に奔走する。成長を前提としてこんな仕組みの限界が見えているにもかかわらず今もその構造はそんなに変わっていないように思う。

「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか

「フクシマ」論 原子力ムラはなぜ生まれたのか