黒百合 19時50分

朝からややこしい打ち合わせが続いて夜には頭がオーバーフロー、集中力が切れ早々に仕事場を出る。金沢駅でバスを降りて歩き出したところで、「ちょっとだけ気分転換していくか。」と悪魔のささやきが聞こえる。コンコースを右に曲がって、「黒百合」へ吸い込まれる。


奥のカウンターに通され、瓶ビールと牛筋を注文する。ほおけたような顔をしてビールを飲んでいると、隣に黒いポロシャツにウエストバッグをつけた60歳くらいの男の人が座る。ビールを空けて燗酒と鯵のぬたを注文していると、その男の人が話しかけてきた。「よく来るんですか?」「いや、まぁ、時々ですが。今日は旅行で金沢に来たんですか?」と会話が始まる。


その人は奥さんの実家の、能登のあるまちに3年前から住んでいるそうだ。茅ヶ崎出身で千葉で長年建設業の会社をやっていたけれど3年前に廃業して、こちらに引っ越してきた。今はシルバー人材センターの仕事と年金でなんとか食っている。これから高速バスで茅ヶ崎へ行って母親のが様子を見に行く。そして、向こうでは高校時代の柔道部の仲間が集まることになっていると、うれしそうに話してくれた。


能登はいいとこだけど呑みに行くところがなくて。」
「会社たたんだときは、金融機関に迷惑かけたけど、取引先にはなんとか迷惑かけずにすんだ。」とジョッキを空ける。


8時半を過ぎたところで、もうバスの時間なのでと、残っていたおでんの厚揚げを口に押し込んで、店を出て行った。