知らなかったこと

ホンダF1の総監督をつとめた桜井淑敏さんの講演を聞く機会があった。桜井さんはホンダF1の第2期(1983年〜1992年)に総監督だった人だ。


1983年は私が高校生の頃、ホンダがF1に復帰するということで1年くらい前から楽しみにしていた。当時はF1といってもマスコミには全然注目されていなかったので、いざ復帰してレースがあっても新聞にも、テレビにもその結果が報道されない。へたすると一ヶ月後の自動車雑誌でやっとわかるような状態だった。発売日に本屋でいろんな雑誌をむさぼるように読んでいたことを思い出す。


なので、その頃のF1のことは今でもよく覚えている。すでに社長を引退してめったに会社に顔をだすことがなかった本田宗一郎さんがレースに復帰したとたんに、毎週のようにやってきてあれこれ言い始めたとか、復帰して1年くらいはなかなか勝てなかったので、理想の熱効率を追求してゼロからエンジンを設計し直したとか、アイルトン・セナがエンジンの回転数50回転の差を把握してエンジニアに的確なアドバイスをする能力があったとか、今回の講演で桜井さんがお話されていたこともどこかで聞いたなと思いながら聞いていた。


でも、今回初めて知ったエピソードがひとつあった。ターボエンジン用の燃料開発のお話だ。


桜井さんは、新しく設計したターボエンジンに最適な燃料を開発してもらおうと、当時ホンダがエンジンを供給していたウイリアムズのスポンサーだったMobileに何度も頼みにいったが、全然相手にしてもらえない。どうしようもないので、桜井さんは、出光興産にお願いに行ったそうだ。出光はチームのスポンサーでもないので開発に協力しても一切名前も出せないし、1円の特にもならないのだけれど、桜井さんの依頼通りにターボエンジン用の燃料を開発してくれたそうだ。出光は、開発した内容をMibileに開示することを了承して、Mobileはしぶしぶそのとおりに製造することを認めたらしい。


関係のない出光に頼みにいく桜井さんも相当なもんだけど、なんの得にもならないのに引き受けたというのはすごい話だ。