昭和 戦争と平和の日本

アメリカの歴史学者、ジョン・W・ダワーが、太平洋戦争の前と後で日本がどう変わったのか、どう変わらなかったのかについて、社会体制、映画、原爆研究、特高警察が集めた不穏落書、人種差別意識、占領政策などを通して明らかにしていきます。


戦争の準備に全てが投入されていく「暗い谷間」の戦前、戦中。敗戦後に民主化のために全てが一新された「新生日本」。それに続いて高度経済成長を達成した「日本の奇跡」。著者が「役に立った戦争」の中で指摘する通り、私も昭和についてざっくりとこんなイメージを持っていた。


この本を読むとこんなイメージが覆される。まず、「役に立った戦争」では、戦争に向けて準備された社会・経済体制がいかにそのまま戦後に引き継がれ、高度成長に役に立ったのかを指摘します。まず、日本経済は大恐慌からいち早く立ち直り、経済成長率5%と世界でも屈指の高成長だったこと。そのような中で、経済の足腰を強化するために大企業への資本の集約を強制的にすすめている。それがそのまま戦後の企業系列や、都市銀行と県にひとつの地方銀行など、高度成長の基礎となった経済体制に引き継がれている。


技術の面でも軍の豊富な資金をつかって開発された技術が、戦後の日本を支えた自動車やカメラなどにつながっているし、国民年金医療保険の制度は、戦前に人々が貧しくて、兵役検査での合格率があまりに低いことから、準備されたものだそうだ。農地改革は、戦前にすでに農民が貧窮し不満が蓄積され、社会の不安要因であったので、なんとかしなかればならないという雰囲気があったことや、食料確保のために戦前につくられた食料管理制度で、地主の実質的な力が弱められていたことから、すんなりと受け入れられたそうだ。


そして何よりも、これらの戦時体制を準備した、革新官僚とよばれる人達は、そのまま戦後の産業政策の舵取りをまかされていた。


「「二号研究」と「F号研究」 日本の戦時原爆研究」と「造言飛語・不穏落書・特高警察の悪夢」では、一億一心とか一億火玉と言われるような、国民が一丸となって一心不乱に戦争に突き進んで行ったような印象が変わる。


アメリカのマンハッタン計画に比べれば、日本の原爆研究がいかに場当たり的で、志気が上がらず、小規模なものだったのかを指摘します。危機にあっても、陸軍と海軍など、組織のいたるところでせめぎ合いがあって全体をなんとかしようとする仕組みになっていなかったようだ。本土への空襲が始まる前に、工場の欠勤率が20%を超えていたことや、特高警察が集めた数々の不穏落書きを見ると、苦しい中で一致団結して戦争に耐える人々というイメージは、ものすごく単純化されたものだと感じる。


残された記録から、時代の雰囲気、気分を再現する歴史家の仕事の面白さを感じさせる本だ。

昭和――戦争と平和の日本

昭和――戦争と平和の日本