沈黙の山嶺(上)第一次世界大戦とマロリーのエヴェレスト
1922年~1924年にかけて3回に渡って行われたイギリスのエヴェレスト遠征隊の記録。1924年の遠征では、マロリーとアーヴィンが頂上まであとわずかの所を歩いているのを目撃されたのを最後に行方不明になった。彼らが登頂に成功したかどうかは不明のままになっている。1999年にアメリカの捜索隊がマロリーの遺体を発見したが、彼が持っていたカメラは発見されておらず、マロリーが登頂に成功していたかどうかは依然不明のまま。
上巻では、1922年の遠征で、まずエベレストに至る道筋を探るために、地形調査をしながら山の周囲を踏査するとことまでが綴られる。
この本の前半では、第一次世界大戦がいかに過酷だったかが、詳細にわたり記述される。機関銃や毒ガス、火炎放射器が初めて導入され、歩兵がほぼ虐殺されるようになすすべもなくなぎ倒される。敵と味方の塹壕の間は死体が何層にも積み重なり、新たな塹壕を掘ろうとするとシャベルが死体にいきあたる。塹壕の中は湿気と死臭が充満し、猫ほどの大きさのネズミが走り回る。ソンム会戦のような激しい戦いでは、部隊のほぼ全員が死亡もしくは負傷することが頻繁にあった。第一次世界大戦の戦死者は1,600万人、戦傷者は2,000万人と人類史上もっとも犠牲者が多かった戦争の一つと言われている。
マロリーをはじめとするエヴェレスト遠征隊の中心となったのが第一次世界大戦に従軍して修羅場を生きのびた人たち。今ならPTSDといわれるような戦後の喪失感、日常生活に戻れず漂泊を繰り返す衝動を抱えながらそれそれが遠征隊に加わる。イギリスは北極点、南極点への一番乗りを逃し、第3の極地として世界最高峰の初登頂に国家の威信をかけてのぞむ。マロリーが通っていたケンブリッジ大学の同窓生には、ジョン・メイナード・ケインズも登場する。遠征隊が事前調査に河口慧海の著作を参考にしている場面や、南極横断途上で流氷に閉じ込められたものの、一人の犠牲者も出さずに帰還した「エンデュランス号漂流記」のシャクルトン隊メンバーが遠征隊に応募してきたところなど、当時の時代背景がわかる著述がたくさんあって面白い。
2段組みの400ページ×2巻といまどき珍しい長編だが、というか長編なのでたっぷり楽しめそうだ。
- 作者: アーネストシャクルトン,木村義昌,谷口善也
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2003/06
- メディア: 文庫
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