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トルストイ民話集 イワンのばか

 古くから伝わるロシアの民話を、トルストイが仕立て直した作品が9編収録されている。軍隊やお金に振り回される世の中を批判し、人のために地道に働くことが何より大切だということが繰り返される。民話なので簡単な言葉で平易な構成で書かれていて、いたって説教臭いのだけれど、おもしろくて心に染みる。

 

この本の中から、「鶏の卵ほどの穀物」というお話を紹介したい。

 

あるところで子供が鶏の卵ほどの大きさの穀物の粒を見つける。大変珍しいのでこれを商人が子供から買い取って、王様のもとに届ける。王様はこれは何だ、どこで栽培されているのかと家来たちに聞くが誰もわからない。年寄りに聞けばわかるだろうということで、あるおじいさんを連れて来る。そのおじいさんは、目も耳も不自由で杖を2本つかいよろよろになりながら王様の前にでてくるが、そんな大きな穀物は見たことも聞いたこともないという。ただ、自分の父親なら知っているかもしれないと言う。そこで王様は、その老人の父親を探して連れて来る。父親は、耳は少し遠いが目は見える。杖は一本で歩いてやって来る。そして、「私自身はそんな穀物は作ったことも買ったこともないが、父親は昔、そのような穀物を作っていた。」と話す。そこで、王様はその老人の父親を探し出して連れて来る。今度は、目も耳も達者で杖を使わずスタスタと歩いて王様の前に来る。そして、「昔はみんなこんな大きさの穀物を好きなだけ作って、みんな十分に食べていた。」と話す。王様はその老人に2つの質問をする。お前の孫は目も耳を不自由で杖を2本ついていて、お前の子は杖を1本ついているのに、どうしてお前はそんなに元気なのか? どうして昔はそんなに立派な穀物が好きなだけ収穫できたのに今はなくなってしまったのか? すると、その老人は、

その二つのことがどうして起こったかといえば、それは、人が自分で働いて暮らすということをやめてしまったからでございます。そして他人のことばかり羨ましがるようになったからでございます。昔は暮らしかたがすっかりちがっておりました。昔は、神さまのみ心どおりに暮らしておりました。自分のものを持つだけで、ひとのものにまで目をくれるようなことはなかったのでございます。

 

人が食べて生きていくくらいの穀物は、ちゃんと働きさえするば自然と手に入るのに、穀物をお金にかえて取引したり、豊かさを人と比べたりするようになるとなくなってしまったというこのお話の内容は、原始仏典第3巻27経の人の食べ物の歴史の話とほぼ同じ内容なので驚いた。

 

原始仏典のほうは、昔は糠も籾殻もない非常においしいお米がいつでも収穫できて、しかも穫っても次々と生えてきたが、あるとき誰かが、食事のたびに収穫するのは面倒なので2日分まとめて収穫して保存するようになったら、他の人は8日分収穫すればもっと楽だというようなことになり、みんなが我れ先に蓄えるようになった。そうすると、いつしか米は一度収穫したら生えてこなくなり、糠と籾殻に覆われた現在のようなお米になってしまったというお話だ。

 

農民に共通するユートピア像なのだろうか。場所も時点も全く違うところで書かれた物語の中に共通する内容を発見して、早朝にひとりにんまり。

トルストイ民話集 イワンのばか 他八篇 (岩波文庫)

トルストイ民話集 イワンのばか 他八篇 (岩波文庫)

 

 

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