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眼の哲学 利休伝ノート

 青山二郎は1901年生まれ、1979年に77歳で亡くなっている。装幀家であり陶器の鑑賞家。1930年(昭和5年)頃に、小林秀雄中原中也河上徹太郎大岡昇平らと親交を深め、交流し、飲み歩き、彼を中心とした文学仲間を称して「青山学院」と呼ばれたそうだ。1912年生まれの吉田健一河上徹太郎を通じて青山と交流があったらしい。長谷川郁夫の「吉田健一」によれば、吉田は青山のことをどちらかといえば苦手にしていたようだ。しかし、戦後、吉田は自身の著作の装幀を多く青山に依頼している。

 

小林秀雄が天才と評した青山に興味を持ち、この本を手に取った。気になった部分の抜き書き。

 

 人は眼玉で見たものを頭で判断し過ぎる。眼玉で見たものを銘々の流儀に従属してみている。眼玉で見たものを眼玉で受け止めるべきと言います。

私が言いたいのは、人が放心状態の時に物が映る、あの目玉の働きにも似ています。知り過ぎるほど知っている友達の顔を、突然そこに見ながら、茫然と彼は一個の人間の顔を眺め出します。何の観念も働いていません。頭は今完全に静止しています。この場合、眼玉が私でなければなりません。下等動物のような眼が、自我を持たぬ眼玉という私に変じます。「黙って坐ればピタリと当てる」眼です。

 

「利休伝ノート」から、

利休はトルストイ風だ。お茶のトルストイだ。

 

この本を一度読んだだけでは、青山がどんな人だったのかよくわからなかった。ただ、「上州の賭場」「博徒風景」の執拗なくらいの詳しい賭場の描写、頭を突かれて目が見えなくなった歴戦の軍鶏の闘いぶりには凄みを感じる。

 

巻末の年譜によると、1934年(昭和9年)から1936年(昭和11年)にかけて、毎年、金沢に旅行している。骨董の収集に来たのか、飲み歩いたのか。どこかに記録がないか調べてみたい。

 

眼の哲学・利休伝ノート (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

眼の哲学・利休伝ノート (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)