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沖縄決戦 高級参謀の手記

 沖縄戦の作戦を立案し、軍司令部の中で唯一の生き残りとなった高級参謀の八原博道の手記。

 

昭和19年3月に南西諸島の防衛を任務とする第32軍が設立され、八原は参謀に任命される。八原は、島内各所に地下陣地を構築して、アメリカの艦砲射撃を耐え、アメリカ軍が上陸した直後に、豊富な歩兵戦力を一気に投入して水際で撃退するという作戦を立案する。しかし、昭和19年6月以降、レイテ島、ルソン島での戦いが劣勢になり、第32軍の主力である第9師団を台湾防衛のためにもっていかれてしまう。

 

これにより全兵力の3分の1がいなくなってしまったため、当初の作戦の実行は不可能となる。そこで、沖縄本島の南部に兵力を集中、堅固な地下陣地にたてこもり、できる限り長くアメリカ軍を足止めし本土決戦までの時間稼ぎをする作戦、戦略的持久戦を遂行するという方針を立て、地下壕の構築に全力を投入する。

 

しかし、大本営は航空部隊によって決戦を挑み敵艦隊を撃滅するという妄想を諦めきれず、沖縄本島伊江島での飛行場を建設せよとの命令があり、地下陣地構築に必要な人員が無駄に使われてしまう。

 

昭和20年3月末に実際の戦闘が始まってからも、飛行場を死守せよとか、地下陣地から出て敵を総攻撃せよという、大本営からの無理な要求に応えたために戦力を消耗してしまう。

 

大本営のくるくる変わる方針や、現実を見ない精神論一辺倒の攻撃命令について、八原はあとがきどこう語る。

私には沖縄戦全般を通じて、痛憤を禁じ得ないものがある。それは現実を遊離して、夢を追う航空至上主義と、はだか突撃で勝利を得んとする地上戦術思想とに対する懸命な抗争であった。このような主義や、思想は太平洋戦争の緒戦期には、確かに通用した。しかしその中期、特に後期に置いては、現実にはもはや幻想となっていた。

 

沖縄戦というと、ひめゆり部隊とか民間人の悲惨な被害に目が行ってしまうけれど、軍隊の戦いとしてどうだったのか、という点から沖縄戦を知ることができた。

 

沖縄決戦 - 高級参謀の手記 (中公文庫プレミアム)

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