さらば政治よ 旅の仲間へ

渡辺京二さんといえは、幕末から明治に日本を訪れた西洋人が書き残した旅行記などから、当時の日本の姿を再現した「逝きし世の面影」が印象に残る。そこには、封建制の抑圧に苦しみ貧しい悲惨な庶民の生活があるかと思いきや、掃除が行き届いた清潔な家、こぎれいな街並み、 いい体格をした、よく笑い人懐っこい農民や町人、元気で幸せそうな子供たち。まさに目から鱗の本です。

 

この本は、渡辺京二さんの新聞や雑誌への寄稿と読書日記、マイケル・ポランニーについての講義が収められている。

 

全体をざっくりとまとめると、政治向きのことに関してみんな素人なのにギャーギャー騒ぎすぎ。国家が大事なのはわかっているけれど、政治のことは専門家にお任せして、国とのかかわりは、税金を払ってその分のサービスを受ける程度の最小限にしたい。人口が減っても、経済大国でなくなっても、オリンピックでメダルがとれなくても、そんなことは、それぞれの生活の質にはたいした影響ないんじゃない? それよりも、普通の人はそれぞれの本分にそっていいものを作り、仲間と交流して質の高い生活を目指すべきじゃないか。 という内容。

 

ポランニーについての講義録は、ヨーロッパで極右勢力が台頭していることやアメリカ大統領選挙でトランプが当選したこととからめて読むと興味ぶかい。

 

ポランニーは市場経済というのは太古の昔からあったが、それは、対外貿易や臨時の市場など限られた場で、しかも社会から慎重に制御されたものだった。人々にとっては互酬、再分配、家政による経済活動が重要だったと言います。そして、18世紀以降これまでつづいてきた、市場経済自由主義経済の発展の過程は、互酬、再分配、家政を支えてきた、血縁・隣人・同業者組合・信仰といった非契約的な組織を解体しつづける過程だった、と。

 

また、ポランニーは、自由主義経済を社会進化の必然の到達点ではなく、何かのきっかけで市場が暴走してしまった突然変異のような社会であるとと位置付けます。当然そこでは、旧来の社会を支えてきた、血縁・隣人・同業者組合・信仰を守ろうとする反発、「社会防衛運動」が起こると言います。その「社会防衛運動」が、ラッダイト運動であったり、地主階層の反発だと。

 

最近のイスラム原理主義や極端な民族主義、トランプ大統領もそんな流れの一環なのかと思った。頭では市場経済が効率的でいいとはわかっていても、そんなものに全面的に身を任すわけにいかないという肌感覚というか予感が世の中にあるんだろう。だから、それらの動きは一時的なものでも、簡単に制御できるものでもない、人間の本性に基づいた根本的な動きだと覚悟しておいたほうがいいんだろう。

 

ところで、渡辺京二さんは、河合塾の福岡校で1981年から2006年まで25年間にわたって現代文を教えている。私は1984年に河合塾名駅校に通っていた。人気がある講師には、200人の教室が満員になって立ち見がでるくらい生徒が集まるけれど、つまらない講義はどんどん出席者が減っていく、あの厳しい予備校の世界で25年も講師やってるんだから、さぞかし面白い講義だったんだろう。

 

さらば、政治よ: 旅の仲間へ

 

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