これが人間か 改定完全版 アウシュビッツは終わらない

 著者はユダヤ人の化学者でイタリアに住んでいた。1944年10月にナチスに捕まりアウシュビッツに送られる。この本は1945年1月にソ連軍に解放されるまでの強制収用所での日常生活を綴る。

 

科学者だからなのか、著者は強制収用所の悲惨さや残酷さを強い言葉で嘆いたり非難したりしない。日々の生活を淡々を描写する。返ってそのために、非人間的な営みが何事もなくあたりまえのように続いていく様子が強調され空恐ろしい。

 

トイレもない家畜を運ぶ貨車で何日もかけて運ばれる。収容所に到着すると、男女関係なく頭髪を剃られ、衣服、靴も含めて個人の持ち物は全て取り上げられる。代わりに歩きにくい木靴と粗末なシャツとズボンを与えられる。腕に個人を特定する番号を入墨され、その番号で呼ばれる。2人でひとつのベッドを共有する。食事はパンとキャベツのスープが少し。配分される量だけでは衰弱していくばかり。スプーンは与えられず、食事のスープは犬のように器に口をつけて飲むこのになる。それが嫌ならなんとかしてスプーンを入手しなければいけない。日の出から日没まで化学プラントの工事現場で働かされる。病気や怪我で働けなくなると選別されガス室送り。

 

ドイツの普通の人たちが、このようなシステムを構築し淡々と運用していたことを知ると、状況次第で人間誰でもこんなことできるのかとそら恐ろしくなる。

 

本書の冒頭にある言葉。

暖かな家で

何ごともなく生きているきみたちよ

夕方、家に帰れば

熱い食事と友人の顔が見られるきみたちよ。

 

 これが人間か、考えてほしい

 泥にまみれて働き

 平安を知らず

 パンのかけらを争い

 他人がうなずくだけで死に追いやられるものが。

 これが女か、考えてほしい

 髪は剃られ、名はなく

 思い出す力も失せ

 目は虚ろ、体の芯は

 冬の蛙のように冷えきっているものが。

 

考えてほしい、こうした事実があったことを。

これは命令だ。

心に刻んでいてほしい

家にいても、外に出ていても

目覚めていても、寝ていても。

そして子供たちに話してやってほしい。

 

 さもなくば、家は壊れ

 病が体を麻痺させ

 子供たちは顔をそむけるだろう。