ふがいない9年間

高校の3年間、予備校1年、大学は1年留年して5年間で合計9年間。ふがいない9年間だった。

 

高校の時は全く授業についていけず、そのうちにやる気もなくなって、勉強もせず、夜に犀川の河川敷を寺町から片町まで徘徊して帰ってくる毎日。浪人中は寮を9時に追い出されるけれど、予備校には行かずに名古屋駅周辺や栄の地下の迷宮を夕方まで往ったり来たり。マンガ喫茶や映画館で夕方まで過ごす。時には名鉄電車の終点まで行って帰ってくる。大学は2年間はなんとか通ったが、そのまま順調に卒業して会社勤めするのかと思うと、あほらしくもあり、不安でもあり大学に行くの止めた。何かやればまだしも全く何もしない。朝起きて喫茶店でマンガ読みながら朝飯食べて、中之島の図書館にいって、浮浪者のおじさんと並んで夕方まで本を読んで時間をつぶす。その時に読んだ、宮本常一の「日本残酷物語」は今も覚えている。でも他は何を読んだのか忘れた。

 

半年くらいしてこれではダメだと思いバイトを始める。人と話さなくてもいい仕事、工事現場や引っ越しが多かった。あとデパートの模様替えなど夜中の仕事。工事現場は楽しかった。一日体を動かした達成感とともに飲むビールはうまい。交通量調査は短期間で現金をたくさんもらえるので続けて行った。仕事を詰め込み過ぎて、72時間連続調査となり最後は寝不足で幻覚が見えた。

 

2か月ほどバイトしてためたお金でオートバイとキャンプ道具を買って、四国と九州をまわる。世界遺産になる前の屋久島にも行った。四国の宇和島市近くの小さな港にバイクを止めて、海を見ながら休憩していたら、地元の国会議員の秘書と名乗る人が声をかけてくれてしばらく話しこんだ。何かあったら訪ねてきなさいと言って、名刺とバイクに乗せきれないくらいのたくさんのミカンをもらった。

 

旅が何かを変えたのか、帰ってきたら憑き物がとれたように、「やっぱり大学行こ。」という気になり、1年遅れの3年生から始めてなんとか卒業した。走り去るバブルの後ろ髪にしがみついてなんとか就職した。

 

キラキラと輝いてるはずの高校大学時代に、何かを成し遂げようという気もなく、あてもなく只ぶらぶらと徘徊してばかりいた。今もその癖が治らないのか、ちょっと面倒なことがあると、仕事を早退して一人で街をぶらぶらしている。今もふがいない。