平成が始まった頃 その2

 オートバイにキャンプ道具一式を積んで、大阪を出発したのは3月初旬。明石から、たこフェリーに乗って淡路島に渡り、島を縦断して鳴門海峡大橋から徳島へ。1日目はずっと雨が降っていて、吉野川のとある橋の下にテントを設営した。何しろ初めてのひとりテント泊だったので、ちょっとした物音が気になってほとんど眠れなかった。そのあとは四国の海岸沿いに沿って南下して室戸岬高知市足摺岬宿毛宇和島、大洲、佐田岬半島の先端まで行く。宿毛では小さな漁港の船溜りで海を眺めながら日向ぼっこをしていると、国会議員の秘書をやってるという人が声をかけてくれて、30分くらい話し込んだ。内容は覚えていないけれど、名刺を渡され、何か困ったことがあったら連絡するように言ってくれた。別れ際に、地元のみかんをレジ袋3つ分くらいもらい、カバンに入りきらず、袋をハンドルにぶら下げてバイクを走らせた。フェリーで九州へ。九州も時計回りでぐるっと一周。途中で屋久島にも渡った。フェリー乗り場では、仕事で島に渡る建設業の方に、「トラックの荷台に乗せようか、そうすればフェリー代が安く上がるよ。」と声をかけてもらい、お言葉に甘えて乗っけてもらった。3週間ぶりに下宿に帰ってきた時には、料金未払いで電気を止められて、自宅に帰ってきても一晩ヘッドライト点けてキャンプだったのは往生した。

 

野宿生活で毎日体を動かして、嫌が応にも人と会って話をしたおかげで、憑き物が取れたように気持ちが軽くなりなんとか大学に戻れた。