見ると欲しくなる。

1週間ほど前から、休日に出かける時に、背負えるカバンがあったら便利かなと思い、アマゾンでグレゴリーのバックパックを眺めている。定番の「ディパック」いいな、とかパソコンや書類も入れやすそうな縦長の「オーバーヘッドディ」という商品もいいなとか考えながら観ていた。
 
しばらくすると、ネット上でいろんなサイトを閲覧する度にグレゴリーのカバンの広告が表示されるようになった。広告が表示されること自体については、何年も前からそういう状況なので特に気にもしなかった。しかし、今回初めて気づいたのは、商品の値段が日によって大きく変動していることだ。「オーバーヘッドディ」の定価は15,120円。最初見た日には12,000円だったが、次の日には定価の15,120円に値上がりしていて、変わりにアマゾンのポイントが3,000円分ついていた。今朝見たら特選タイムセールと称して、9,813円になっている。他の商品でも5,000円の価格が次の日には10,000円になっていた。短期間のうちに、こんなにも変動させるのかと驚いた。もしかしたら、私に対してなんとかして買わせようと、いろんな価格を提示して試しているのかなとも思う。私がなんらかの反応を示せば顧客の購買行動のデータとして蓄積されるのだろう。
 
ネット上の広告は煩わしいとは思うけれど、それに操られることはないと思っていた。でも、よく考えて見ると表示される度に目には入って値段も見ている。もともと欲しいと思っていたものなので、数秒とはいえ関心を引かれるし、昨日の値段よりも安くなっていると、思わず広告をクリックして確認しようとする。クリックしてしまうと欲望の無間地獄に引き込まれる。不思議なことに商品情報を調べれば調べるほど、欲望が刺激されて欲しいという気持ちが強くなるのだ。それが毎日続くのだ。
 
羊たちの沈黙』でハンニバル・レクター博士が語ったように
欲望というのは自存するものではなく、「それを満たすものが目の前に出現したとき」に発動するものなのである。
 
そう思うとネット広告は侮れない。