うちで踊ろう
先週の土曜日、1階の部屋で本を読んでいると、娘がピアノ弾きながら歌の練習を始めた。娘は高校の合唱部に所属している。今回の新型コロナウイルスのせいで、3月の上旬から部員が集合しての練習はほぼできていない。家で腹筋などのトレーニングや発声練習など、ひとりでもできることをやっている。
だから、またいつもの練習か、1時間もすれば終わるだろうと思い気にもしていなかった。ところが、2時間経っても終わらない。昼ごはんを食べた後も妻にピアノ引かせて音程を取りながら練習を続ける。私は、何時間も同じフレーズを聞かされていい加減ウンザリしてくる。娘が歌うアルトのパートは、主旋律でもないので、何を歌ってるかもよくわからず、しかも下手くそなので音程が安定しない。イライラしてきたので家庭の平和維持のためには、しばらく家を出た方が良さそうと判断して、卯辰山方面に散歩に出かけた。
夕方に帰ってきてもまだ練習している。話を聞くと、6人がそれぞれ家で歌っている姿を動画に撮って部長に送り、部長さんが編集して合唱にするらしい。夕方までに動画を送ることになっていたのだけれど、仕上がらないので待ってもらっていると言う。娘も焦っているようで、涙目でもう諦めようかと言い始める。どうせ編集するなら、音程とか尺も調整できるのだから、今の状態で送ったら。と無責任なことを言うと、もう少し頑張ってみると意地をはる。
結局、夜の10時過ぎにようやく、納得のいくものを送ったようだ。で、翌日にアップされていたのが、これ。
現在休校中である私たちにも何かできないか...と考え、星野源さんの「うちで踊ろう」の合唱版を歌わせていただきました!竹内一樹さん編曲の混声四部合唱の譜面を使わせていただきました🙇♂️とても素晴らしい譜面です✨自粛疲れの癒しにぜひ🎶#星野源#うちで踊ろう#stayhome #二水高校合唱部 pic.twitter.com/2O1vzshoFK
— 金沢二水高校合唱部🎶 (@j9UuzNKgZx2x2dY) 2020年4月19日
再生回数が1週間で7万回を超えていて驚いた。
迷うことについて
「隔たりの青」というタイトルのエッセイと、彼女の家族や恋人、友人のことをふりかえるエッセイとが交互につづられる。東欧から祖母がアメリカへ移民したあとの波乱の人生、ネバダの砂漠の一隅に引きこもる恋人を訪ねたこと、友人が自殺したことなど。
衝撃的な事件もある。人が生きていれば、誰にでもあるだろうなと思う出来事もある。それぞれ、何が起こったのかはもちろん、そこに至るまでの経過、本人との関係の変化が伝わる。表現がうまい。例えがうまい。ありありと伝わる。
全編に通底するテーマは表題の「迷うことについて」。道に迷う、人生に迷う。著者は、人は迷うことを恐れすぎではないかと言う。迷う=自分を失うことは、世の中の常識や制度、地図で把握できる部分からはみ出して、むき出しの世界と直接対峙すること。自分を全てさらけ出して、状況に任せる。迷っていることを自覚して、迷うことに慣れるべきだと言う。
突然だが、私の妻は迷うことが得意だ。出かける時は行き先の詳しい状況は調べないし、どうやっていったらいいかも適当なままとりあえず出かける。スケジュールも適当でいった先で面白いものを見つければ、気がすむまでそこで時間を過ごす。一方私は、どんなところか調べて、行き帰りの交通手段と所要時間を調べて、スケジュールまできっちり想定しておかないと安心できない。最初は、妻のあまりの適当さ加減に呆れて、イライラしていたが、ある時から、これはこれでいいと思えるようになった。道に迷ったら素直に人に聞けばいいだけの話だし、予定の時間を過ぎても、面白いと思った場所で、心ゆくまで楽しんだ方が実り多い。それで、帰りの電車に乗れなくても、大した問題ではない。そう思えるようになるのに20年かかったけどね。
なぜだろう、女性のエッセイは切れ味が鋭い。須賀敦子さんを初めて読んだ時のような衝撃。説教臭くないのがいいのかもしれない。自分が体験したことを足場に、感じたことを感じたままに語るのがいい。
何を優先すべきか
執念深い貧乏性
栗原康さんの本には中毒性がある。粗野でガサツな言い回しで、一見何ら関係のない体験談、例えば実家で飼っていた猫がおじいさんに捨てられたけれど、3日ほどで戻ってきた話、長渕剛の「Captain of the ship」歌詞の引用が続いて、安心していると話が急展開してズバッと核心を突かれて驚く。それが面白くて、次の章、次の章と読み進めた。
国家、会社、家族、夫婦、これらの制度は全て、誰かを奴隷として支配して、死ぬほど働かせて、富を収奪するための仕組みだ。と著者はいう。人と人との間に敷居を設定して区分けして支配するための制度なのだから、支配者と話し合って改善すれば、良い国家、良い会社、良い家族、良い夫婦になるなんてことはありえないのだ。また、支配されている側が、権力を握って支配する側にまわったところで、支配者が変わるだけで、死ぬほど誰かを働かせて、おいしいところを持っていくという構造は変わらないのだ。それは、プロレタリア独裁のソ連で何が起こったかを見れば明らかだ。
では、アナキストである著者はどうすればいいと言っているのか。本の帯に「自分の人生を爆破せよ。」とあるように、国家や家族など支配のための敷居をぶっ壊してしまえ、そんな支配の仕組みを当然のものとして受け入れている自分もぶっ壊してしまえ。そして、逃げて逃げて逃げまくれと言う。真正面から戦うのでなく、土俵自体をぶっ壊してしまえ。国家とか経済とかの力がおよばない暮らしはいくらでもできると言う。
国家が奴隷を強制的に働かせて、単一の穀物を大量に作らせて収奪する仕組みで合ったこと、そんな国家から逃れた人々が、国家の側から、いわゆる「少数民族」と位置付けられて差別されてきたことは、ジェームズ・C・スコットの「ゾミア」を引用しながら説明している。
本書には登場しないが、国家が奴隷制を前提として成立したことは「半穀物の人類史」にも詳しい。奴隷を大量に一箇所に集めて、単一の穀物を大量生産させることによって、不衛生な生活環境による疫病の発生、農作物への病害虫の発生、山賊による収奪を招き寄せることになったのだ。国家が成立することよって庶民の生活が豊かになっていない。かえって貧しく、栄養状態も悪くなっているのだ。
また、国家が安穏と存続している期間は、人々の格差、不平等は拡大していくばかり、戦争や革命、疫病の大流行によって国家の根底が崩壊したときくらいしか、格差が解消される方向には動かないのだ。このことは、(「暴力と不平等の人類史:戦争・革命・崩壊・疫病」)
この前の戦争に負けて、国がひっくり返ってから75年。政治も経済も敗戦後にできた仕組みがそのまま受け継がれて、そんな仕組みが生活のあらゆる側面に影響を拡げている。ああ、息苦しい。特に、政治は75年間積み重ねられてきた既得権益のしがらみにがんじがらめで、どうにもならない。
本書のから、印象的だった部分を引用する。
未来のために、今を犠牲にするのはもうやめよう。時間奴隷はもうたくさんだ。というか、そうやって人を奴隷にするやつやが支配者なんだ。
革命とは敷居を除去しようとする集合的運動だ。
はじめからやっちゃいけないことなんてない、いっちゃいけないことなんかない、自由だ。ひとはなんどもできる、なんにだってなれる。
そんでもって、この合理性の過剰こそが連続殺人をよびおこしたのだ。こういっておこうか、経済は尺度のポリスである。市民ポリスはファシストだ。警察ぶったブタやろう!
夕方の散歩(東山から卯辰山)
一日中家にこもっていると気持ちがクサクサしてくるので、土曜の夕方に散歩に出かけた。人混みに遭遇しないように、東山から天神橋、そこから卯辰山に登り、望湖台をすぎて、金沢卯辰山工芸工房の脇から再び 東山に降りてくるコース。
東茶屋街は洋食の自由軒以外はほぼ全てのお店が休業中で、メインの通りも近所の人が犬の散歩をしているくらいでほぼ誰もいない。望湖台には何台か車が駐車していて、桜の見物客をあてこんだ、りんご飴やベビーカステラなどの屋台が数件出ていた。
北陸新幹線が開通するまでは、東茶屋街といっても平日は観光客は数えるほどだった。通りの奥まで見通せるのは本当に久しぶり。
東山2丁目、蓮昌寺の桜
東山2丁目、三田酒店の店先
金沢卯辰山工芸工房から市街地を望む
望湖台にいた猫
ペペロンチーノ
昨日判明した石川県内の新型コロナウイルスの感染者数が20人。人口あたりの感染者で比較すると、東京都と遜色ないくらい多い。何ができるわけではないが、少なくともこの週末は買い物に出かけるだけにして、家でおとなしくしていようと思う。
一週間分の食料を調達するために、10時ごろに妻と連れ立って、松寺のほがらか村へ行ってきた。買ったのは、キャベツ、長ネギ、玉ねぎ、ピーマン、しいたけ、なめこ、レンコン、こんにゃく、油揚げ、豆腐、卵、豚こま、牛こま、梅干し、リーフレタス、コロッケ。レジには10人くらい並んでいて結構手間取った。
昼ごはんは娘のリクエストに答えて、春キャベツのペペロンチーノを作った。
キャベツを2センチ角くらいに切っておく。鍋で1.6mmのスパゲティを茹でる。5分経過したところにキャベツを投入し麺と一緒に茹でる。一方で、にんにくと鷹の爪の輪切り、オリーブオイルをフライパンに入れて弱火でじっくりと炒める。にんにくが色づいたところで火を止めておく。
麺とキャベツが茹で上がったら、茹で汁を少し取り分けてから、ざるにあけてお湯を切る。麺とキャベツをフライパンに投入し点火、にんにくと鷹の爪の香りが移ったオリーブオイルで和える。途中で茹で汁を少しづつ入れる。最後に塩味の具合を確認しながら調整して完成。
キャベツを1/4玉使ったので分量が多すぎるかと心配したが、3人のお皿に持ってみたらちょうどいい具合。塩味が少し薄いかと思ったが、食べ終わる頃にはちょうどいい感じでおいしくできた。キャベツの茹で具合もぴったり。
娘が「うまい!」と言ってくれたので、成功ということにしておく。
卯辰山 桜 散歩
天気が良いので、妻と一緒に桜を眺めに卯辰山を散歩してきた。
まずは、馬場児童公園。ここは公園を取り巻くように桜がびっしりと咲いて美しい。近所の人が日常の延長として桜を愛でている雰囲気がいい。私的には金沢で一番好きな桜。
東茶屋街の宇多須神社の裏から卯辰山を登る。卯辰山工芸工房から車道を歩いて望湖台へいく途中を左に折れて、「400年の森」へと下る。子供が通っていた幼稚園の春の遠足でなんどもきた場所だ。その当時は、卯辰山の裏のひっそりとした、知る人ぞ知るという雰囲気の場所だったが、今は400年の森として綺麗に整備された。綺麗に整備されすぎて返って、薄っぺらい雰囲気になったのは残念。それでも、斜面の途中から眺める桜は美しい。ベンチで家から持ってきた、きゅうり、卵、ハム、チーズを具にしたサンドイッチを食べながらワインを飲んでいい気持ちになる。
途中で見つけた一本だけひっそりと咲く桜
再び、卯辰山を登り見晴台へ。見晴台近くの車道から杜の里、浅野川を望む。
見晴台から、常盤町緑地へ降りる。ここは、明治時代に牧場だった場所で、開けた芝生の広場があり、その周りに桜が植わっている。子供達が幼い頃は、何度もお弁当持参で遊びにきた。今日も、小さな子供を連れた家族連れが何組かお弁当を食べたり、芝生の上でダルマさんが転んだをして遊んでいる。車が直接は入れない、駐車場から少し歩かないと行けない場所なので、混雑しなくていい。
最後は、子供達が通った幼稚園。これから建て替えの工事に取り掛かるそうで、この園舎と桜を拝めるのは今年が最後。懐かしや。
シトロエン2CV
先週の日曜日、近所を散歩していた時に、2CVを見つけた。
2CVというのは、フランスの自動車メーカー、シトロエンが1948年に発売した小型車。農民向けの企画された車で、「こうもり傘に4つの車輪をつける。」をコンセプトに、設計にあたっては次の条件を満たすことを目指したそうだ。
- 50kgのジャガイモ又は樽を載せて走れること
- 60km/hで走行できること
- ガソリン3リッターで100km以上走れること
- 荒れた農道を走破できるだけでなく、カゴ一杯の生卵を載せて荒れた農道を走行しても、1つの卵も割ることなく走れるほど快適で乗り心地がよいこと
- 車両重量300kg以下
- もし必要とあれば、(自動車に詳しくない初心者の)主婦でも簡単に運転できること
- スタイルは重要ではない
「ルパン3世カリオストロの城」の冒頭でクラリスが運転していた車といえば、わかってくれる人もいるだろうか。
空冷の水平対向2気筒のエンジン搭載、キャンバストップで実用本位のボディは、デビュー当時「醜いアヒルの子」と呼ばれた。しかし、この不恰好なスタイルが逆にカッコよくて若い頃は自動車雑誌の中古車情報に2CVが出品されていると、買えないかなあと思いを馳せていたものだ。
今世紀に入る頃くらいまでは、街中でも時々走っているのを見かけたものだが、最近はめっきり見なくなった。見つけたとしても修理工場の片隅でホコリをかぶっているか、錆びだらけで動かなくなった状態のものくらいだ。
こんなに綺麗な状態の2CVは本当に久しぶりだったので、近所の人に気味わるがられるかと思いながらも、じっくりと眺めていた。電気自動車、自動運転、カーシェア、などクルマのあり方が今後大きく変わっていくことを思うと、趣味として所有し愛でるという20世紀的なクルマとの関係性はなくなっていくのだろう。
そう思うと、自分なら、最後の一台として何を手に入れようか、などと良からぬことを考え始めていた。
旅の効用 人はなぜ移動するのか
この本の著者、ペール・アンディションはスウェーデンの人。若い頃からバックパッカーとして旅を重ねて、旅をテーマにした小説やエッセイを書いたり、旅行雑誌を発行したりしている。インドのムンバイが好きで何度も通っている。ムンバイに滞在して市場や路地の雑踏を徘徊するのが好きらしい。この本は、列車旅、ヒッチハイク、徘徊癖、旅行記、旅行中の妙な高揚感、など、長期間ひとり旅をしたことがある人なら、ピンとくるあれこれを綴ったエッセイ集。
私は、海外放浪旅はしたことがない。学生時代にタイに行ってみたいと思い立ち、タイと日本の友好協会のような団体が開催しているタイ語教室に通ったことはある。週1回の教室を半年間欠かさず出席し、タイの国王の誕生日をお祝いするパーティーにも参加した。そこで食べたさつま揚げ風の食べ物が美味しかった記憶だけは残っている。その教室で旅行会社の人とも仲良くなり、今度一緒にタイに行きましょうなどと盛り上がり、地球の歩き方を買ってプランを練ったりもしたが、私がやれ、大学の授業が、とか、お金がないとか言っているうちに立ち消えになり、結局、今に至るまで一度もタイには行ったことがない。思い立った時に行っておけば良かった。
ただ、国内をオートバイで周っていたことがある。一番長かったのは、春休みに四国、九州、屋久島を1ヶ月くらい野宿しながら徘徊した。この本の中で著者が書いている、旅行中のどうしようもない孤独感、それとは反対に、人に優しくしてもらった時の、人っていいなぁという全面的な信頼感。その両端を行ったり来たりする心の振れ幅の大きさ。などを思い出しながら読んだ。
「世界の旅行記を旅する」では、ブルース・チャトウィンが登場する。チャトウィンと言えば「パタゴニア」。パタゴニアに住む奇妙な人々を訪ねる、半分フィクション、半分事実のような不思議な旅行記。1990年だったか、学生時代にたまたま本屋で手にとり、夢中になって読んだ。今もその本は、本棚の一番目立つところに大事に置いている。強烈が風が吹くばかりの世界の最果ての原野、そこへ様々な事情で逃れてきた人々の物語。旅に出たいという気持ちをくすぐりまくる。
旅行記といえば、もう一つ私が好きなのは、関川夏央の「ソウルの練習問題」。こちらは高校生の時に読んだ。軍事体制下の韓国を日本人がひとりで徘徊するという当時珍しい旅行記。著者が、全く理解できないハングルの海に酔いそうになるという感覚は、30年後に初めてソウルに行って、夜中に明洞を徘徊していたら道に迷って帰るホテルがわからなくなった時に体験した。
ここ20年ばかり、ふらっと旅に出たいという気持ちになることはなかったのだが、長男が家を出て、娘が高校生になって手が離れたからなのか、ひとり旅がしたいという気持ちになってきた。学生ではないので海外を1年かけて放浪することもできない。今やりたいと思っているのは、観光地でもなんでもない、特に特徴もない街に3日くらい滞在して、暮らすようにぶらぶらするような旅だ。散歩して地元の図書館にで暇つぶしして、銭湯にでも入って、夜はなんでもない居酒屋に入って、なんなら散髪して帰ってくるだけの旅。
そういえば、吉田健一に「或る田舎町の魅力」という埼玉県児玉町という地方のなんでもない田舎町の旅館に泊まって、酒飲んで帰ってくるだけの旅の随筆があった。観光地のように、どうぞ見て行ってくださいと売り込んでくる五月蝿いところがないのがいいとか書いてあったような気がする。そんな、なんでもない街で暮らすような旅がしてみたいと思っている。
3ヶ月前なら、そんな風に思い立ったらすぐに実行できたのに、コロナウイルスの感染が拡大した今となっては、そんな旅もままならない。
3月28日土曜日
いなさ ホタルイカと蕗味噌
黒百合
昨日、実家のある加賀市から金沢まで戻るのに電車を使った。13時47分加賀温泉駅発の普通電車に乗った。1時間ほど、15時前に金沢駅に到着。
久しぶりに金沢駅のおでん屋さん「黒百合」に寄ってみた。
3連休の真ん中なので、コロナウイルス騒動の前までは、中途半端なこんな時間でも、お店に入るのに行列になっていた。今日は、さすがに人出が少なく、おでん鍋前のカウンター席が4席まとめて空いていた。お店に入るとそのおでん鍋前に案内された。飲み物は小堀酒造の「花伝」2合に燗をつけてもらう。つまみは、牛すじ煮込みのねぎのせと、鯖のヌタ。
墓参り
実家の墓参りへ行ってきた。
まずは、金沢駅の百番街へ行き、母から頼まれたきんつば15個入りを中田屋で、お供え物のおはぎ6個を越山甘清堂で買う。百番街2階の食品スーパーで、お昼に食べるお惣菜を買う。えびとブロッコリーのサラダ、イカとおからの煮物、大学芋、メンチカツ。ついでに隣のドラッグストアでマスクを探すも、今日は入荷していないとのこと。
高速道路を使って加賀市の実家に到着したのが11時30分。母もご飯を炊いて、油揚げと白菜の煮物、干しカレイを焼いたのを準備してくれていたので、金沢駅で買ったお惣菜も合わせて早速昼ごはんにする。
調子に乗ってご飯を2膳も食べてしまい、食後は昼寝。午後3時を過ぎてしまい、母は書道教室の先生として出勤。妻と娘と私の3人で車に乗って、墓参りに出かける。海岸沿いの松林の一角を切り開いて作られた集落の墓地だ。集落の住民であれば2坪ほどの墓地がもらえる。15年前に父が亡くなった時に建てたお墓は今も光沢を保っている。まわりを見回すと草が伸びっぱなしの墓地や傾いた暮石など何年も手入れされていないところが多数あり。私の代はまだしも子供や孫の代になればうちもどうなるかわからない。
妻と娘は金沢に戻るので、ここでお別れ。私は実家に一泊する。ひとり海岸まで歩く。風が猛烈に強く海面が白波で覆われている。いつもなら堤防の上を歩けるのだが今日は堤防を越えて波が次々と砕けている。雲の隙間から夕方の太陽が後光のように広がっている。西方浄土から阿弥陀様がお迎えにに来たのかと思った。
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村に火をつけ、白痴になれー伊藤野枝伝ー
伊藤野枝は、1895年福岡県生まれ。婦人解放運動家で、平塚らいてうから「青鞜」の編集、発行を引き継いでいる。日本の無政府主義運動の中心であった大杉栄と、お互い結婚している身でありながら同棲する。大杉との間に5人の子供をもうける。関東大震災後に、大杉ともに陸軍の甘粕大尉に連行され虐殺される。
貧乏なのに、好きなものを腹一杯食べて、好きな人と付き合って、金がなくなれば、親戚の家に転がり込んでご飯食べさせてもらったり、お金もらったりして食いつなぐ。気持ちいいくらいわがまま。一方で困っている人が入れば、家に住まわせたやったり、なけなしのお金を与えたりと、気持ちいいくらい我がまま、気まま。
伊藤野枝が「青鞜」時代に、当時の廃娼運動に関わる人たちが、娼婦を見下していることを痛烈にを批判した。その批判の筋道がかっこいい。
古来より、女性は男性の財産=奴隷として扱われてきた。それは、結婚して妻となるにしても娼婦となるにしても同じ。結婚して妻になるのは、夫の財産=奴隷として家事労働や性的なサービスを夫の専属でやること。娼婦となるということは、借金の担保として、性的サービスを提供する奴隷となること。妻となるのも娼婦となるのも財産=奴隷という意味では同じじ。財産=奴隷だから浮気すると妻だけが姦通罪で罰せられるのだ。
こんな論理で、当時の女性運動家たちが、売春は醜業だから無くしていかなければいけないと、娼婦たちを見下していることを痛烈に批判した。
こんな調子で、既存の制度とか仕組みを徹底的に排除する。青鞜の編集方針も「無主義、無規則、無方針」。書きたい人が、書きたいことを、好きなように書けばいい。
著者の栗原康さん独特の、ハチャメチャな文体にぐいぐい引き込まれる。