本を買いに福井まで

福井駅の近くにあった勝木書店が閉店になって、その店に在庫していた大量の岩波の本が、同書店の新二宮店に持ち込まれお店に並んでいると聞いたのが10月の始め。冷やかしに行こうと思ったのだが、なんやかやと踏ん切りがつかず12月になってしまった。
 
 
今日は特に予定もないので、遅ればせながら福井まで行くことにした。のんびりと電車で行って、文庫や新書を物色して帰りに福井駅前で本でも読みながら、昼飲みしてこようという魂胆。
 
妻には福井に本を探しに行くとだけ伝えて、金沢駅まで送ってもらう。午前9時30分の福井行き普通列車に乗る。車内は席がちょうど全部埋まっているくらいの混み具合。北陸の冬特有の灰色の雲に覆われて雨がしとしと降る。景色を見ていても気が滅入るので、ようやく半分まで読み進めたブルース・チャトウィンの伝記を読み進める。途中、松任から小松まで居眠りする。約1時間30分で福井駅に到着。
 
ここからえちぜん鉄道三国芦原線に乗り換える。白地に青い模様の車両が1両だけの電車。福井駅から三国港までを約50分で結ぶ路線だ。車両に乗り込むと意外とお客さんがたくさん。三国でカニを食べようと、ガイドマップを広げる年配の男性の6人組など、観光客が7割ほど。残りは高校生やご老人など地元の人たちだ。アテンダントと称する若い女性の車掌さんも乗っていて、料金の徴収や簡単な観光案内をしている。ちょっと込み入った話になると、シュッとしたユニホームに身を包んでいるが、観光客にオススメの店を聞かれると、のんびりした響の福井訛りが飛び出して車内が和む。
 
私は、福井駅から8っつ目の八島という駅で降りる。グーグルマップでは駅から本屋さんまで歩いて3分とあるけれど、どっちの方向に歩いて行ったもんやらと思いながら、八島で降りた5人ほども人が歩いて行く方向について行くと、すぐにショッピングモールと、その中の本屋さんの看板を見つけた。
 
岩波書店の本のコーナーは、2階の奥にあった。文庫も新書もこれだけ大量に並んでいるのは初めて見た。何が欲しいのかわかっているときは、ネットでも買えるのだが、特に目的もなく、背表紙を見てなんとなく手にとって、立ち読みしながら本を選べるのはやはり楽しい。
 
今回買ったのは、この6冊。
開高健短篇選 (岩波文庫)

開高健短篇選 (岩波文庫)

  • 発売日: 2019/01/17
  • メディア: 文庫
 

 

続審問 (岩波文庫)

続審問 (岩波文庫)

 

 

意識と本質-精神的東洋を索めて (岩波文庫)
 

 

言語―ことばの研究序説 (岩波文庫)

言語―ことばの研究序説 (岩波文庫)

 

 

ブッダが説いたこと (岩波文庫)

ブッダが説いたこと (岩波文庫)

 

 

 また、積読本が増えて妻に嫌な顔をされそうだけど、我ながらいい選択をしたと一人で満足する。

 
八島の駅まで戻ると、ちょうど福井駅行きの電車が入ってきたところ。乗り込むと高校生で満員。行きの電車のアテンダントさんと同じ人だった。三国まで行って戻ってきた電車に乗ったらしい。電車が走り出すと、アテンダントさんにどちらまでと聞かれて、料金を支払い、整理券と引き換えに乗車券を受け取る。なんとも、人手だのみのアナログな方法、プリペイドカードにするとか、車内に切符の自動販売機を置くとか、いろいろ合理化できることはあるだろうにとも一瞬思ったが、自動化のための設備投資の金額やら、すでに雇っている従業員のことなど、いろいろ考えてこのやり方に落ち着いたのかもしれないと考え直す。車掌さんが乗っていると、なんだか安心感もあるし。
 
駅に戻ると午後1時を過ぎていた。駅の西側に出たところにある、ビルの1階に飲み屋が2軒並んでいる。店頭のメニューを見てどちらにしようか考える。片方もお店は「くずし割烹」と称し、少し小ぎれいで、カニなど福井の名物を前面に打ち出し観光客も意識したメニュー構成。もう一方は、赤提灯系の地元のおじさんが、昼間っからとぐろを巻いていそうな店構え。迷うことなく、赤提灯系に入る。
 
先客は、観光客と思しき、二人連れの女性客が2組、テーブルでお昼の定食を食べている。カウンターには、地元の常連さんらしきおじさんが4人、それぞれ飲んでいる。私はカウンターの一番端のレジ前の席に通される。レジ前は嫌だなと思ったが、初めての店なので仕方ない。大人しく座る。
 
「ランチですか、お酒飲みますか?」と聞かれ、「お酒お願いします。」ときっぱり。燗酒は何がありますかと聞くと、一富士と一本義があるとのこと。聞いたことない名前だったので、一富士の大徳利を注文。
 
つまみは、シメサバとモツ煮込み。金沢だとおでん屋さんで牛スジ煮込みは定番だが、モツ煮込みを出す店はあまりない。お通しで出された、魚のアラと人参などの野菜を甘く煮たものを摘みながら一富士を飲む。
 
シメサバには紅生姜が乗っかっていた。大阪の立ち飲み屋のような庶民的なシメサバだ。モツ煮込みは、モツの香りが少し残り赤味噌で煮込んでしっかりとした味付け。どちらも熱燗に合う。さっき購入した「開高健短編選」の「パニック」を読みながら、ちびちびお酒を舐めるように飲む。読んでいる途中に、「そういえば、開高健って福井県と関係があったはずだよな。」と思い出す。「でも出身地は大阪のはずだし、どうだっけ。」と一人でブツブツ言いながらiPadで検索する。ウイキペディアによると開高健の祖父母が、福井県坂井市丸岡町の一本田の出身とある。2年前に亡くなった叔母が丸岡町に嫁いで一本田に住んでいた。お葬式で丸岡に行った時に開高健の文学碑を見たことを思い出す。
 
大徳利を空けて、いい具合に酔ったところで店を出る。せっかく福井まで来たのだから、おろし蕎麦を食べて帰ろうと駅の近くの蕎麦屋さんに入る。メニューを見ると、お酒とつまみもあるのでもう一度飲もうと一瞬頭をよぎったが、思い直して、おろし蕎麦と焼き鯖寿司のセットを発注する。
 
コシのある太めの麺を大根おろしにつけて、さっぱりと食べる。蕎麦湯も飲んだら満腹になった。
 
15時09分福井駅始発、金沢駅行きの普通列車に乗る。金沢着は16時40分。もうすでに暗い。駅は年末の買い物客と観光客で大にぎわい。妻に頼まれていた、キャンベルのクラムチャウダーの缶詰とフランスパンを買い、酔い覚ましも兼ねて家まで歩いて帰った。

スペアリブ

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ネットで美味しそうな中華料理を次々と紹介してくれている、酒徒さんのレシピで、スペアリブの紹興酒蒸しを作った。
 
 
この料理は一年くらい前に一度作ったことがある。蒸しあがりを娘と二人で食べ始めたのだが、あまりの美味さに妻の分も二人でたいらげてしまい気まずい思いをした。
 
娘にとっても相当インパクトがあったようで、しばらく前から何かにつけ、「あのスペアリブの料理が食べたい。」と言うので、今回は3連休最終日、みんなが揃っている晩御飯に作って、妻にも食べてもらうことにした。
 
まずは、香林坊にある地元百貨店「大和」の地下にあるお肉屋さんで、スペアリブ1キログラムを買う。骨が短めのやつ、一口サイズの肉を選んでもらう。出来上がりに散らす青ネギと、一緒に食べるスープ用に白菜としめじも購入。帰りがけに近所の酒屋で紹興酒を購入。
 
調理は簡単。スペアリブは血抜きのためしばらく水に浸しておく。その後に、ニンニク、生姜をみじん切りにして紹興酒と醤油と一緒に混ぜたものに1時間ほど漬ける。味が染みた頃に肉を取り出して、片栗粉をまぶして30分ほど蒸して出来上がり。
 
蒸し物は、蒸し過ぎたところで肉が硬くなることもないので気が楽だ。調味料も適当で大丈夫。今回は醤油が足りなかったようで塩味が薄かった。でも醤油つけながら食べればそんなもん。
 
蒸したてのスペアリブの骨を手に持ってかぶりついてごらんなさい。たまらん。

母が働いていた頃

母の生存確認も兼ねて、今週の土日に加賀市の実家に行ってきた。
 
日曜日の北國新聞の朝刊に、加賀市大聖寺にある「深田久弥 山の文化館」の銀杏が黄色く色づいているとの記事が載っていた。朝食後にコーヒを飲みながら母はその記事を読み、自分が20代の頃の話を始めた。
 
そもそも「山の文化館」は、かつての加賀市にあった「山長」という織物会社の工場の一部を改修して利用している施設。母はその山長で昭和38年から46年までの8年間、母の年齢でいうと20歳から28歳まで、事務員として働いていたのだ。
 
 
私は昭和41年生まれ、母は私を保育所に通わせながら働いていた。当時は保育所は午後3時くらいまでだったようで、保育所が終わったあとは、近所の人にお金を払って、私を保育所に迎えに行ってもらい午後5時くらいまで預かってもらっていたそうだ。私もおぼろげながら夕方に事務所のストーブの横で母が仕事を終えるのを待っていた記憶がある。母は、昭和46年に弟が生まれたのを機に退職したのだが、本当は自分の親に子供たちの世話を任せてでも働き続けたかったようだ。
 
母は経理の担当だったのだが、お茶汲みやら掃除は当然のこと、来客があれば近所の和菓子屋さんまで、お菓子を買いに行くなどの雑用もやらされていたとのこと。今なら経理担当がなんでそんなことまでやらなきゃいけないのかと問題になるところだが、当時はそれが当たり前だと思っていたそうだ。逆に社長の奥様から、世に中の常識や行儀作法など厳しく躾けてもらってよかったと言っている。
 
そんな雑用の中でも、秋の恒例行事が、銀杏拾いと落ち葉の掃除だったそうだ。事務所の前に樹齢600年以上の銀杏の大木がある。昭和9年に街の大半が消失した大聖寺の大火の時にも工場が延焼しなかったのは、この銀杏の大木のおかげだと、社長さんはこの銀杏の木を大事にしていたそうだ。
 
母のような下っ端は、朝出勤すると銀杏の落ち葉を一枚も残さないように掃除するのが日課。落ち葉掃きを終えて経理の仕事に取り掛かると、掃除したばかりなのに、銀杏の葉がまたハラハラと落ちてくるのが窓越しに見えてげんなりしたそうだ。銀杏の実は、運転手兼任の雑用係の男性が季節になると拾って、近くを流れる大聖寺川の水に浸して果肉を洗い流してから、天日で干していた。食べられるようになった銀杏は、C反で作った袋に入れて、取引先などの会社の関係者にお歳暮がわりに送っていたそうだ。
 
母が働いていた昭和40年代前半は、日本の繊維産業がまだ隆盛を保っていた頃で、会社員として働いていた8年間を母が誇らしく感じているらことは、話を聞いていても伝わってくる。今も当時の会社の先輩とは付き合いがあるそうだ。また、その時に会社で経理の仕事をきっちりと教えてもらったおかげで、退職した後も知り合いの会社の経理事務を内職で請負うことができたとのこと。
 
昭和47年に日米繊維協定が結ばれて、合繊のアメリカへの輸出が制限され、繊維が構造不況業種と呼ばれるようになり、いつ頃なのか、母が働いていた会社も廃業してしまった。

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秋祭り

実家の母親から、秋祭りの赤飯を用意したから取りに来るようにと電話があった。今年はコロナでお祭りの輪踊りや獅子舞など行事は中止なのだが、母は、赤飯と昆布巻きはどうしても準備したいらしい。土曜日の朝9時に部活へ出かける娘を学校まで車で送り届け、そのまま加賀市の実家へ向かう。いつもなら高速道路を使うところだが、今朝は秋晴れ、青空が広がりまことに気分がいいので、加賀産業道路でゆっくり行くことにした。iPadに入っているお気に入りリストの音楽を大音量でかける。子供達と一緒だとあまりに古い音楽をかけるのは遠慮してしまう。妻がいると音量も控えめにと注意される。中島みゆき、The blue harts、井上陽水ちあきなおみエレファントカシマシ、などなど大声で歌いながら運転するのは気分いいものだ。
 
10時ごろに実家に到着。赤飯はすでに届いていたのだが、母はいなり寿司も作りたいので、スーパーへ油揚げを買いに行くので一緒に来るようにとのこと。二人で片山津のスーパー、マルエーへ行く。お稲荷さん用の油揚げを32枚と、いりごま、お供えの大福と月餅、母の朝食用のヨーグルトを買った。
 
実家に戻ると、今度は、弟夫婦が飼っている柴犬を預かっているので、散歩に連れて行けとの指令。弟はどうしたのかと聞くと、ゴルフに行ったとのこと。弟は2年ほど前からゴルフを始めて、最近は毎週のようにコースに出ているらしい。
 
犬を散歩へ連れて行くために、リードをつけようとするのだが、犬が嫌がってつけさせてくれない。母と二人掛かりで犬を抑え込んでようやくリードを装着できた。散歩に行きたいくせにリードを嫌がるとは面倒な犬。
 
海に向かって歩き始めると、早く先に進みたいと、強引にリードを引っ張って走り出そうとするので、その度に思いっきりリードを引き戻して怖い顔をする。2、3回そんなことを繰り返すと、ようやくどちらが偉いかわかったらしく、おとなしく私の横を、私のペースに合わせて歩くようになった。物分りが良くてよろしい。
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海岸沿いの防波堤に沿って歩くために、幅1メートルほどの溝を跨がなければ行けないのだが、この犬、怖がってジャンプして飛び越えようとしない。仕方ないので、遠回りして溝を迂回して防波堤にたどり着く。よほど過保護に育てられたのだろう。何かと手間のかかる犬だ。
 
透き通るような青空にこんもりした雲が規則正しく浮かんでいる。海も穏やか、風は涼しい。ついこの前までの35度を超えるうだるような暑さが嘘のようだ。防波堤の上を500メートルほど、隣町まで歩く。途中で観光で来たと思われる外国人のマウンテンバイクの集団に追い抜かれる。外国人の観光客も戻って来たのだろうか。大きな声で、「こんにちわ。」と挨拶されたので、「こんにちは。」と応える。
 
犬は、家を出るときは我先にと走り出すくらい元気だったのに、30分ほど歩くと疲れてしまったようだ。私の後ろをはぁーlはー息をあげて、なんとかついて来る。普段あまり運動してないようだ。
 
帰り道に、お彼岸なので、集落の墓地へ立ち寄って父の墓参りをした。海から墓地へ向かう道は、あまり歩く人がいないようで、松の倒木が何箇所かあって、倒木を飛び越えるなり、下をくぐるなりしなければ先へ進めなくなっていた。犬も飛び越えられるだろうと、私が倒木を跨いで行こうとすると、立ち止まって後ずさりして、なかなか先へ進めない。仕方ないので犬を抱きかかえて運ばざるを得ない。本当に世話がやける犬だ。
 
墓地には誰もいない。犬と一緒に墓参りして実家に帰る。
 
実家に戻ると母がおいなりさん用の油揚げを炊き上げて、扇風機の風を当てて冷ましていた。犬は普段よりもよほど長く歩いたらしく、冷房の効いた部屋でぐったり横になって昼寝し始めた。
 
お稲荷さんと赤飯、昆布巻きにワラビと油揚げの煮物で簡単に昼ごはんにする。食後30分ほど昼寝をしてから、金沢に戻って来た。
 
帰りも一般道を大声で歌いながら運転した。たまには、一人っきりになって歌いながら運転するのも楽しいもんだ。
 
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帰省

8月上旬に息子が帰省した。自動車学校に通って免許を取るために今回は帰って来た。2年ぶりに家族4人で過ごすことになったのだが、これが楽しい。特に4人揃って晩御飯を食べる時間が楽しい。娘が今日学校で何があったのか、など妻に報告していると、息子がツッコミを入れる。私が言うと、娘にキツく当たるような言葉も、息子の言葉なら娘も言い返しやすいし、深刻にならないのだろう。時々、兄妹で言い合いになることもあるけれど、そこはそれ、二人でうまく調整している。
 
大学に入ったばかりの頃は、ビール一杯でも気持ち悪くなると言っていた息子が、結構お酒を飲むことも判明した。晩御飯を食べながら、ビール、日本酒、ワインを飲んでいる。この前の日曜日には、豚ばら肉の韓国風焼き肉をしながら、二人でワインを一本空けた。思えば、これまで我が家では、お酒を飲むのは私ひとりだったので、お酒の準備をするのも私、つまみは妻に頼まないと作ってもらえないこともあった。晩御飯を食べる時には、私以外はいきなり白飯を食べ始め、私だけがダラダラと酒を飲んでいた。息子と二人で飲んでいると、やっぱり楽しい。一人で飲むのは気楽でいい面もあるが、やはりさみしかった。
 
息子と飲んで、そのままリビングで沈没する心地よさは何物にも代えがたいと思う。幸せすぎて、もう、他のことはどうでもいいと思ってしまうくらいだ。娘も声楽コンクールで歌った歌を披露してくれたり、学園祭に向けて練習しているダンスを見せてくれる。彼女は、人と気楽に話せる性格でもないくせに、友達を作るのに苦労しているくせに、目立ちたがり屋だ。将来人間関係で悩んでしまうタイプだ。
 
私は、そんな彼らを眺めながら、ひたすら食べて酒飲んで、テレビ見ている。あまり話すことはないけれど、横にいるだけで楽しい。嬉しい。4人でこんな風に1ヶ月以上過ごせるのも、今回が本当に最後だと思う。息子は9月半ばには東京に戻るだろうし、今後もこんなに長期間にわたって帰省することはないだろう。そうしているうちにも、娘が大学進学して、多分県外に住むことになる。当たり前の日常が戻ってくることがなくなるのだ。
 
記念に写真館に行って家族写真を撮ろうと思う。東京の小金井に住んでいた時に、妻と息子と立たしの3人で、吉祥寺の有名な写真館に行って家族写真を初めて撮った。そこは、あ野口英世のポートレイトを撮ったという歴史ある写真館だった。私は赤いVネックのセータを着てまだ、アメリカかぶれが抜けきっていない。33歳ごろの時。息子は1歳か2歳になったばかり。妻はほっそりしている。その時は、毎年この写真館で家族写真を撮ろうと思っていたけれど、結局、引越しがあったり、撮影に3万円も毎年払い続けるのが勿体無く感じられるようになった、七五三や入学式など節目の時にしか家族写真を撮っていない。息子ご娘も大きくなってからは、自分でスマホで撮影するくらいで写真館にも行っていない。
 
今度の週末にでも、ちょっと奮発して写真館に行ってみよう。これが最後と思っていくのもなんだか悲壮感がまとわりついて重い気持ちになるが、もうあまりこんな機会がないと思うとそれでも写真を撮っておきたいと思う。

エアコンを買いに

久しぶりに息子が帰って来ることになり、普段使っていない和室で寝てもらおうと、エアコンの試運転をしたところ、風は出てくるものの一向に冷たくならない。室外機を確認してみると動いていない。

 

修理しようか、買い換えようか迷っていたところ、妻が、「今ならケーズデンキでエアコンを3台買うと、3台目が半額になるよ。」と教えてくれた。「最近のエアコンは電気代も安いっていうし。」これを機にエアコンを新しくしたいらしい。

 

最初はもったいない、修理しようと思ったが、良く考えてみると、うちのエアコンは全部、19年前にこの家を建てた時に設置したエアコンで、遅かれ早かれそろそろ寿命だ。それに、2階のリビング兼ダイニング兼キッチンの部屋は20畳くらいの広さで階段室の吹き抜けとつながっていて、勾配天井となっていて、新築時につけた5kwのエアコンではパワー不足で真夏は部屋全体が冷えるまで時間がかかる。エアコンも常に全力運転で側で見ていても辛いので、できればもっとパワーに余裕がある機種に買い替えたいと思っていたのだ。

 

二人の間では、「もう、寿命だし。」というのが決め手となり、3台まとめてエアコンを入れ替えることにして、早速、ケーズデンキに出かけた。

 

メーカーはダイキンに決めていたので、店員さんにダイキンでお願いしますと最初に告げる。エアコン専業メーカーであることと、この20年で売上高4倍以上に伸ばした企業ということで興味があったのだ。まずは、リビング用の大きなエアコンを見る。店頭には、23畳用(7kw)が32万円、26畳用(8kw)34万円が置いてある。最近のエアコンは、フィルターの自動洗浄は当たり前、ダイキンは加湿運転と換気もできるのが特長らしい。WiFiに繋げてスマホやスマートスピーカ〜でも操作できる。

 

どちらにしようかと迷ったが、店員さんにも相談して、小さい方にして効きが悪くて後悔するのも嫌なので、一番大きいやつにした。

 

8畳用と6畳用は寝る時にしか使わないので、ダイキンの一番安いモデルでお願いする。3台まとめてなんとか50万以内に収まった。3日後に取り付け工事をしてくれるというので、その場で購入を決めた。

 

というのがお盆前の話。既に新しいエアコンに入れ替えて10日ほど経った。やっぱり家電製品は最新がいい。リビングはエアコンをつければすぐに冷えるし、運転音も静か。寝室用の安いエアコンもインバーター制御ではあるので就寝中は静かにゆるゆると運転してくれてぐっすりと眠れる。今までは、全力運転か停止しかなかった。

 

一つだけ不満だったのは、取扱説明書の中で、エアコンをWiFiに接続するやり方がわかりにくかったところ。何度も読んで説明書の指示通りに設定しても繋がらない。仕方ないのでグーグルで検索してようやくやり方がわかった。

 

妻とは、これから毎年のように、この家のいろんなところを修理していかないといけないんだろうなと話している。去年は給湯器を修理した。次は、キッチン周りが怪しくなってきた。外壁や屋根もだいぶ傷んできている。

 

 

 

 

 

お盆のひがし茶屋街

今日の散歩は、卯辰山方面へ出かけた。

 

宇多須神社の裏の道を奥へ鶯谷を登っていく。途中で左に折れて、斜面をほぼ直登する道路に入る。畑や墓地を抜け、尾根筋をしばらく行くと市民工房に出る。ここまでで20分。既に汗だく。さらに車道を登って望湖台に到着したのは18時。日本海に沈む夕日にはしばらく時間がかかりそうだったので先を急ぐ。

 

新しくできた眺望広場を少し下ったところで右折すると、最近閉店してしまった料理屋さん「卯辰かなざわ」が見える。座敷からの眺めが素晴らしく、値段の割には料理もおいしくて、親族の集まりで何度かお世話になっていただけに残念。

 

子来町の坂を下り宝泉寺の境内へ。ここからは橋場町、並木町あたりの眺めがいい。今日はお盆ということで、のぼり旗がはためいていた。

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千里浜、ホリ牧場

夏休みも後半。さすがに家で家族4人が顔を突き合わせているのも飽きてきたので、小ドライブに出かけた。
 
行き先は、千里浜、帰りに内灘のホリ牧場に立ち寄ってソフトクリームを食べることにした。
 
田中の交差点から8号バイパスにのって北上する。白尾のインターチェンジでのと里山街道に入る。高松あたりを走っていると、左手に見える日本海のところどころに雲から激しく雨が降っているような、水煙のようなものが見える。まるで熱帯のスコールだ。
 
今浜でおりて千里浜に入る。入口近くではたくさんの車が波打ち際に停まっていた。雨がパラパラしていたので、泳ぐひとはほとんどいなかった。車の周りで写真をとったり、海を眺めたりする人が多数。我々も、久しぶりの家族写真を撮った。焼き蛤屋さんが数軒、店をだしていたので、食べて帰ろうかと誘ってみたが、「ソフトクリームが食べたいので今回はパスする。」という娘の意見に引きずられ、雨が本降りになってきたこともあり、そうそうに内灘に向かって引き返す。
 
のと里山街道の内灘インターを降り、石川県立自転車競技場の横をとおる。ここには、娘が生まれたころに、自転車のトラック競技をやるために週末に通っていた。娘が生まれる直前にロードバイクを買って乗り始めところ、自転車にハマってしまい、調子に乗ってトラック競技にも手を出したのだ。当時、息子は5歳くらい。妻が娘の世話に忙しいので、私が息子を自転車競技場に連れてきて遊ばせていた。その息子が、大学で自転車競技をやることになるとは、月日の経つのは早いもの、感慨深い。
 
サンセットブリッジの脇の、急坂を下って、河北潟干拓地に降りる。干拓地内を5分ほど走ってホリ牧場に到着。早速、お目当てのソフトクリームを買って、ベンチに屋外のベンチで食べる。夏休みだからか、小さな子供を連れた家族連れやカップルがくつろいでいる。
 
子供が小さいときは、何度もこのホリ牧場のお世話になったものだ。特に娘は動物好きで、ウサギが見たいとか、ヤギが見たいとか言うので、毎週のように連れてきたものだ。
 
妻が1ヶ月ほど入院していた時は、気分転換のために外泊の許可をもらって、ここに連れてきたこともある。ちょうどトウモロコシの収穫時期で、トウモロコシ早食い大会をやっていたのだが、妻は入院中にもかかわらず出場して、5人で競った中で一番になり、大したもんだと感心したこともある。
 
今日は、広場にヤギが繋がれていた。日よけの屋根を支える支柱にヤギを繋繋いでいるロープが絡まってしまい、ヤギの動き回れる範囲が大変せまくなっていて、かわいそうだったので、ロープを引っ張ってヤギを移動させて、絡まったロープを元に戻してやった。
 
非常にいいことをしたような気がして、大変良い気分で、ホリ牧場を後にした。
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香林坊、広坂、兼六園下、橋場町

日中は外に出ると命の危険を感じるくらい暑いので、今日は早朝に散歩した。

 

5時30分に家を出る。昌永橋を渡って瓢箪町、金沢表参道商店街をとおり武蔵が辻へ。そこから157号を香林坊まで歩く。私と同じように早朝散歩中の高齢者の皆様、街中のホテルに宿泊したと思き家族づれの観光客、一生懸命ランニングに励むおじさん。思っていたよりもたくさんの人が歩いている。広坂から兼六園下、橋場町、小橋を経由して帰宅、1時間10分の散歩でした。

 

大手町から橋場町の道の途中で見つけた坂道。

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浅野川沿いの家の朝顔。綺麗に並んで咲いていた。

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夏休みらしいバーベキュー

 娘の高校もようやく夏休みに入ったけれど、毎日コロナの感染者が増え続けている状況では、旅行にも行けず、外食するのも気がひける。

 

3月から家族揃っての出かけていないので娘もストレスが溜まっているのだろう、夏休みらしいことをしたいというので、バーベキューをすることにした。妻もたらふく肉を食べたいという。肉を調達するために、11時ごろコストコに行く。精肉コーナーでTボーンステーキ1300グラムが7,000円。赤身のステーキが1キロで4,000円。どちらにしようか悩む。せっかくなので、そう何度もするわけでないので、とか、二人で顔を見合わせ言い訳しながら、Tボーンステーキをカートに入れる。羊も食べたいので、ラムの骨つき1,9001円もカートへ。せっかく来たので、ワインを赤白一本づつ、ギリシャヨーグルト、牛乳、卵、ポテトチップス、ソーセージ、生のラズベリー、チェダーチーズのブロック、シリアルを購入。

 

昼間は肉を焼こうという気持ちが萎えるくらい暑かったので、6時近くになって少し日が陰った頃に2階のベランダでキャンプ用のテーブルとバーベキューグリルをセットして、炭に火をおこす。

 

30分ほどして火力が安定したことを確認して、まずは羊を焼く。羊はローズマリー入りのオリーブオイルでマリネしておいた。付け合わせのじゃがいもは厚めにスライス、玉ねぎは丸ごとアルミフォイルに包んで焼く。娘の希望でしっかり目に焼け上がったら、骨を手でつかんで肉にかぶりつく。羊のいい香りが鼻を抜ける。一人2本、それぞれペロリと食べる。

 

じゃがいもをじっくり焼いて、ホクホクにして食べた後に、いよいよTボーンステーキを焼く。厚さが3センチくらいはありそうなので、炭火をならして、肉全体に満遍なく火が当たるように調整してから肉を載せる。火が暮れて暗くなったので、ベランダの照明だけでは、肉の焼け具合を確認しづらい。娘に懐中電灯を持ってきて、照らしてもらい、肉の状態を確認しながら焼く。何度かひっくり返しながら20分くらい焼いたところでトングを押し当てて硬さをみると、肉が締まった感じがした。もう大丈夫だろうと、妻に肉を台所に持っていき、切り分けてもらった。

 

切った肉の断面をみると、ウエルダンの部分とミディアムレアの部分がいい具合に混ざり合っていて、それぞれの好みに合わせて食べれられる状態でうまくいった。

 

Tボーンステーキは骨を挟んでフィレとサーロインの両方を味わえるのが醍醐味。フィレの部分は脂身が少なくあっさりして、柔らか。サーロインは適度な脂身があってうまい。最初は、こんなに沢山の肉、誰が食べるんだと、みんな諦め気味だったが、食べ始めると、次々とお皿に手が伸びて、気がついたら最後の一切れになっていた。

 

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内灘まで歩く

気温35度は超えているだろう。と思いながらも、15時過ぎに散歩に出かける。

 

2時間くらいで内灘まで歩いて、電車で帰ってこようと歩き始める。笠市町から浅野川沿いを歩く。 2週間前は堤防の上の歩道を歩いたが、今日は河川敷に降りて歩いてみることにした。

 

7月の雨で河川敷の上まで増水して路面が泥で覆われたようだ。乾いた泥がこびりついて、乾いたところはホコリが舞っている。生乾きのところはサンダルで踏むとにゅるっと滑る。草が伸び放題で人の通り道を所々侵食している。草いきれでムッとするし、細かい虫も飛んでいてあまり快適なコースとは言えない。しかし、水面をみるとたくさんの鳥がくつろいでいる。アオサギ、シラサギ、カモ系の鳥、真っ黒な鵜もいた。犀川浅野川の上流と違ってあまり人が来ないので、鳥も集まりやすいのかもしれない。写真を取ろうとカモに近づいていくと、カモの集団は私を避けるように向こう岸へ泳いでいく。1羽が水面を駆け出して飛ぼうとすると、それにつられて全員が一斉に滑走し始める。ここは鳥を見にくるだけでも楽しい。

 

大河端あたりから線路に沿って歩く。須崎の手前でガマの穂の群生地を見つけた。ガマの穂と言えば因幡の白兎のお話。ワニに毛をはがされズル剥けになったウサギの治療のために、大国主命がガマの穂をほぐして体につけるように言った場面の印象が強烈で、今もガマの穂をみると、何本か取りたくなる。

 

須崎あたりで水田の横を歩いた。稲穂が実って首を垂れている。7月は長雨が続いたけれど、順調に育っているようだ。水田の向こう側を、2両編成の電車がゆっくり走っていった。

 

粟ケ崎駅を過ぎて川を渡ると内灘駅だ。ゆっくり歩いたので家から2時間半かかった。17時28分発の電車で金沢駅まで戻った。

 

思っていたよりもたくさんの人が途中から電車に乗り込んできた。1時間に2〜3本の運行だが、地元の足として使われているようだ。

 

15分ほどで金沢駅に到着。家についてのは18時30分だった。

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かき氷を求めて石引へ、帰りは宝円寺から裏門坂を下る。

 「石引に「ウミネコパーラー」というかき氷屋さんがあって、最近はやりの豪華なかき氷が食べられるらしいので、歩いて行ってみませんか?」と妻を誘ってみたところ、珍しく乗ってきた。

 

大手町から金沢城公園に入って石川門から出て、そのまま真っ直ぐ進んで石引の金沢医療センターの横へ。石引の通りを進んで、福光屋さんを過ぎて少し進んで、交差点の手前あたりで、女性が何人か行列を作っている。そこがかき氷屋さんだった。家から40分くらい歩いてきた。満席でお店の中でも何人か席があくのを待っている。

 

「行列に並んでまでして食べたいわけでもないし。」と二人の意見が一致。近くのファミマで炭酸水を補給してから引き返す。

 

帰りは違った道を通ろうと、金大付属病院の方へ曲がって宝円寺に向かう。木曽谷へ下りる角に旧町名の石碑を発見。「下百々女木町(しもどどめきまち)」という何やらおどろおどろしい名前。由来は木曽谷へ下る川の水の流れが轟々とどどめいていたからと書いてある。

 

木曽谷へはおりずに、そのまま直進し宝円寺の山門へ向かう。私が10歳くらいの頃に、父が何を思ったのか宝円寺の境内の横に建っていた平屋建ての小さな家を買った。お寺の大きな木の陰にある暗くてジメジメした家だったのを覚えている。3ヶ月に一度くらい、そ窓を開けて家に風を通して掃除するために、家族揃ってその家に来た。両親が掃除する間、私は歩いて広坂から香林坊まで行って、北國書林や福音館書店で立ち読みしていた。結局、一度も住むことなく父が東京へ転勤になった頃に売り払った。その家はどの辺りにあったのかと探してみるが、それらしい家はなく小さな区画の更地がふたつあるばかり。多分ここかなと思いながら、お寺の境内を抜ける。

 

お寺の裏にある墓地に「前田家の墓」の看板を発見。広い区画に鳥居が建っているところが前田家の墓。お墓の横は台地の際。鈴見町、卯辰山が綺麗に見渡せる。

 

墓地を抜けると、扇町から登ってくる坂道にぶつかる。裏門坂というらしい。道の真ん中が階段状になっている急坂だ。今は裏門坂だが、昔はこの坂が宝円寺の表参道だったらしい。詳しくはこちらに↓

kanazawasaka.com

 

裏門坂は鬱蒼とした木々に囲まれて、坂の途中には蔦に覆われた空き家が何件か連なる。金沢の中心部とは思えない、追い剥ぎが出てもおかしくない雰囲気。ここを登って宝円寺まで行ったのか、と300年前に思いをはせる。

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扇町から賢坂辻、小将町を通って東山へ。最近、東山の159号線沿いに、むらはたでパフェを食べる。妻は白桃パフェ、私はプリンパフェ。真夏の日差しの中を1時間30分歩いた後に食べるパフェはたまらんくらいうまかった。

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西金沢駅

15時に家を出る。今日は西の方へ向かって歩く。金沢駅から六枚の交差点、御影大橋を渡って増泉の交差点まで歩く。マックスバリュー増泉店の横を通り、JR北陸線の線路に向かって歩く。この辺りは準工業地帯。工場と民家が入り乱れて建っている。午後の日差しがジリジリと照りつけるが、太陽に向かって歩くことになり、歩道も木陰もない。金沢市の学校給食の集中調理せんたーを過ぎてようやく線路にたどり着いた。新幹線の高架が太陽を遮ってくれて涼しい。しばらくは線路沿いを歩く。線路の北側に渡れる場所がないかと探していると、人ひとりが通れるだけの幅の歩道を見つけた。線路の下2メートルくらいのスペースがあるだけ。歩いている時に上を電車が走ったらうるさいだろうな、とか、昔の車外撒き散らし型のトイレだったら大変なことになるだろうと思いながら歩く。西金沢の駅の手前に川が流れていて、まめだ通りまで迂回しないと橋がないことに気づく。仕方ないので、しばらく川の堤防上の歩道を歩く。
 
川を渡ると西金沢駅の北側、かつてJTの金沢工場があった土地だ。今は工場はなく、住宅地になっている。本当はスーパーや家電量販店も進出するはずだったのだが、一度オープンしたケーズデンキは閉店、今その建物はDMMの巨大な事務所として使われている。DMMは金沢市内に数カ所事務所を構えていた、金沢駅前のポルテや、尾山神社近くの朝日生命ビルにもおしゃれな事務所を構えていたが、それらを全部集約して西金沢駅裏に大きな拠点を作ったのだ。駅近で公共交通の便もいいし、家電量販店跡ということで駐車場もたっぷりあるので車でもアクセスできる便利な場所だ。駅のすぐ横では大和ハウス工業が巨大なマンションを建設中だ。歩いて行ける買い物する場所がないこと、片町香林坊まで遠いことが難点だが、駅に近いので便利かもしれない。
 
DMMと大和ハウス工業のマンションの間は空き地になっている。ゼップがライブハウスを計画していた土地だ。地元住民からの反対運動が起こり頓挫しているが、反対運動がなくても今回のコロナ騒動ではオープンできなかっただろう。会社にとっては無駄な投資をせずに済んで反対運動に助けられた形だ。世の中何が起こるかわからないものだ。
 
駅の自由通路で線路を渡り、米泉側へ。西金プリンスロード商店街を歩く。ごちゃごちゃして道が狭いわりには交通量が多い。メガドンキ、国の食料倉庫、金沢高校を過ぎる。歩いてきた道と交差して用水路に沿った道があったので、片町方面にはその道を通ることにした。歩いていると自転車を猛スピードで漕いでいる何人もの高校生とすれ違う。交通量が少ないので高校生の抜け道のように使われているようだ。津田駒の工場、北鉄野町駅の横を歩く。飲み屋が何件か残っている。アパートもある。いかにも労働者の待といった風情だ。中村町、千日町を抜けると犀川大橋
 
ここまでくると、いつも馴染んだ散歩コースだ。

散歩 浅電、業務スーパー

午後3時、空模様が怪しいので折りたたみ傘を肩掛けカバンに忍ばせ散歩に出かける。卯辰山、東山から石引・小立野方面、東山から田上方面、金沢駅から市民芸術村、犀川河川敷方面、最近はこのうちのどこかへと歩くことが多い。コースもほぼ固定されてきたので、今日は今まで歩いたことがないコースを歩くことにした。
 
浅野川下流に向かって歩いてみた。中島大橋のたもとから堀川町の川に一番近い通りを歩く。緩やかに左右にうねり、古い町家が残る通り。多分江戸時代からそのまま残る通りなのだろう。JRの高架をくぐると、川の土手に出る。歩行者専用道路だ。土手の高さが民家の2階の高さと同じで、土手から民家までが近いので、家の中の様子が見える。土手を裏庭のように使って、植木鉢を置いている家もある。斜面に野菜を植えている家もある。木槿が花を咲かせている家もある。濃厚な生活感を感じる道だ。犀川の河川敷や常盤町あたりとは違う雰囲気。川ではカルガモの群れが集まっている。
 
途中から車道が土手の上を通り、歩行者専用の道路がなくなる。北陸鉄道浅野川線、通称、浅電も土手のすぐ横を通るようになる。土手を降りて集落の中を線路沿いの道を探しながら歩く。歩行者しか通れない細い道を歩いていると、線路沿いの家の生活道路なんだろう、踏切のないところに歩行者が線路を横断するための踏み板が置いてあり、線路への侵入防止のロープに切れ目があった。この辺りは犬を買っている人が多いのか、犬の散歩中の4人とすれ違った。集落を歩いていても、玄関先に犬がいる家を何件も見かけた。
 
国道8号の高架まで歩いて引き返す。帰りは諸江のアルプラザの前を通る道を通る。途中で業務スーパーがあったので偵察。業務用の冷凍食品や調味料に加えて、野菜やお肉、乳製品や豆腐、お酒も売っていた。普通のスーパーの代わりに利用する人も多いのだろう、買い物客がひっきりなしにやってくる。大袋に入ったトルティーヤチップスが394円。トマトでサルサソールを作り、ディップして食べるとビールのつまみに最高。と思いながら手にとってみたが、いやいや、こんなん食べたら太るわ、と元に戻して何も買わずに店を出る。
 
金沢駅は4連休の最終日とあって、去年までのごった返すような混雑ではないが、そこそこの賑わい。2週間後にコロナウイルスの感染者が増えなければいいが。
 
駅から武蔵が辻、彦三を経由して帰宅。歩行時間は2時間20分。

ニトリでソファー購入

久しぶりに妻と娘を連れて加賀市の実家へ行く。高齢の母親に万が一コロナウイルスを感染させるわけにいかないと、この4ヶ月、私だけがたまに訪問し娘は連れて行ってなかったのだ。
 
母は一人暮らしなので、普段は話したくても相手がいなくてもどかしいのか、私が実家に行くと、なんやかんやとずっと話しかけてくる。ちゃんと話を聞いてあげなければ、と思うのだが、近所のあそこに家のお嫁さんがどうしただの、母の友達家族がもめているだの、どうでもいい話ばかりなのでつい、適当に受け流して聞いてしまう。今回は話し好きの妻と娘がいるので満足してもらえただろうか。
 
みんなでテレビを見ながらお茶を飲んだ後、母が居間に置いてあるソファーを買い替えたいというので、小松のニトリまでみんなでソファーを見に行く。今年78歳になる母は、さすがに体の所々ガタがきていて、特に膝が痛くて畳の上に直接座るのが辛いらしい。椅子中心の生活がしたいという。今使っているソファーがヘタって座りここちが悪いので新しいのが欲しいとのこと。
 
ニトリは安いけれど、品質もそこそこという印象しかなかったが、お店で実際にソフィーに座ってみたら、そこそこしっかりとした作りで驚いた。値段もそれなりで、以前のように2、3万円代中心から5万円以上、いいやつだと10万円以上に価格帯が上がっていた。
 
みんなで、あーでもない、こーでもないといろんな椅子に座ってみる。母は、5万円のハイバックで、硬めの座り心地で布張り、3人掛けが気に入ったが、決めきれないらしく今日は買わないと言い始める。私は、今はネットで購入できるので、一旦家に帰って部屋の寸法を確認してから決めましょうと提案して、帰宅する。
 
実家に戻りメジャーで部屋のサイズを確認してみる。コップや湯のみを置いている戸棚を隣の洋間へ移動すれば、6畳の居間に長さ170センチのソファーを置いても狭苦しくならないことを確認してから、ネットで購入手続きを始める。
 
在庫がないらしく8月20日の納品予定で、古いソファーの引き取りもお願いして注文を確定した。