哲学する民主主義 伝統と改革の市民的構造
民主的な政府がうまく機能したり、しなかったりするのはなぜか?1970年にイタリアに導入された州政府が、その後20年間で各地域によってどのようなパフォーマンスを示したか、違いが発生した原因は何かを、長期にわたるアンケート調査や、統計データの解析によって明らかにしています。
公的諸制度は、政治や政府の実際にいかなる影響をおよぼすのか。制度を改革すれば、政治や政府の実際も改善されるのか。ある制度のパフォーマンスは、その制度を囲繞する社会的・文化的環境に左右されるのか。民主的な諸制度は、移植されてもあたらしい環境の下で従前通りに育つのだろうか。また、民主主義の質は、民主主義の構成員たる市民の質に依存するのだろうか。だとすれば、市民は身の丈以上の政府など望みようがないのではなかろうか。われわれが腐心したのは理論的な問題である。われわれの方法は経験的であり、イタリアの州で実現をみた20年に及ぶ制度改革のユニークな実験からなんらかの教訓を導き出そうとするものである。
結論は、その地域が「市民共同体」という理念に近ければ、民主的政府は成功する、つまり、住民が、公的な諸問題に積極的に参加する意欲が高く、政治的に平等であり、意見が対立しても相互に助け合い、尊敬しあい、信頼しあうような気質の地域では、民主的な政府はうまく機能しますが、そうでない地域では、機能しないというものです。
ある意味、身もふたも無い結論です。
中世にまで遡って、共和政の伝統があるイタリア北部では、民主的な政府はうまく機能し、専制政の伝統があるイタリア南部では、同じ制度が導入されても、政府の仕事の効率は悪いし、政治家の汚職はあたりまえのようにおこるなど機能しない。つまり、住民に「市民としての徳」がない地域では、制度をいくら変えてもうまくいかないということです。
ここまでだと、「じゃあ、どうすればいいの?」、「駄目なところは、どうやっても駄目ってこと?」と突っ込みたくなります。しかし、駄目な地域ではなぜ住民同士が協力しないのかを、第六章で「囚人のジレンマ」や「共有地の悲劇」などのゲームの理論を持ち出して解説しているところは、非常に面白いです。以下第六章のまとめ。
- お互いが信用できると思えるというのは、社会的資本である。社会資本とは、「調整された諸活動を活発にすることによって社会の効率性を改善できる、信頼、規範、ネットワークといった社会組織の特徴」のことである。この前提がないと、民主的な政府はおろか、極端な話商取引ひとつ成り立たない。
- お互いに協力し合えば双方にとって得だとわかっていても、家族以外の他のメンバーを信用出来ない社会(=社会資本が枯渇した社会)では、決して協力しないことが、個人にとって合理的な選択になる。
- 相手を信頼できると思うことは、自己強化的、累積的となる傾向がある。逆に言えば、相手を信頼できないと思うことも同様に自己強化的である。つまり、いったん信頼できないとお互いに思うと、その通りになり、信頼できないのが当たり前となる方向にどんどんすすんでいく。→こうなると個人がどうふるまっても、社会を変えることは困難。
お互い信頼できると思える土壌がないところでは、制度をいくらいじっても実態は変わらないし、それは、組織のメンバーがアホだからなのではなく、そうすることが個人にとって最も合理的だからということです。
「個人個人はそれなりに賢いのに、組織としては常にショボイことしかできない。改革、改革って掛け声とともに制度をいろいろ変える割には実態は全然変わらない。」ってな状況は、イタリアの州政府でなくても、企業や役所など思い当たるふしはいろいろあります。
ちなみに、原題は「Making Democracy Work」です。「民主主義を機能させるには」っていうような意味でしょうか。こちらのほうが、ずっとわかりやす題だと思うのですが。
哲学する民主主義―伝統と改革の市民的構造 (叢書「世界認識の最前線」)
- 作者: ロバート・D.パットナム,Robert D. Putnam,河田潤一
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