ファインマンさんベストエッセイ

物理学者リチャード・ファインマンの講演録やインタビュー記事などを集めた本です。「未来の計算機」では、コンピュータの計算速度とエネルギー消費の問題を論じたり、「底のほうにまだ十二分の余地がある」では、針の頭に全世界の本を縮小して記録するにはどうすればよいかについて語ったりと、今のコンピュータやナノテクノロジーを先取りするような内容がでてきます。一方、「ワン・ツー・スリー、ワン・ツー・スリー」では、頭の中で正確に一分間をカウントしながら、本を読んだり、おしゃべりできるか実験してみたり、運動して体温をあげてから数えると、ペースが速くなるのではないかと実験してみたりと楽しいお話もあります。


スペースシャトルチャレンジャー号」事故少数派調査報告」では、打ち上げをスケジュールどおりに進めるために、NASAの上層部がいかに安全基準を甘めに解釈したり、都合のいいデータだけを集めて仕事を進めてきたかを、様々な人へのインタビューや詳細なデータをあげて指摘します。現場に近い人が考える事故の確率は1/100。上層部が考える事故の確率は1/100,000だったそうです。仕事柄身につまされるような話です。最初に結論ありきで、都合のいいデータを集めて膨大な書類をつくるのが仕事のようなところがあります。以下印象に残った部分です。

科学と社会の関わりについて

解答をこうと決めてしまうのは科学的ではありません。進歩していくためには、未知への扉をほんの少しだけ開けておく必要があるのです。僕らはまだ人類の発達、人間の頭脳、知性ある生命発達の歴史のほんの始めのところにいるわけですから、僕らの前にはまだまだ何万年もの未来が拡がっていることになります。それだけに今日すべての答えを出してしまい、その方向のみに人をねじむけて「これこそすべての解答である」と断言したりすることが絶対起こらないようにするのが、僕らの責任なのではないでしょうか。

科学はいいことにも、悪いことにも使えるという話の中で、

「人はみな極楽の門を開く鍵を与えられているが、その同じ鍵は地獄の門をも開く。」

科学を教えることに関連して、

いろいろ考えたあげく、僕はとうとう概念を教えるのに成功したか、あるいはただ定義を教えただけかをテストする方法を考えだしました。そのテスト法はこうです。まず「いま聞いたばかりの新しい言葉を使わず、自分の言葉をつかって、いま学んだことを言いかえてみてごらん」」

ファインマンさんベストエッセイ

ファインマンさんベストエッセイ

学生の頃読んだことあるのはこれ。ロスアラモス研究所での金庫破りのお話が面白かった。

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈下〉 (岩波現代文庫)

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈下〉 (岩波現代文庫)