逝きし世の面影

田中優子さんの「未来のための江戸学」で紹介されている本です。


幕末から明治の初めにかけて日本を訪れた欧米人が見た日本の印象を丁寧に拾いあつめて、その頃の日本の時代の肌触りを再構成します。明治以降西洋の国々に対抗していくために、日本人自らが捨てることにした、江戸時代という「逝きし世の面影」です。


外国人が見た日本の印象を、目次のキーワードに沿ってあげると、「陽気な人々が、簡素だけどゆたかに暮らし、親和と礼節を大事にして、よく働き、性に関してはあけっぴろげ、子供の楽園。」


日本に来た欧米人がまず印象付けられたのが、日本人が確かに満足そうで、幸福だと言うことです。

「誰もがいかなる人がそうでありうるよりも、幸せで煩いから開放されているように見えた。」
「健康と満足は男女と子供の顔に書いてある」
「西洋の本質的な自由なるもの恵みを享受せず、市民的宗教的自由の理論についてほとんど知らぬにしても、日本人は毎日に生活が時の流れにのってなめらかに流れて行くようになんとか工夫しているし、現在の官能的な楽しみと煩いのない気楽さの潮に押し流されてゆくことに満足している。」
「封建制度一般、つまり日本を現在まで支配してきた機構について何といわれ何と考えられようが、ともかく衆目の一致する点が一つある。すなわち、ヨーロッパ人が到来した時からごく最近に至るまで、人々は幸せで満足していたのである。」
「誰の顔にも陽気な性格の特徴である幸福感、満足感、そして機嫌のよさがありありと現われていて、その場所の雰囲気にぴったりと融けあう。彼らは何か目新しく素敵な眺めに出会うか、森や野原で物珍しいものを見つけてじっと感心して眺めている時以外は、絶えず喋り続け、笑いこけている。」


当時の欧米人は自分たちの国の人々と比べて、日本人の特に社会の下層の人々の満足そうで、陽気に暮らしている様子に驚いています。彼らの驚きは、現在の私の驚きでもあります。身を粉にして長時間はたらいて効率化して、江戸時代から見れば莫大な富を得たはずの、現在に暮らす我々の陰気な表情と比べてなんと楽しげなんだろ。


もちろん、単純に昔に戻ることなどできないのはわかっています。欧米の国々に対抗して生き残るために、お気楽な江戸のやり方を日本人自身が捨て去ることを決意したからこそ、現在があることも。ただ、少なくとも、今の日本のどんづまりな雰囲気を相対化することができました。他のやり方もあるんだなと。


明治から大正にかけて、急激になくなってしまったこんな日本を、鴎外は史伝で書き残そうとしたのかもしれないと思いました。

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)