黒死病 ペストの中世史

感染症パンデミックに備えて、中世の黒死病のお勉強。黒死病の被害の規模の物凄さは以下の記述で想像できると思います。

災害の規模をマグニチュードで表すフォスター・スケール(リヒター・スケールの一種)を適用すると、中世の疫病は人類史上二番目に大きな惨事になるという。このスケールをしのぐほどの死と破壊と苦しみを人類にもたらしたのは第2次世界大戦だけだった。


(米国原子力)委員会が冷戦時代の水爆戦争について研究した報告書『ディザスター・アンド・リカバリー』によれば、人類史上の大事件のうち、「地理的な広がり、予測のむずかしさ、犠牲者の規模という点で、核戦争」に最も似ているのは黒死病だということである。

モンゴルの草原に住むマーモットの病気だったペストが、人間に感染しアジアを席巻、クリミア半島のカッファという街にたどり着き、そこから地中海沿岸を経て、1347年秋にシチリア島のたどり着きます。その時から1350年にまで、黒死病がヨーロッパを襲います。死亡率は30%から40%、場所によっては6割に迫ることもあったそうです。ペストに感染した人や船が街にたどりつき、それに接触した人からあっという間に感染が広がったそうです。肺ペストの場合、感染して3日くらい、敗血性ペストの場合はほとんど即死に近い状況だったそうです。


これほどまでに爆発的にペストが広がった要因としては、

  • 1000年頃から人口増加が続いており、1300年までに人口は三倍くらいになって、社会インフラが人口に追いつかず、その頃の都市の衛生環境が劣悪であったこと。
  • 1300年頃から気温が低下傾向で、不作、天候不順により何度も飢饉となり、人々の栄養状態、生活環境が生きていくための限界であったこと。
  • 地震、洪水により住みかを追われたネズミが食料をもとめて人里に入り、人と接触するようになったこと。

があります。


人口の半分近くが亡くなるとその後の社会の状況も一変したようです。人口減少によって、人手不足で賃金が上昇する一方、土地が余って地代の下落がおこったそうです。小作農が豊かになり、地主が没落します。また、聖職者が黒死病の惨事に際して無力であったこと、黒死病によって多くの聖職者が亡くなり、その後の聖職者のレベルが落ちたことによって、宗教に対する見方が変わり、宗教改革へとつながっていきます。

黒死病―ペストの中世史 (INSIDE HISTORIES)

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