時間を哲学する 過去はどこへ行ったのか
今月に入ってから輪島へ5回出張した。能登有料道路を使うと片道約2時間。行きも帰りも同じ時間かかっているのだが、行く時に比べて帰り道は短く感じる。気のせいなのだが、気のせいだと言って片付けてしまうのはもったいないくらい、実感としてありありと帰り道が短く感じる。毎回そうだ。
夏休みは最初の1、2週間は暇をもてあますくらい長いと感じるが、8月31日になって振り返ってみれば、あっという間に終わってしまったと感じる。
年を取るにつれ(特に40歳を過ぎてから)時間の進み方が速く感じる。1年はあっという間に終わる。
どんなに波乱万丈の人生であっても、過去を振り返ってみればあっという間に終わってしまったと感じるのはなぜか?過去を思い出すときの実感と客観的時間の流れとの違いはどこから生じるのか?そもそも客観的時間の流れなんてあるのか?
「邯鄲の夢」の話から説き起こして、夢、過去を思い起こすこと、現在と過去の関係、時間の流れについて考えていく。こんな、お金にならないことを考えている人がいるかと思うとうれしい。そういわれれば、そうかもしれないと思いながら、さっと読めたが、もう一回読み返したい。じっくりと何度も考えながら読みたくなる本です。
- 作者: 中島義道
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1996/03/19
- メディア: 新書
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