私とは何か さて死んだのは誰なのか
タイトルのとおり、あれやこれやと考えたり悩んだりする、この私とは何なのか?というのが、この本の問いの始まりです。著者の池田晶子さんが亡くなったあとに、未発表、未収録原稿を編集して出版された本です。
人間とは何か。
という形で問いを立てたことが、じつは、私にはない。
というよりも正確には、私にとって、問いは、どういうわけか常に必ず、
人間とは何か。
と、問うているところのこれは何か。
の形をとる、とってしまう、とらざるを得ない。
問うているところの、「これ」、は自分の体でもないし、脳でもない。脳は人が生きていくために都合がいいように外界の情報を処理して見せてくれるが、見せられている、「これ」=「意識」、は何処から来ているのか?脳の情報処理の仕組みはわかっても、「これ」の出所はわからない。脳科学者が私という意識の由来を説明した、「脳はそらより広いか」では、脳が処理するいろんな情報の結節点として、便宜上、私という意識を脳が自然とつくっている、脳の活動の影、副産物のようなものだ、というような説明でした。
池田晶子は、私という意識=脳という説明に対して、こう言います。
あの本(脳内革命)の中で著者本人が、「脳を喜ばせることは、体にも心にもよいことです」という言い方をしていたことにお気づきだろうか。おそらく、語るに落ちたところだと思う。しかし、明らかにあの著者はそう言った。「脳が喜ぶ」とは言わずに、「脳を喜ばせる」と言ったのである。すると、脳を喜ばせようとするところのものは、何なのか。
意識は各自の肉体、脳みそから由来しているものではないらしい。と考えると、魂とでもいうべきものを仮定せざるを得ないような気がしてくる。
- 作者: 池田晶子,NPO法人わたくし、つまりNobody
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