台所の一万年 食べる営みの歴史と未来

日本列島で農耕が始まった、一万年前から今までの食べる営みの場所と道具の変遷についての本です。著者は、現在のような食べ方をしていていいのか?どうして、今のような食べ方をするようになったのかということを、1万年前まで遡り、食事=食べ事(たべごと)の歴史を辿り、これからの食べ事を担う場である、台所のあり方について考えていきます。


食べる営みというのは、他の動物や植物を含めたほかの生命体の屍体を食べることであるといいます。屍体を入手し、腐らないように加工して、少しずつ食いのばしていくことや、食べ残した部分を活用する工夫をすること、これらの活動全体が、調理すること、つまり台所が果たしてきた役割です。季節になると大量に採れる野菜や、動物、魚をさばき、保存できるように加工し、貯蔵し、料理する場所が台所だったのです。今、料理という言葉でイメージするのは、台所の営みのほんの一部なのです。


今、キッチンと呼ばれる場所でできることは、せいぜいガ鍋3つほどを火にかけて煮炊きする程度で、一年分の味噌を仕込んだり、沢庵をつけたり、トロ箱いっっぱい買ってきた魚を捌くなど、作業をする場所や、貯蔵する場所が圧倒的に足りないといいます。

西欧型セットキッチンが「調理しにいくいナ感」の圧力を感じさせる理由は、「その他の空間」がナイことにあると思います。食材の置き場がナイ、小道具の置き場がナイ、包丁も切ったら仕舞うのォ?こうしな「何も置けん感」が調理意欲を減退させるように、私は思います。空間の余裕や縁側があれば何でも置けます。その安心感がヤル気につながる。


その代わりに大きな顔をしているのが巨大な冷蔵庫や、炊飯器、ジューサーなどの数々の調理家電。著者は冷蔵庫を「新鮮で美味しい食べ物を不味くしてから食べる機械である」と定義します。買い物して冷蔵庫に入れたまま放置、賞味期限切れ近くになったものから順番に食べています。


美味しいものを食べることは、人の生活の中で非常に大切なことなので、家は「食べ事」を中心に設計すべきである。リビングの面積を沢山とって、台所を4畳半程度のスペースに押し込んでいるのは本末転倒、家にいる時間、「食べ事」について考えているんだから、15畳くらいを台所のためにとって、生活の中心を台所すればいいといいます。