随想録
高橋是清の回想録。高橋は1854年生まれ、横浜で英語を学び、13歳でアメリカに留学、のつもりが奴隷として売られ、農場で牧童として働いていたこともあります。その後、文部省に勤めて英語を教えたり、日本の特許制度を立ち上げたり、と思えば、役所を辞めてペルーに行って銀山の経営をして失敗もしています。日露戦争の時には戦費調達のために、ヨーロッパとアメリカで国債発行を見事成功させます。日銀総裁、大蔵大臣、総理大臣をやっています。昭和の金融恐慌の時には、思い切った金融緩和と財政政策を組み合わせて、日本を世界でいち早く、恐慌から立ち直らせたことから、リーマンショック後の政策を語るにあたって、70年の時を経て、呼び戻され参考とされることも多々あり。この本は1936年(昭和11年)、高橋が二二六事件で暗殺された直後に出版されています。
内容は、原敬をはじめとする政治家との思い出や、人生訓、経済政策、教育論、趣味についてなど幅広く、高橋の人柄がうかがわれます。志が高くて、骨太で、前向きで明るい人柄がしのばれます。
以下、気に止まった部分の抜書き。
(余が体験せる立身の道)
職務に成功し業に成就せんとするには、先ず以って修めたる学問を活用せねばならぬ。正直であらねばならぬ。忠実であらねばならぬ。誠心誠意であらねばならぬ。その分に安んぜねばならぬ。剛直にして人に対して敬愛の念を有し以って信用を博さねばならぬ。自惚れ心を起こしてはならぬ。確実の目的なしに借金してはならぬ。強き信念を有し、且つ不撓不屈の忍耐力を有せねばならぬ。かうした諸条件を具備した若き人々にして、始めて嚇確たる成功の彼岸に到達し得るのである。
(人生の妙味)
百貫の力量あるものが、常に百貫の全力を用いることは誤りである。よろしく七〇貫の力を用いて、余りの三〇貫は貯蓄して置くべきである。さうすれば1朝事あった場合に、百二十貫の力を出すことも出来よう。
(人道教と並び進んで初めてこの世は極楽)
仕事をして得るところの利益は四分する、その一部は自分のして居る仕事の改良・拡張に四分の1は用ふべし。四分の1は自分の生活費に使用するが宜しい、四分の1は人間はいつどんな臨時の費用を要しないとも限らないから、その不時の準備に充てる、残り四分の1は布施にせよ。
正に波乱万丈。江戸時代から昭和のはじめまで一続きで生きた人がいて、その30年後に自分が産まれていると思うと、江戸時代が身近に感じます。
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