「城下の人」、「曠野の花」、「望郷の歌」、「誰のために」 石光真清の手記1〜4

石光真清は1868年、明治維新の直後に熊本藩に生まれ、1942年に76歳で亡くなっている。この本は彼の子供時代から晩年までを綴った手記。真清の長男、真人の手で昭和33年に出版されている。


真清は日清戦争に従軍した後、日本の将来にとってロシア情勢を研究することが重要だと考えロシア語を勉強を始める。その後、諜報活動の任務を帯びてシベリアに派遣される。あるときは洗濯屋として、あるときは写真館の経営者として、あるときは馬賊の一員になりながら、日露戦争まで諜報活動に従事する。日露戦争後は、ロシア・満州事情に詳しいということで、事業を一緒にやらないかといろんな人から誘われ満州に渡るが事業にはことごとく失敗し、なんとか生活の糧を稼ぐため東京世田谷で3等郵便局長となる。しばらくは家族と平和に暮らしたものの、大正6年にロシア革命がおきると、再び陸軍からの要請で諜報活動のためシベリアに渡る。反革命勢力を支援するも失敗、諜報活動をカムフラージュするために始めた貿易の事業でも大きな借金を背負って帰国。失意のうちに晩年を過ごす。


とにかく面白い。年末から正月にかけて、一気に4冊読んだ。


明治維新直後、神風連の乱西南戦争で内戦状態となった熊本城下、日露戦争の壮絶な戦場、帝政ロシア時代のシベリアの街、馬賊や海賊との交流、軍の組織がだんだんと官僚化し現場の声が届かなくなっていく雰囲気、まだ農村地帯だったころの明治の世田谷の風景など、見た人しかわからない内容で歴史読み物として面白い。


さらに、私よりも100年前に生まれた男がどんなことを考えて生涯を過ごしたのかがわかるような気がして面白い。本人から直接お話を聞いているような気持ちになる。国のために役立ちたいという気概、ロシア、中国、朝鮮、どこの人であろうと信義を重んじて誠実に接する態度、家族と一緒に平和に過ごしたいと思いながらも、組織から求められれば断れず、人に頼られればそれに答えたい、自分でも一旗あげたいと何度もシベリアに渡ってしまうお父さんの葛藤。一番心にしみたのは、50歳を過ぎて、失意のうちにシベリアから東京に帰ってきたときに中学生の長男に語りかける言葉、

「将来も決して大陸へなっか行くんじゃないよ。いいかい。内地で良い家庭を持ち、良い仕事が出来れば、それが一番さ。大陸に行くにしても、お父さんのように出発点を間違うと、どこまでも外れてしまってね、時が経てば経つほど正道に戻れなくなってしまう。ものごとは初めが大切だよ。」


「お父さんは失敗したんだよ、何もかもね。気が付いているだろう? だが諦めてはいない。考えて見るとどうも人生観というか、近頃の新しい言葉で言えば社会観というのかね、根本的にものの見方が間違っていたのかもしれないよ。人間を信じすぎ、人情に溺れてね。世の中というものは、それだけで動いているものじゃなかった。そのようには出来ていなかった。だが諦めてはいないがね。」


真清の人生の振れ幅に比べると、自分は毎日なんと小さいことであたふたしているのかと思う。なんやかんや言っても命まで取られることはあるまいに。

城下の人―石光真清の手記 1 (中公文庫)

城下の人―石光真清の手記 1 (中公文庫)

曠野の花―石光真清の手記 2 (中公文庫)

曠野の花―石光真清の手記 2 (中公文庫)

望郷の歌―石光真清の手記 3  (中公文庫 (い16-3))

望郷の歌―石光真清の手記 3 (中公文庫 (い16-3))

誰のために―石光真清の手記 4 (中公文庫 (い16-4))

誰のために―石光真清の手記 4 (中公文庫 (い16-4))