明るいニヒリズム

過去、現在、未来と、あたかも数直線上を左から右へと流れていくように時間を捉えることを著者は否定します。数直線を左に戻れば過去がそこに保存されていて、右に行けば未来を見ることができる。そんなのはおかしい。今ここで、世界のすべてが湧き出していて、過去はどんどんなくなってく。過去はどこにも保存されていないと言います。

知覚とは、現在網膜に電磁波が入ってきたり、鼓膜を空気の粗密波が振動させるだけではない。これらの「そと」からの刺激は、「見える」ことや「聞こえる」ことに最低必要な条件にすぎないのであって、さらに各人の脳内の伝達経路を完全に網羅的にたどりつくし、知覚中枢の機能を完全に解明しつくしたとしても、それだけでは「見える」ことにはならず「聞こえる」ことにもならない。
知覚には、過去に経験した膨大な事象との関係がもともと含まれているからである。われわれは過去の分厚い意味の層を背景にして現在の刺激を受けとめているのであって、いわば直接に「過去を見ている」のである。


今その瞬間に、現在と過去が同時に立ち現れる。現在を知覚するということは、過去を知覚するということ。道元の薪と灰の話、薪が燃えて灰になるのではない。薪は薪、灰は灰で別物というお話と似ているような気がする。

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