ヨオロッパの人間

この本で吉田健一は、ギリシャ、ローマ時代から中世、ルネッサンス、近代までヨオロッパの人たちがどんなことを考えていたかをざっくりとまとめる。

 

18世紀と19世紀のヨオロッパの違いについて語っているところが面白い。

 

 ヨオロッパの18世紀は、文明が完成に向かっていった時代で人間が人間らしくあった。ヨオロッパの19世紀は、観念が人間を支配した時代で人間が観念に振り回されていたので無理が祟って人間が少しおかしくなった時代。日本が開国して付き合うようになったヨオロッパの人たちは19世紀の人たちなので、言うことが極端な人たちだと思っていたほうがいいと吉田は言います。観念が人間を支配するというのは、資本主義とか共産主義帝国主義のように、いろんな考え方が「主義」という言葉と結びついて、さも実体があるかのように考えられ、こうあるべきと人間の行動をがんじがらめに縛り付けたということ。○○主義という観念をお守りのように掲げて自分でものを考えなくなった。そして「主義主張、観念のためなら死んでもいい。」くらいの勢いで人間が無理し始めたので人間が人間らしくなくなった、ヨオロッパの文明が崩壊したと嘆きます。

 

たぶんその流れは今も続いていて、こうあるべきに振り回されつづけているのかもしれない。