石川県の人口の変化
「地方の人口減少が大問題、石川県で言えば特に能登半島の過疎化が深刻。」といろんな機会に言われるので、石川県の人口の変化を調べてみた。
大正9年に日本で初めての国勢調査が実施された時のデータと、平成27年の国勢調査のデータ(単位:人)
大正9年 平成27年 増減
加賀地域 232,782 393,719 +160,937
金沢市 161,962 465,699 +303,737
能登地域 352,616 294,590 -58,026
(うち奥能登) (129,038) (68,195) (-60,843)
合計 747,360 1,154,008 406,648
データを見て分かるのは
- 金沢市への一極集中が進んでいる。石川県のほぼ半分は金沢市。都市圏で考えると多分半分以上。
- 能登地域の人口減少が進んでいる。特に奥能登は人口がほぼ半減している。
- 大正9年における石川県全体に占める能登地域の人口の多さ。人口の47%が能登地域だ。これは私が漠然と抱いていた印象を超える。
大正9年の時点でも、明治以降の人口増加、都市への集中がある程度進んだ後のデータなので、明治の初めもっと遡って江戸時代には、もっと能登地域の人口の比率が高かったのではないかと思う。また経済においても、それだけの人口を支えるに足る規模を持っていたのではないか。
夏になると奥能登の各地で行われる盛大なキリコ祭りは、往時の能登地域の経済的な裏付けがあってのものなのかと思う。