解脱寸前 究極の悟りへの道

著者は、あとがきで仏教の修行というのは突き詰めると、

1 刻一刻と内側の変化を心身両面で観察し、

2 集中の練習をし

3 無執着の平常心

を会得すること、以上。とまとめてしまう。ただし頭で理解するだけでは意味がなくて、日々の修行によって実践できるようにすることが大事。

 

私が意志の力でやっている。と思っているものは全て気のせいだという。体や脳が反応したものを事後に意識が報告を受けるだけ。反応の仕方には人それぞれの傾向があり、何も考えないでいるとその傾向に流されて、機械のように自動的に反応してしまう。

 

その自動的な反応を変えるためには、心と体の微細な変化に気づくことが必要。目から、耳から、皮膚から、様々な信号が次から次へともたらされると、その信号に対して、細胞レベルで、好き or 嫌いを評価し続けている。嫌いなものを見ると心の奥底で、かすかにイラっとしているはず。まずは、その変化に気づく。気づいたなら、そのイラっとした感覚に集中する。グッと集中すると、そのイラっとした感覚が治ってくる。そうなったら、次にそのイラっとした感覚を「どうでも良いや」と手放す。これで、穏やかな平常心を保てるそうだ。

 

今朝は3時に目が覚めてしまい、正月休み明けの憂鬱な気持ちに翻弄されそうだったので、早速、坐ってみた。呼吸に集中しようとするものの、仕事の段取りを考えてみたり、あの仕事面倒くさいとイライラしてみたり、無駄に過ごしてしまった正月休みを悔やんでみたりと、それこそコンマ1秒単位で次から次と色々な考えが湧いて出てくる。それでも、20分ほど経過すると数十秒くらいは呼吸と体の感覚に集中できるようになった。今日はここまで。鏡のように心が静まったというわけではないけれど、不安に苛まれた焦燥感は少し軽くなった。

 

不思議なもので、顔洗って髭剃っって、歯を磨いて、着替えて・・・・。といつものように朝の準備を淡々として、自転車に乗って仕事場に着くと、さあ、今日も一日頑張って仕事しようという気分になった。

解脱寸前 究極の悟りへの道 (幻冬舎新書)

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