平成が始まった頃 その1

平成が始まったのは1989年。私は22歳。留年して2回目の大学2年生をやっていた。その前年の大学2年の前期までは真面目に授業に出席して順調に単位をとっていたのだが、9月ごろから、こんなことしていたらダメや、と突然全てがアホらしくなり。下宿に3ヶ月ほど引きこもっていた。昼頃に起きて近所の喫茶店に行って雑誌を読みながら昼飯食べて、図書館に行って閉館まで本を読んで、スーパーで晩飯のおかずと酒を買って下宿に戻り、夜中までひたすら本を読んでいた。そうやって暮らしているうちに、心がどんどん内向きになって誰とも会話ない日々を過ごしていた。1月になって、さすがにこれはまずいと思ったけれど、大学には行く気がしないので、とりあえずアルバイトを始めた。扇町公園の近くにある学生へアルバイトを斡旋する人足寄場のような所へ行った。壁一面の黒板にその日の求人が書き出してあり、係りの人がでは1番の仕事やりたい人と声をかけると、やりたい人が手をあげる。希望者が多いときはじゃんけんで決めるのだ。じゃんけんをしている間にも、次々と仕事が読み上げられる。時給が良くて楽そうな仕事は希望者が多いので競争率が高い。下手にそんな仕事にエントリーしてじゃんけんに負けると、その日は仕事にあぶれてしまう。何回か通ううちに、肉体労働で体力的にきつい仕事、でも時給はいい仕事が自分には合ってるし、競争率も低いことに気がついた。引越しや工事現場、夜中にデパートの催事場の模様替えをする仕事は時給が高いし、仕事終わりの達成感があって良かった。そんな時にたまたま出会ったのが、騒音測定の仕事。交差点や工事現場の近くに装置をセットし、12時間とか24時間、長いところでは48時間、騒音を測定するのだ。測定すると言っても、毎正時に装置のスイッチをオンにして測定開始。10分経ったらオフにすする。現場によってはその間に交通量調査をすることもある。ただそれだけ。残りの50分間は、ただ装置の番をしてそこにいるだけでいいのだ。暑さ寒さの対策さえしっかりしておけば、本を読む時間はたっぷりあるし、人と話す必要もない。しかも、24時間で2万円以上もらえるのだ。当時はバブル絶頂、関西では関西空港の埋め立て工事と、明石海峡大橋の建設工事が並行して勧められていた。関西空港の埋め立て用の土砂を採取していた和歌山県の加太にも、明石海峡大橋ケーソンの工事現場にも騒音測定に行った。それこそ仕事はいくらでもあった。一度は調子に乗って、24時間の現場の直後に48時間の現場を入れた。さすがに睡眠不足で最後はフラフラになった。でも72時間で7万円もらえるのはありがたかった。淡路島の高速道路の脇に1週間泊まり込みで騒音を測ったこともある。近所の人が哀れに思ったのか、毎日太巻きを2本持ってきてくれた。最初はありがたくいただいていたが、3日目以降は太巻きを見るだけで胸が酸っぱくなり往生した。確か1週間で10万円以上もらったと思う。

 

大学も行かずにバイトばかりしているので、どんどんお金がたまる。そのお金20万円くらいで中古のバイクを買った。5万円くらいでキャンプ道具一式を買った。そして3月に旅に出た。