ピダハン 「言語本能」を超える文化と世界観

 アメリカ人宣教師が、アマゾンの奥地の「ピダハン」という少数民族の村で暮らし、彼らの言葉を調査するお話。彼の目的は聖書をピダハン語に翻訳してキリスト教を布教することなのだが、宗教はピダハンたちに必要とされず布教は失敗。しかも宣教師自身がピダハンの暮らしに影響を受けて信仰を放棄する。

 

ピダハンたちは、そもそも本人が直接体験したこと、または話し手が経験したことしか信用しない。2000年前ににキリストという人が存在してこんなことを言った。と説明したところで、真面目に聞いてもらえない。

 

その日食べる分の魚はその日に獲ってくる。ジャングルでキャッサバを育てるくらいで食料を蓄えることもないし、立派な住居を建てることもない。簡単な骨組みに丈夫な葉っぱで屋根を葺いた簡単な小屋に住む。嵐で吹き飛ばされれば建て直すだけ。外部から人がやってきて便利なものを持ち込んでも、不要なものは自分たちの暮らしに取り入れない。

 

明日のことは心配しない。直接経験したことしか気にしないから、いろんな概念をこねくり回して心配事を増やすこともない。食べて寝て楽しく過ごせればそれ以上は求めない。

 

原始仏典にあった人類の起源の話を思い出す。その日に必要な食料はその日に収穫する生活をしていたときには、いつも好きなだけ食べられていた人々が、毎日収穫に行くのが面倒だと考えて、食料を蓄え始めたことで、必要な食料を確保できなくなった話を思い出した。

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観

ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観