反穀物の人類史

狩猟・採集社会から農業社会へ移行して、それと同時に移動生活から定住生活へ移行して、国家、文明が始まる。文明の恩恵にあずかろうと雪崩をうって人々は国家に参加する。国家はこういうふうに始まったと思い込んでいた。

 

定住生活と国家の組み合わせって、今はあたりまえで国家が無い社会は考えられないけれど、国家が始まった当初はそんなにいいもんでなかったということがこの本に書いてあります。

 

そもそも、農業の始まりや定住生活の始まりと国家の始まりに直接の関係はなくて、農業が始まって数千年間は大規模な国家ができていないし、狩猟・採集社会であっても豊かな地域では定住生活をしていた。農業が始まったからといって、狩猟・採集生活を止めてしまったわけでもない。食料調達の為の手段として随分長い間並存し、自然環境の変化に合わせて狩猟をやったり農業をやったりしていた。

 

肥沃な沖積平野に、人口を集中して住まわせ小麦や米などの単一の穀物を栽培させ余剰生産物を税として徴収する。そのための仕組みが国家だという。別に国家などなくても暮らしていけたし、国家に属さず狩猟採集で生活していたほうが豊かな暮らしが出来たらしい。その証拠に、疫病や凶作で生活条件が悪くなると、人が逃げていくので、国は常に奴隷や捕虜を連れてきて補充しつつげないと国家を維持できなかったそうだ。万里の長城は北方の遊牧民が中原に侵入するのを防ぐためにあるのではなく、中原の人々が北方へ逃げ出さないよう閉じ込める為にあるのだと著者は言う。中島敦の小説、「李陵」で、万里の長城を警備していた李陵が遊牧民に襲われて捕虜として北方に連れ去られた時に、李陵の一族が皆殺しにされた部分を読んで、どうしてそこまで厳しい処罰になるのかと思っていたが、もしかしたら北方へ逃げそうとする人々への見せしめの意味があったのだろうか。

 

また、人が密集して住む都市は伝染病の温床になる。それに家畜も加わると動物由来の伝染病も加わる。古代文明の中心地がある日突然消滅することがあるのは伝染病が原因とのこと。

 

単一穀物の栽培を基盤とした国家の仕組みだけしかなかった訳ではないのだ。国家の下で暮らすことの条件が悪ければ人は自ら選択して国家を捨てて、文明が及ばない「野蛮人」となった。野蛮人、未開人、部族、非定住民等という呼称は、国家の側が名付けたもので、必ずしも野蛮でも未開でもなかったと著者は言う。

 

「飼い慣らし」という考え方も面白い。野生の動物や植物を飼い慣らして、家畜や栽培植物にしているのだが、よく考えてみるとどっちが飼うほうで、どっちが飼いならされている方なのか? 動物の食べ物を準備して、毎日欠かさずに世話をして奉仕しているのは人間ではないか。植物の成長に最適の環境を整えて身を粉にして働いてるのは、人間ではないか。飼いならされているのは人の方とも言える。更に本当は狩猟や採集など食べ物を入手する方法はいろいろあるのに、他は捨てて単一の穀物の栽培だけして一生を過ごすというのは、まさに人が家畜や植物に飼いならされているのではないか。

 

いろいろ考えるきっかけになる、目から鱗が何枚も剥がれ落ちる本です。

反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー

反穀物の人類史――国家誕生のディープヒストリー