かき氷を求めて石引へ、帰りは宝円寺から裏門坂を下る。

 「石引に「ウミネコパーラー」というかき氷屋さんがあって、最近はやりの豪華なかき氷が食べられるらしいので、歩いて行ってみませんか?」と妻を誘ってみたところ、珍しく乗ってきた。

 

大手町から金沢城公園に入って石川門から出て、そのまま真っ直ぐ進んで石引の金沢医療センターの横へ。石引の通りを進んで、福光屋さんを過ぎて少し進んで、交差点の手前あたりで、女性が何人か行列を作っている。そこがかき氷屋さんだった。家から40分くらい歩いてきた。満席でお店の中でも何人か席があくのを待っている。

 

「行列に並んでまでして食べたいわけでもないし。」と二人の意見が一致。近くのファミマで炭酸水を補給してから引き返す。

 

帰りは違った道を通ろうと、金大付属病院の方へ曲がって宝円寺に向かう。木曽谷へ下りる角に旧町名の石碑を発見。「下百々女木町(しもどどめきまち)」という何やらおどろおどろしい名前。由来は木曽谷へ下る川の水の流れが轟々とどどめいていたからと書いてある。

 

木曽谷へはおりずに、そのまま直進し宝円寺の山門へ向かう。私が10歳くらいの頃に、父が何を思ったのか宝円寺の境内の横に建っていた平屋建ての小さな家を買った。お寺の大きな木の陰にある暗くてジメジメした家だったのを覚えている。3ヶ月に一度くらい、そ窓を開けて家に風を通して掃除するために、家族揃ってその家に来た。両親が掃除する間、私は歩いて広坂から香林坊まで行って、北國書林や福音館書店で立ち読みしていた。結局、一度も住むことなく父が東京へ転勤になった頃に売り払った。その家はどの辺りにあったのかと探してみるが、それらしい家はなく小さな区画の更地がふたつあるばかり。多分ここかなと思いながら、お寺の境内を抜ける。

 

お寺の裏にある墓地に「前田家の墓」の看板を発見。広い区画に鳥居が建っているところが前田家の墓。お墓の横は台地の際。鈴見町、卯辰山が綺麗に見渡せる。

 

墓地を抜けると、扇町から登ってくる坂道にぶつかる。裏門坂というらしい。道の真ん中が階段状になっている急坂だ。今は裏門坂だが、昔はこの坂が宝円寺の表参道だったらしい。詳しくはこちらに↓

kanazawasaka.com

 

裏門坂は鬱蒼とした木々に囲まれて、坂の途中には蔦に覆われた空き家が何件か連なる。金沢の中心部とは思えない、追い剥ぎが出てもおかしくない雰囲気。ここを登って宝円寺まで行ったのか、と300年前に思いをはせる。

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扇町から賢坂辻、小将町を通って東山へ。最近、東山の159号線沿いに、むらはたでパフェを食べる。妻は白桃パフェ、私はプリンパフェ。真夏の日差しの中を1時間30分歩いた後に食べるパフェはたまらんくらいうまかった。

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