それでも日本人は「戦争」を選んだ

岩波新書の「満州事変から日中戦争へ」がおもしろかったので、加藤陽子さんの「それでも日本人は戦争を選んだ」を読んだ。この本は、歴史好きの高校生を相手に、日清戦争日露戦争、第1次世界大戦、満州事変と日中戦争、太平洋戦争について、5日間の講義をした記録。
 
当時の外交文書、手紙をもとに、当時の世の中の雰囲気はどうだったのか、それを受けて当事者は何を考え、決断したのかを明らかにしていく。
 
印象に残った内容が2点あった。
 
ひとつめは、日清戦争以降ほぼ10年おきに日本は戦争している。そうすると、10年前の戦争の記憶が人々の頭に残っているうちに次の戦争に臨むことになる。10年前に苦労して獲得した領土をなんとかして守りたいとか、前回は失敗したから今回はしくじらないぞ、そんな気持ちをいだきながら、次の戦争の決断に望んでいることをよく斟酌しないと、当時の為政者の分析にはならない。だから日中戦争のことを知るためには、その前の第一次世界大戦日露戦争で何があったか、世論はどんな反応をしていたかを知らないといけない。そのとおりなのだが、我々が日中戦争のことを考えると、その時点までの経緯を無視して、つい自分が生活する現在の視点からいきなり考え始めてしまう。それまでの出来事の流れや人々の怨念をちゃんと把握した上で考察しないと、判断の過程が理解できなくて、なんとアホな決断したんだろうとしか思えないことになる。
 
もう一つは、日中戦争時に中国の駐米大使だった胡適の「日本切腹、中国介錯論」。胡適日中戦争が始まる前の1935年、太平洋戦争が始まる6年も前にこんなことを言っている。
中国は絶大な犠牲を決心しなければならない。この絶大な犠牲の限界を考えるにあたり、次の三つを覚悟しなければならない。第一に、中国沿岸の港湾や長江の下流地域が全て占領される。そのためには、敵国は海軍を大動員しなければならない。第二に、河北、山東、チャハル、綏遠、山西、河南といった諸省は陥落し、占領される。そのためには、敵国は陸軍を大動員しなければならない。第三に、長江が封鎖され、財政が崩壊し、天津、上海も占領される。そのためには日本は欧米と直接に衝突しなければならない。我々はこのような困難な状況下におかれても、一切顧みないで苦戦を堅持していれば、二、三年以内に次の結果は期待できるだろう。[中略]満州に駐在した日本軍が西方や南方に移動しなければならなくなり、ソ連はつけ込む機会が来たと判断する。世界中の人が中国に同情する。英米および香港、フィリピンが切迫した驚異を感じ、極東における居留民と利益を守ろうと、英米は軍艦を派遣せざるをえなくなる。太平洋の海鮮がそれによって迫ってくる。以上のような状況に至ってからはじめて太平洋での世界戦争の実現を促進できる。したがって、我々は、三、四年の間は他国参戦なしの単独の苦戦を覚悟しなければならない。日本の武士は切腹を自殺の方法とするが、その実行には介錯人が必要である。今日、日本は全民族切腹の道を歩いている。上記の戦略は「日本切腹、中国介錯」というこの八文字にまとめられよう。
 
1935年の時点で、太平洋戦争までの流れをほぼ正確に見通していることがすごい。それに加えて、「二、三年、日本にボコボコにやられておきましょう。そうすれば、アメリカ、ソ連を太平洋での世界戦争に巻き込むことができますよ。」などと、国の最高権力者の前で、こんなことを主張できる胡適は肝が座ってる。部下に進言させて、ちゃんと聞いている蒋介石もすごい。
 
昔の人も敵も、自分と同じくらいか、それ以上に賢いという前提で判断しないといけない。