死を生きながら

イスラエルの左翼の作家、デイヴィッド・グロスマンが1993年から2003年にかけて発表した様々な文章。93年のオスロ合意の調印により、イスラエルパレスチナの和平への期待が高まった頃からの10年間、和平への期待が自爆テロと、それにたいする報復で崩れていく過程の綴ります。私にとっては、オスロ合意って何?ってくらいよく知らないテーマですが、知っておきたいテーマです。

なにから、取り付いていいかよくわからないので、とりあえずの抜き書き。

この二つの民族はまたしても、いまだに相手と共生できないことが明らかになった。かといってどちらも、相手と切り離されては生きていけない。たがいの関係を本当の意味で変える一歩であったのに、双方とも、そこに至る最後の歩みを進める不屈の剛毅さをもたなかった。アメリカの途方もない仲介努力のあとでも、おたがいにしがみついたまま、相手の首を絞めようとする。臆病さと、長年にわたる憎悪が生んだ侠気のような思考の犠牲になったのである。新しい境界線をひこうとした地図、あちこちに作られた飛び領土のために複雑な線を描く地図は、いまのようにたがいに咆哮をつづけることは不可能だと、すべての人びとにはっかりと示していたのに。これではまるで離婚後も同じアパートに住み、ときには同じベッドに眠って暮らし続けていかねばならない夫婦の離婚合意書のようなものである。

これほどたくさんの貴重なことがらやプライベートな瞬間が、恐怖と暴力のなかで失われた。これほどの創造力、想像力、そして思考が、いま破壊と死に向かっている。あるいは破壊や死から身を守ることに向かっている。ときおり、わたしたちのエネルギーの大半が、存在の境界線を守るために費やされているように感じる。そして人生そのものを生きるために使えるエネルギーは、ほとんど残されていない。

死を生きながら  イスラエル1993-2003

死を生きながら イスラエル1993-2003