日常生活の中の禅

以前にも一度読んだのですが、再読。この本は、手元に置いてくり返し読んでみたくなる本です。


著者は、確固とした実体の存在をとことん否定します。

人は普通、自分と相手がいて、出会いが起こると思うだろう。しかし、実際には出会わない限り、「私」も「あなた」もないであろう。出会って初めて相手を「あなた」と認知し、その認知が「私」の意識を触発するのである。順序が逆なのだ。「私」と「あなた」が「出会う」のではなく、「出会い」が起きて、「私」と「あなた」がそこに成り立つのである。

だから、存在のしかたを決めるのは、行為であり、行為を一体のものとしてつなぎとめるものとして私があるに過ぎないといいます。


禅寺で食べる直前、食べ物を前に唱えるお経です。

一つには功の多少を計り彼の来処を量る
二つには己の徳行の全欠をはかって供に応ず。
三つには心を防ぎ過を離るることは、貪等を宗とす。
四つには正に良薬を事とするは、形枯れを療ぜんがためなり。
五つには成道のための故に今この食を受く。

日常生活のなかの禅 (講談社選書メチエ)

日常生活のなかの禅 (講談社選書メチエ)